遠回り
パトリック自らが案内してくれた、公爵家の家族用のダイニングは、予想を裏切らない洗練された場所だった。ただ、白木のままの木目の腰壁に、こじんまりとした暖炉が、この場所を家族用にふさわしい温かい雰囲気にしている。
「父上と弟は、一昨日から領地に行っているんだよ」
ローザリンデはほっとした。これで、ほとんど面識もない公爵まで同席なら、この夕食の味はきっと何一つ分からないだろう。
そして、茶会の後にちょうど良い軽めの内容の食事を、落ち着かない気分ながらに、堪能することが出来た。
公爵夫人も楽しい雑談で場を和ませ、今日はあれ以上のことはなさそうだと、ほっとした。
帰りの馬車は、パトリックがいつも乗り回している、昨日も乗せてもらった幌馬車で、一人で大丈夫なのに彼も同乗してくる。同じアッパーヒルズにある公爵家と伯爵家は、ローザリンデなら徒歩でも行き来できる距離だ。
「パトリック、ローザリンデをしっかり送り届けなさい」
なのに、公爵夫人にエントランスまで見送りされては、何も言えない。
そして、これが箱馬車なら、従者なりが同乗するところ、幌馬車のせいで結局二人きり。
パトリックは、「冷えるから」と、ローザリンデに自らが贈ったショールを手ずから羽織らせ、頼みの綱の幌までしっかりと御者に閉めさせていた。
昨日は、形式上の『未婚の男女が二人きり』の心配しかしていなかったのに、夕方公爵夫人からされた話のせいで、ローザリンデは肩が触れ合う距離に座る三歳年下の幼馴染を、嫌でも意識せずにはいられなかった。
(おかしい…。どんどん自分が中身まで十七歳になって行っている気がする…)
知識や経験はそのままなのに、感情や体感、感覚と言った本能に近いところが、既知のものとかけ離れて行く気がするのだ。
流行り病に臥せる前、好んで飲んでいた濃い目の紅茶を、今日はちっとも美味しく感じないように。
だからだろうか。前の時の、自分の息子よりも年下のパトリックの体温に、動揺してしまうのは。
「夕方。母上と何を話していたの?」
馬車が走り始めた途端、パトリックに尋ねられる。
「リンディがいると聞いて、母上の執務室に入ろうとしたら、執事に入れてもらえなかった」
その言葉に、パトリックは公爵夫人のとんでない話には関わっていないのだと確信した。
それもそうだ。本人は、まだ自分の将来を決めかねてここにいると言っているのだから、あれは公爵夫人の独断で間違いない。
「お茶会に出席しての感想を、聞かれていたのよ」
嘘ではない。その後の内容が衝撃的だっただけで。
「なんて答えたの?」
しかし、それは正直に言えない。今思い起こせば、あの感想は完全に失言だった。
「なんて答えたと思う?」
答えたくない時の基本は質問返し。それにパトリックが「ははは」と小さく笑った。
「ぼくには秘密ってことだよね」
「ごめんなさい」
素直に謝ると、パトリックは床をブーツでダンダンと蹴った。
すぐに御者が振り返る。
「少しリンディと話がしたいから、遠回りで行ってもらえるかな」
その指示に、ローザリンデは驚いてパトリックを見た。
御者は無言でうなずくと、まっすぐ伯爵家へ向かっていた馬の顔を、手綱をひいてゆっくりと右に動かす。
「パトリック?」
不安気にローザリンデが問えば、パトリックは体をひねってこちらを向き、真剣な顔で話しかけて来た。
「チュラコス公爵家のフィンレー殿。前から親しかったの?」
なにか少し怒ってもいるようで、ローザリンデは動揺する。
パトリックがなぜそんな言い方をするのか、分からなくて。
「親しいと言うか…。王立学院で、学年は違ったのだけれど、共通の趣味があって、よくして下さっていた上級生のお一人なのよ」
だが、今日の様子で、フィンレーにとってローザリンデが、ただの下級生ではなかったかもしれないというのは、さすがに察した。
「茶会の招待状が来ていたと言ってたけれど、その他に、何かチュラコス家から書状は?」
そこで、ローザリンデは父である伯爵宛てにも、一通来ていたことを思い出す。
そうなれば、俄然、その手紙の中身が、気になり始めた。
ソワソワするローザリンデを見て、パトリックがため息をつく。
「来ているみたいだね」
「わたし宛てじゃないわ。お父様宛の文箱にあるのを、確か今朝見たなと思って。それに、それまでに来ていたものがあったとしても、わたしは目にしていないから…」
来ていたとしても、伯爵夫人が勝手に開封していただろう。
伯爵宛のものまでそうしていたかは分からないが、父が王都の屋敷を丸投げしている以上、開封していても誰に咎められることもない。
その返事に、パトリックがあごに手を当て、考え込む。
一体何を考えているのだろうか…。
「一人だと思っていたけど…@*+¥?%…」
口の中で呟くような言葉は、馬車の中ではまったく聞き取れない。
それきり、小さくて狭い幌の中を、石畳を車輪が擦るがらがらという音だけが満たしていく。
思索にふけっている様子のパトリックに、話しかけるのは憚られた。
しかし、どれくらいそうしていただろうか。
ふるりと、ローザリンデが身を震わせた。
すると、顔を前に向けたままで、するりとパトリックの腕が、ローザリンデのそれに絡められて来た。
驚いて、肩がびくりと跳ねる。
その初々しい反応に、自分で自分に驚く。
ほら、やっぱり十七歳…!
同時に、ぎゅっと手を強くつながれる。
「手が冷たい…」
パトリックが、顔を動かさず、前を向いたまま呟いた。
話があると言ったのに、真っ直ぐむかうより四倍もの時間をかけて伯爵家に着くまで、パトリックは何も話しかけてこなかった。
シャンダウス家の馬車寄せに滑り込むと、下僕のヘンドリックがすぐに扉を開けに駆け寄ってくる。
しかし、ローザリンデの降車を助けるために差し出された手は、幼馴染によってやんわりと遮られた。
パトリックはそのまま立ち上がり、つないだ手を一度も離すことなく、ローザリンデをエントランスの中までエスコートしてしまった。
ローザリンデは成す術もなく、頬を真っ赤にしながらそれについて行くだけ。
最後、パトリックはつないだ手を自分の胸まで持ち上げ、目をそらさずに告げた。
「チュラコス家に行くときは、朝から迎えに行くから、普段着にこのショールだけ羽織って待っていて。間違っても、チュラコス家が馬車を差し向けても、乗っちゃダメだよ」
夕餐の席で、その茶会の日も、公爵夫人がローザリンデの仕度を手伝ってくれると言う申し出を受けていた。デイドレス一枚きりしか持たないローザリンデは、一も二もなくうなずいたのだが、それがこんな展開になるなんて…。
パトリックの顔を直視できない。
しかし、思わず逸らした視線を、つないだままの手の先に持っていったのは間違いだった。
そこに、声変わり中のかすれた声で、「おやすみ」の言葉とともに落とされた、触れるか触れないか分からないほどの口づけを、じっとその目で見つめる羽目になり、ローザリンデの内心は、今にも叫びだしたいほどの衝動に満たされてしまった。
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