ゲオルグとの再会 4
しかし、そんな心の葛藤に苦しんでいるローザリンデをよそに、目の前では、ゲオルグとサイジェスが、例の戦いについての論戦を再び繰り広げていた。それを、輪に入れてもらったラーラが、嬉しそうに見つめる。
「だからさ、やっぱりあの時そのまま北方の防衛線をとことん壊滅させておけば、今頃こんな国境付近で争いを続けなくて済んだんだよ」
「いや、あれ以上深追いせず、軍をまとめて王都に戻ってそこの守りを固めたのは、最善の判断だったんだ。でなければ、国王崩御の好機を逃さず、きっと王都まで攻め込んで来たはずだ」
それは、先代の国王の時代、今も国境付近で争いが絶えない北の隣国と、ソートダム川を挟んで起こった紛争。
こちら側からの奇襲を狙った挑発に、配備された人数が薄かった隣国側はたちまち劣勢となった。
しかし、そこに突然国王崩御の極秘の報せが舞い込んだのだ。そこで、その戦いの指揮を執っていた、当時のカスペラクス家の当主であった先代の侯爵は、その事実を伏せたまま迅速に和平交渉を結び、主力部隊を王都に帰還させたのだった。
これに関して、前の時ときからゲオルグは、先代侯爵の執った指揮を一貫して支持していた。
ローザリンデも、その意見に否やを唱えたことはない。
ただ、その指揮の意味に、違う価値を見出していた。
それを、わざわざゲオルグに言うことはなかったけれど。
しかし、この状況で、突如として、どうしようもない反抗心が湧きおこってきた。
思い込みによる無礼で傲慢な振る舞い。婚約者であるラーラに対する態度。そして、イデリーナに向ける視線。
そのどれもが、心の中の感情をふつふつと煮えさせるのだ。
今も彼女をまったく無視しているゲオルグに、ローザリンデは口を開いた。
「わたしの意見は違います」
それはきっぱりとして、この晩餐会の主催者の子息に対して、完全に突っかかっているのが分かる口調だった。
両手で頬を挟み、強引にこちらを向かせるかのような行為。
途端にサイジェスが、表情を曇らせた。
そして、ゲオルグは、さっきから睨みつけていた瞳を、より眇めた。深緑色の瞳が、黒に見えるほどに。
「ほお…。士官学校に通っていたわけでもないご令嬢が、一体どんなご意見をお持ちだというのか。わざわざ耳を傾けて聞くほどの値打ちがあるのか、お聞かせいただこうではないか」
初めて、ゲオルグがローザリンデにまともに声をかけた。
いや、その表情を見れば、決してまともではないことが分かる。
その顔は、まるで唾棄すべき相手を見るような。
生意気にも、カスペラクス家門の戦への論戦に割り込んで来た小娘を、ぺしゃんこにしてやろうと思っているのが透けて見える。
ローザリンデの心に炎が燃えた。
普段大人しくとも、学院でも理不尽な輩にはきっちりやり返さなければ気が済まなかった性格は、何歳になっても変わることなどない。
ましてや本能の部分は、前の年齢での分別よりも、十七歳の肉体での感情の方が勝るのだから。
「ええ。ご子息と違い、机上の学問しか納めていないわたしの見解が、果たしてご拝聴に値するものかどうか、ご意見をお聞かせ願いたいですわ」
二人のただならぬ気配に、いつしか周囲のざわめきが静かになっていた。
向かい合い対峙する、本家の次男と、見知らぬ年若い令嬢の緊迫した空気を、ある者は固唾を飲んで、またある者は好奇心に目を輝かせて見つめる。
広間の異変を感じ、侯爵が出て行こうとするのを、夫人がやんわりと引き留めた。
その顔に、にんまりとした笑みを浮かべて。
鎮まり返る空気に、ローザリンデは、注目を集めすぎてしまったと、一瞬怯む。
それを見て、ゲオルグがあごを上げて声を張った。
「どうした。軍閥の家門として知られるカスペラクス家のお歴々の耳目を集めては、聞かせられないような薄いご意見なのか?」
追い詰めるだけのその言葉に、一体自分の何がこんなにもゲオルグの感情を刺激するのかと思いながら、深呼吸をした。
聞かせられないような薄い意見?
「わたしの考えが一理あるかどうかは、ご列席の方々がきっと判じて下さるでしょう。あなたではなくね」
挑発的な言葉で、ゲオルグをよりイラつかせる。
自分の中で感情が暴れ過ぎて、武者震いに体が小刻みに震えた。
すっと息を吸い込み、後は言葉を紡ぐだけ。
「先ほどご子息は、先代侯爵様が軍をまとめて帰還したのは、隣国が国王陛下崩御の隙をつき、攻め込むのを防ぐためだとおっしゃいました。わたしの意見は違います。早急に王都へ軍を連れ帰ったのは、外憂よりむしろ、内憂のためだったのだと」
それは、この国をずっと蝕む原因の一つ。
常に繰り返される王権をめぐる国内の争いごと。
しかし、前国王から現国王への譲位自体は、何の障害もなく行われたと言う認識が、一般的には浸透していた。
即位後、前国王の王弟が勢力を伸ばし、シャンダウス家が『裏切り者』の汚名を冠する王権争いに発展したのは皆の知るところではあるが。
「内憂だと?頭がおかしくなったのか?それとも、その後の権力争いで『裏切り者』のレッテルを貼られたことを恨んで、何でもかんでもそれに結びつけようという魂胆か?」
突然、ゲオルグではなく、ローザリンデの後ろから声がした。
振り返ると、すでに酒を手にした傍系の中年男性が、とろんとした目で彼女を馬鹿にするような顔で見ていた。
「そうですね。シャンダウスだからこそ、そう思うのかもしれません。ですが、ずっと不思議だったのです。先代の侯爵が王都に軍を戻された時、なぜ最も信頼を寄せていたインスブルグ団長だけを、王都ではなく、北方の国境線でもなく、西部に行かせたのか…」
「そんなの!西方からの侵略に備えるために決まっているだろう!」
ローザリンデの意見に、その酔っ払いが被せるように答える。
大方の意見もそれにうなずく空気が。
しかし、ゲオルグだけが、はっと表情を変えた。
それを認めて、ローザリンデはゆっくりと周囲を見渡す。
そうして、自信をもって言葉を口にした。
晩年、療養中のカスペラクス侯爵とお茶をしながら論戦をして、認めてもらえたその見解を。
「侵略に備えるのに、西部に常駐している騎士団がいるにしても、インスブルグ団長とおつきの文官数名だけを行かせる意味を考えた時、こう思い当たったのです。インスブルグ団長を西部に行かせたのは、そこを護るためではなく、後の王弟派を形作る勢力から遠ざけるためではなかったかと。つまりは、団長はカスペラクス侯爵の懐刀でありながら、国王、当時の王太子派ではなく、王弟派に近しい立場だったのではないかと」
「な…!なにを!失礼ですわ!」
一人の淑女が声を上げた。
見れば、亡くなったインスブルグ団長の娘で、カスペラクス一族に嫁いで来ている壮年のご夫人。
「そうだぞ!その後の王権争いでは、シャンダウスとは違い、インスブルグ団長は最初から国王派だったと誰もが知っている!」
その夫である傍系の男性からも、批判の声が上がる。
しかし、ローザリンデはそちらをじっと見て、話し続ける。
「インスブルグ団長の細君の実家は、シャンダウス家と同じ、内政省の官吏でした。そこで同じく、前国王の施政に関して思うところがあったと思うのです。そして、それは軍閥に基盤のない当時の王弟派にとって、願ってもないつながりだったのでは、と」
その言葉に、ご夫人の顔色が変わる。なにか思い当たることがあるのか。
「そして、恐らく先代の侯爵は、そう言った団長の体制に対する心の揺らぎを感じていたのではないでしょうか。だから、あえて崩御の際、王都ではなく、もっとも国王派の貴族の多い西部に少人数で行かせた。そうすれば、王都で王弟派に抱き込まれることも、北方で隣国とつながり利用されることもない」
静かになった広間に、自分の声だけが響く。
いつしか、ローザリンデの言葉に反論する者はいなくなっていた。
「そして、その指示によって、先代侯爵に揺らぐ心を見透かされたと察知したインスブルグ団長は、きっぱりと王弟派からの誘いを断られたのだと推測します。先代侯爵様の指揮は見事であったと思います。これ一つで、隣国が付け入る隙を失くしただけでなく、崩御直後の内憂を封じ込め、円滑な譲位を執り行うことができたのですから。これが、わたしの『ソートダム川の戦い』への見解です。どうぞ、この後の晩餐会での酒の肴にお使いいただければ、幸いでございます」
ローザリンデはすべてを言い切って、正面のゲオルグを見た。
そして、目を見開いた。
ゲオルグの眼差しが、どうしようもない感情でかき乱されたように荒ぶりながら、見たこともない熱を宿して、じっと自分に注がれていたからだった。
再会してから、ゲオルグの目ん玉の色を、最初の設定と違う黒だと表現しておりました。
ここに深緑だと謹んで訂正いたします。
この晩餐会、いつ料理が出て来るんだよ!と思われていることでしょう。
次にはきっと出てくると思います。
読んで下さり、ありがとうございます。