ゲオルグとの再会 3
死んだと思っていたのに、ここに巻き戻って来た。
それは、深い後悔を抱いていた人生をやり直すために、神が与え給うた機会だと思った。
そして、これから起こるすべてを知っている自分は、思った通りに結果を導けると、傲慢にも思っていたのだ。
けれど、たった四日しか経っていないにもかかわらず、何もかもが変わって来ている。
今こうして、結婚前にもかかわらず、カスペラクス侯爵家の晩餐会の席に座っていること自体、自分の知っている過去とは程遠い。
たった一つの発言、たった一つの行動が、自分の知らない未来を生んでしまう恐怖。まるでこのジャケットに数多並ぶボタンを、最初の一つ掛け違えただけで、すべてが台無しになるように。
そして今、変わってしまった過去で、自分は知ることのなかった新たな事実を、目にしてしまったのかもしれない…。
着席しても、心臓がいつまでもどっどっどっと、まるで喉の真下で拍動しているようだ。
目の端で見ていたつもりだったのに、さすがに有能な騎士と言うべきか、ゲオルグが何かを察知し顔を上げる気配を感じて、慌てて今度はローザリンデが顔を伏せた。
つむじの辺りに視線を感じる。それでも、「お義姉様~」とすかさず話しかけて来たラーラに、さっと表情を入れ替えて、「一人にしてごめんなさい」と顔を上げ声をかける。
その二人のやり取りに、ゲオルグの眉が一瞬動いたのが分かった。
虐げられているはずの義姉に、ラーラの方から甘えたような声をかけ、さらにその義姉が「ごめんなさい」と返したからだろうか。
そんな心の動きより、今のローザリンデには、じっくり考えたいことが出来てしまったのだが…。
けれど、今はこれから始まろうとしている晩餐会で、どう立ち回るかの方が大事だ。
すべての可能性を踏まえて、この時間を無駄にしてはいけない。
カスペラクス侯爵家に足を踏み入れるのは、出来れば、今日を最後にしたいのだから。
ローザリンデは、深呼吸をして、ラーラに再び目配せをした。
『互いを紹介して』と言う合図のつもりだったけれど、ラーラには通じなかったのか、きょとんとする。
その表情に、ローザリンデはなぜか心が痛んだ。
もしかして、自分はこの子に酷なことをしているのかもしれないと思って。
ラーラがこのままゲオルグと結婚してカスペラクスの家門に入るのが、本当に彼女の幸せなのか分からなくなってきたのだ。
切り替えようとしても、今目の前で見た事実が整理しきれないまま、心は動揺しっぱなしだ。
「ラーラ。婚約者様を、紹介してちょうだいな」
だから、ローザリンデは、あっさりと答えを教えた。
昨晩、何時間もかけて詰め込んできた礼儀や教養を披露して、ラーラを身の丈以上に装うことに、急速に意味を感じなくなって。
ラーラは素直に、「ああ!」と声を上げた。
さっきゲオルグに遮られてしまった、二人をそれぞれに紹介するやり取り。昨夜何度も練習させられたことをここで披露するのだと、婚約者に放りっぱなしにされて退屈していたラーラは張り切って立ち上がった。
「ゲオルグ様!こちらは、わたしの義姉のローザリンデ・ザン・シャンダウスでございます」
「そして、お義姉様!こちらがわたしの婚約者でいらっしゃる、ゲオルグ・ザン・カスペラクス様でございます」
いささか唐突だったけれど、教えた通りにきちんと出来た。
ただし、想定していなかった正餐の席での紹介だったため、一人立ち上がってしまったことがもったいなかった。でもそれは、元来エントランスでそれを受けるべきゲオルグが拒否したせいだ。ラーラの咎ではない。
まさか、この場でもさっきような大人気ない態度を取るようなら、今度こそ抗議してやろうと、ローザリンデはラーラの隣にある顔を、正面から真っ直ぐ見た。
同じように、ゲオルグもこちらに相対する。
強く突き刺すような深緑色の眼差しと、凛として揺るがないヘーゼルの瞳が、互いをとらえた。
礼儀に則れば、ここはゲオルグの方から声をかけるべき場面だ。
しかし、肝心の目の前の男は、ただじっと、ローザリンデを睨みつけていた。
その視線の強さに怯むようなローザリンデではない。しかし、どこまでその態度を続けるのかと、心のどこかがチリつく。
『あなたが紹介してくれたら、爵位が格上の婚約者様から話しかけて来られるから、それからわたしがごあいさつをします』と、教えられたラーラが、いつまでも無言のゲオルグを不安気に見た。
ここは礼儀を度外視し、さっさと自分からあいさつするべきか…と、思い始めたところで、ローザリンデの隣に座る若い男性が、突然割って入って来た。
「ゲオルグからなかなか紹介してもらえないから、自己紹介するよ!俺は、カスペラクス侯爵家の傍系、こいつの従兄弟、サイジェス・ユス・カスペラクスだ。ここはカスペラクスだらけだから、家の名前以外なら好きなように呼んでくれ」
明るい声音に、一気に空気が軽くなる。
しかもサイジェスと聞き、ローザリンデは内心驚いた。
何しろ自分の知るサイジェスは、もみあげから続く立派なひげを蓄えた男性だからだ。
しかし目の前にいるのは、まだまったくひげを生やしていない二十歳前後の若い男性。
『ユス』の称号は、一代限りの爵位の称号。サイジェスは騎士爵を賜っているのだろう。
このひげのないサイジェスに見覚えがないのは、この後、彼が国境地帯に行くからだ。
きっとそこで武功を上げ、王都に帰って来た頃には、『大将ひげのサイジェス』になっていた。
ローザリンデはゲオルグには一切見せない、にこやかな表情で答える。
「お初にお目にかかります。シャンダウス家のローザリンデと申します。本日は、ご一族の晩餐会にお招きいただき大変有難く存じます」
相手が無視するなら、こちらも無視するに限る。
ローザリンデは、さっと横を向き、いつまでもあいさつをして来ないゲオルグではなく、この愛想のよい青年と会話をすることにした。
「しかし、ゲオルグの婚約者殿は可憐だし、ご令嬢も実に素敵だな。シャンダウス家は、綺麗なご令嬢方ばかりで羨ましい」
サイジュスは、黙り込むゲオルグに何かを感じたのだろう。
何とかこの場を取り繕おうと、殊更軽い口調で明るく話す。
傍系の従兄弟にまで面倒をかけるゲオルグに、ローザリンデは苛立った。
チラリと呆れた視線を送ると、それに気づいたゲオルグが、より強く自分を睨みつける。
この中で一番年長なサイジェスが、不穏な空気に慌てて口を開いた。
「と…ところで!俺たちは、さっきから『ソートダムの戦い』ってやつについて論戦していたんだが、ご令嬢方はこれをご存知かな?」
侯爵夫人が招いたであろう客人に不快な思いをさせまいとして、咄嗟に出した話題だったのだろう。しかし悲しいかな、そこはサイジェスも無骨な騎士。普通の令嬢は『ソートダムの戦い』について語ろうとは思わない。
ただ、ローザリンデはラーラに、昨夜、よく話題になる過去の戦乱について、概要を詰め込んでいた。
ゲオルグとの会話に使えるし、カスペラクス家では、これらの話題が日常茶飯事だったから。
『ソートダム』は、その実行された指揮に関して、いまだに賛否の分かれる戦乱で、もちろん昨夜ラーラに詰め込んだ一つである。
「あの…!その戦いって、ソートダム川を挟んで、我が国と北方の隣国が争った戦いですよね?!」
ラーラが、思った以上にスムーズに会話に入って来て、ローザリンデは安心した。
ゲオルグの反応をうかがうと、あからさまに驚いている。
今までドレスとダンスと他家の噂話と、『義姉にされた不当な扱い』の話しかしなかった婚約者の口から、まさか『ソートダム川』などという言葉が出てくるとは、などと思っているのだろう。
今日の振る舞いを見ているだけでも、ゲオルグがラーラを婚約者として尊重していない気がしてならなかったが、今の反応から考えるに、その価値を若さと美しさぐらいしか認めていないように感じる。
しかし…だ。
(もしイデリーナ様に想いを寄せているなら、ラーラはまったくタイプが違い過ぎる)
ゲオルグが女性に求める価値が、若さや美しさなら問題ない。
しかしそうではなかった場合…。
一体どういう理由で、ラーラに求婚したのだろうか。
ラーラは、容姿は間違いなく可憐で美しい。ただ、無知なのだ。しかし、これは本人のせいばかりではない。けれど、これでは、少なくとも婚約当時は二人が愛し合っていたというローザリンデの中の大前提が崩れてしまう。
(では、コンサバトリーで見た、二人の情熱的な口づけは何だというの?)
ローザリンデは混乱した。
自分は何か、大きな思い違いをしているのか?
分からない…。分からない…。
目に見るものは確かなようで、その実何も真実を彼女に教えてくれないのだ。
この第46部分、何度も内容を書き直しています。
また書き直すかもしれません。その時はまた後書きでおしらせします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。




