ゲオルグとの再会 2
あちらこちら見るのも気が咎め、サブエントランスの石造りの壁を、所在なくただ眺めて待っていると、奥からあわただしくイデリーナが現れた。
「シャンダウス伯爵令嬢!まあ、どうしましょう」
下僕から、ゲオルグが伯爵家の令嬢をサブエントランスに置き去りにしたと聞かされ、まさかと思いながらやって来たカスペラクス家の次期侯爵夫人は、ローザリンデの姿を見て、それが本当のことだと知り面食らっている。
しかし、ローザリンデはそのことには何も触れず、イデリーナに向けて淑女の礼を取った。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。お忙しいところお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
しかしイデリーナは余程動揺しているのか、ローザリンデのあいさつにさっと腰を落として簡単に礼を返すと、慌てて駆け寄り頭を下げた。
「やめてちょうだい。こちらの方が不作法をしたと言うのに…。婚約者をこちらのエントランスに連れて来たのはまだ分かるにしても、初対面のあなたにこんなことをするなんて…」
そういうイデリーナの表情は、義弟の不可解な行動に気分を害しているようだった。
そうして、次にローザリンデに向けて謝意と親しみがこもった眼差しを送って来る。
もしかすると、まだ馴染の薄い義弟より、三年間同じ学院で過ごしたかつての下級生であるローザリンデの方が、彼女にとって近しい存在なのかもしれない。
けれど、自分とゲオルグのこれからに、イデリーナを巻き込むのはローザリンデの本意ではなかった。
「どうか頭をお上げくださいませ。ご令室に謝っていただくようなことではないのです。わたしが何かお気に障ることをしたに違いないのですわ。終始、騎士様らしくお振る舞いでしたから」
そう言うと、イデリーナは眉を八の字に下げ、「学院で聞いていた評判と、違わない方ね」と呟いた。
きっと、ローザリンデが庇ったと思ったのだろう。
実際には、ゲオルグの感情を煽るような行動をしたのは間違いないのだから、一方的に相手が悪いわけではないのだが。しかし、ここでそれを釈明する気はない。
イデリーナが耳にした、自分の学院での評判はどうやら悪くないようだが、事実を伏せている自分が、良い人間のわけはない。
「ご案内いたしますわ」
それでも、イデリーナがにこやかにローザリンデを屋敷の奥に案内してくれる。
道すがら、会話も弾む。
「わたくしのことは、学院でご存知だったかしら?」
「もちろんです。下級生の間でダンダステン様と言えば、才媛として憧憬の的でしたもの」
イデリーナの実家は、南方の経済圏を支配するダンダステン伯爵家。
伯爵家と言えど、その権勢はそこらの侯爵など太刀打ちできないものがあり、そこの正統なる令嬢であるイデリーナは、二年連続『優秀生徒』の称号を与えられた、資質と血筋において飛びぬけた存在だった。
生徒会にも属し、フィンレー・ザン・チュラコスとも懇意にしていた。
一時は、婚約するのではという噂もあったほどだ。
「わたくしも、あなたのことよく存じていてよ。生徒会には、次代の役員候補として、優秀な方の情報が集まって来ますから。これも良い縁だと思うわ。だから、これからはわたくしのことを『イデリーナ』と呼んでちょうだいな。義理の弟妹を通じてつながりも出来るわけですし」
思ってもいないタイミングで、突然示された親しさに、ローザリンデは心臓がドキリとした。
何しろ、相手はかつての義姉なのだ。
「まあ、よろしいのでしょうか?では、わたしのことも『ローザリンデ』とお呼びくださいませ」
前の時も、ローザリンデとゲオルグの歪な関係を憂い、常に自分を気遣ってくれた優しい義姉。
国境近くの領地を守るため王都から離れる時、夫の支えのないローザリンデに、王都屋敷と年老いた侯爵夫妻を一人背負わせることに胸を痛めていた。
流行り病にかかった時は、わざわざカスペラクス家の領地でしか採取できない薬草を届けにきてくれた。
(お義姉様…)
これからの人生、そう呼ぶことはないだろう。
心の内でだけ、そっと呼んでみた。
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勝手知ったるカスペラクス家の邸内を、イデリーナに案内されながら進む。
一族の晩餐会が開かれるのは、今も昔も大広間だった。
(まあ、まだ梁に、ユルグス副団長が槍を突き刺した痕が無いわ…)
それもそうだろう。カスペラクス家の傍系、第二騎士団のユルグス副団長が、酒の肴に天井の梁に長槍を投げたのは、ゲオルグがアッザンの辺境伯領を賜った直後の晩餐会でだったから。
広間に設えらえた長い正餐用の食卓の席は、すでにほとんどが埋まっていた。
じっと見ないようにしていても、亡くなったはずの傍系の人物を目にすると、どうしてもビクリとしてしまう。
決められた席に案内されながら、イデリーナが声を潜めて話かけて来た。
「正餐の席は、侯爵様が開始の宣言をされるまでは動けないの。でも、しばらくしたら、あなたを迎えに来るから、おしゃべりしましょう」
その席を見て、イデリーナが申し訳なさそうにした理由が分かった。
侯爵夫人が何を意図したのかは知らないが、ローザリンデの座るべき席の向かいには、前の席の若い男と、かつての国境紛争の作戦に関して論戦を繰り広げる、険しい表情のゲオルグが座っていたからだ。
そして、その隣には、テーブルの上のカトラリーの縁をなぞりながら、所在なさげなラーラが。
ローザリンデに気が付くと、途端に目を輝かせたが、昨日から何度も打ち合わせた通り、『きちんと』という意味の目配せを送ると、途端にしゃっきりと椅子に座りなおした。
その様子を見て、イデリーナがくすりと笑う。
「あの茶会とは、見違えるようね。あなたの努力が報われるよう、祈っているわ」
立ち去り際、そう意味深な言葉を残す。
しかし、せっかくイデリーナからかけられた言葉は、ふと目に入ったゲオルグの様子に、すべてがどこかに飛んで行ってしまった。
ほっそりとした後ろ姿を残して立ち去る兄の妻を、ゲオルグの伏せられたままの瞳が、じっと見送っていることに気が付いたからだ。
(え?まさか…)
ローザリンデは、思いもしない光景に、目を疑った。
何しろ、前の時、そんな素振りを感じたことさえなかった。
しかし、下僕に椅子を引かれながら座りつつ、注意深くゲオルグの様子を視界の端で確かめると、その視線は、確かにイデリーナを、誰にも気づかれないように気配を殺しながら、けれどどこまでも追っていたのだ。
(ゲオルグ様…。まさかイデリーナ様のことを?)
どっと、冷や汗が流れ出るのが分かった。
ここに来て、ゲオルグと結婚してから二十年余り、一度も想定していなかった可能性が、現実に今、目の前で指し示されていた。
本当にまったく、一度として感じたことすらなかった可能性が。
ラーラと婚約したばかりのゲオルグが、実は兄の妻であるイデリーナに、許されぬ想いを寄せていたかもしれないなんて…と。
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