思惑 2
しかも、今、公爵夫人はなんと言っただろうか。
「ローザリンデ、今日の茶会で、わたくしが選んだ招待客のリストの意味を正確に把握しているのは、きっとあなただけよ。でも、どうして、権勢をふるう家門を集めただけではないと分かったのかしら?」
いまだ、興奮冷めやらぬ瞳で詰め寄って来る。
咄嗟にうまい言い逃れが浮かばない。ローザリンデは手の内を明かさざるを得なかった。
「ダンダステン伯爵家、キュリアラス伯爵家までも招かれているところで、そう判断いたしました」
夫人が大きくうなずいた。
「ええ。ええ!単なる他の家門の金魚の糞だから招かれたと、自らも思っているでしょうけれど。なのに、あなたには、わたくしの真意が分かっていたなんて!」
それはそうだろう。
これから起こる、国王派と王弟派、国中の貴族を二分した血で血を洗う争い。まだそれが、貴族間のパワーゲームの序章でしかない今の時期に、今年デビュタントを迎えたばかりの伯爵令嬢が、きっちりその端緒をつかんでいるなどと、一体だれが想像できるだろう。
しかし、それは誤解だ。公爵夫人は、わたしのことを買い被りすぎている。
ローザリンデは焦った。なぜなら、自分が特別優秀なわけでも、見えざる力を有しているわけではないから。
これから起こる、北の国境線における紛争に端を発した王権争いを、カスペラクス家の人間としてその渦中で見て来たから、知っているから、気付いただけのことなのだ。
なんて迂闊なことを口にしてしまったのだろう。
けれど、それを言うわけにもいかない。
それに、それ以上に今、夫人が爆弾発言をしたではないか。
『パトリックを国教会に返さない』
パトリックを教会に返さない?
本当にそう言ったのか、今でも信じられない。それに、そんなことが可能なのだろうか?
ガッデンハイル家に時々現れる、特別神力の高い子ども。
前の時、わずか二十二歳で枢機卿になり、あとは教皇の座を受け継ぐのがいつになるのかだけだったパトリック。
「わたくしはね、あの子がわずか八歳で国教会に連れて行かれる時、ガッデンハイル家のそれは、運命なのだと自分に言い聞かせて、諾々と送り出してしまった」
ローザリンデの手を握ったまま、公爵夫人が初めて萎れた顔を見せた。
八歳から十四歳になろうとしている今まで、約六年の間、きっと毎日それを悔やんでいたのだろうと思わせる表情。
もし自分が、自らのお腹を痛めた子供を、そんな風に取り上げられてしまったならば…。
それは、想像に難くない。
公爵夫人は、うっすらと目を潤ませて続ける。
「神官服に身を包み、はるか遠くの祭壇で祈るあの子しか目にすることは出来ない。それは、この王国に、王家に一番近しいところで忠誠を誓う公爵家としては、そうするのが当たり前だったのかもしれない。けれど、今の王国を見て、本当にパトリックを捧げるほどの値打ちがあるのかと、日々自問してきたのです」
きっと、これで良かったのだという思いと、本当にそうだったのかという思い。
それは、パトリックのたった一人しかいない実母の、紛れもない本音だった。
「でも、今回、あの子自らが神学校を休学して、ここに戻って来たのです」
そうだ。
前の時、パトリックはそんなことをしなかった。
ひたすら神の道を究めようと、その身を捧げていたのに…。
「国教会は手放すまいとしました。最後には王家まで使ってパトリックに脅しをかけたようです。結局は、パトリック自らが直接教皇と交渉をして、休学、という時間をもぎ取ったのです」
ローザリンデはその言葉に目を見開いた。それは初耳だった。しかも、将来を嘱望された身とはいえ、一介の神学生でしかないパトリックが、教皇とじかにやり取りをしたとは。
公爵夫人の話は続く。
「公爵家に戻って来たパトリックに、真意を問い質しました。けれど、息子はただ、自分のことを見つめなおす時間が欲しいからとしか言わないのです…。わたくしはパトリックを自分の手元に取り戻したいけれど、それが彼の希望となるか重荷となるかすら分からなくて、日々思い悩んでいました」
そう言えば、自分にもそんなことを理由として話していた。手紙でも報せてくれていたはずだから、伯爵家に戻り手紙を探せば、もっと理由が詳しく書かれているのかもしれない。昨日から今日、見返す時間もなくこの場に来たことを、ローザリンデは悔やんだ。
でもね…と、公爵夫人が握ったままのローザリンデの手を、再度ぎゅっと握りなおす。
「あの子が、ここに戻って、ただ本を読みぼんやりと過ごしていたあの子が、初めて外に出て行ったのです。昨日」
昨日。ローザリンデがパトリック出会った、昨日。
「初めて外に出て、何をしに行ったのかと思ったら、わざわざ会いに行ったのよ、あなたに。そうよ、たった一人の幼馴染。たった一人の友達。あなたはパトリックにとって、誰にも代えがたい人間なの」
「おば様…」
「わたくしは、昨日御者から報告を聞き、すぐにそれを利用しようと思ったわ。神官にとって、いいえ、行く行くは教皇にもなると目されるような人間にとって、異性との醜聞は致命的ですもの。だからあなたを利用して、パトリックが『ただの男』になる可能性を残そうと思ったのよ」
滔々と話される公爵夫人の言葉に、ローザリンデは圧倒された。
パトリックは『片想いごっこ』を仕掛けて来て、その母親は自分を『特別な異性』に仕立てようとしている。二人まったく期せずして、同じことを考えていたなんて。
しかも、それは計画だけではなく、実際に街のカフェで、今日のお茶会で実行されてしまった。
あくまで、『大切な友達』の範囲を今は越えていないはずだが…。
けれど、人の口に戸は立てられない。最悪、取り返しのつかない事態になってしまったらどうするつもりなのだろうか。
「と、今朝までは思っていたわ」
そう言って、公爵夫人は、例のパトリックとそっくりのいたずらっ子のような笑顔を見せた。
今朝まで?では、今はそれを取り消してくれたと言うのだろうか。
公爵夫人は、ソファーからさっと立ち上がった。
そして、執務机に戻ると、一通の手紙を手に取る。
「ローザリンデ。これを読んでごらんなさい」
ローザリンデは、言われるままに立ち上がり、執務机の前まで行くと、無紋の封筒に入っている手紙を手に取った。
「それは、我が家が使っている人間から、先々週来たものよ」
かさかさと、上質な紙がこすれる音をさせ、ローザリンデはその手紙を読み進める。
その目は二枚目に入る頃には驚愕に見開かれ、最後の行を読んだ後、公爵夫人へと注がれた。
「どう?わたくしが、この茶会にあれらの家門を集めた理由が分かったかしら?」
ローザリンデは、信じられなくて、もう一度その手紙に目を落とした。
返事をしなくとも、公爵夫人はローザリンデがその理由を理解したと判断する。そして、言葉を続ける。
「この国は、腐り始めているわ。そんな国のため、国教会のためになど、大事なパトリックの身を捧げさせるものですか。パトリックは、パトリックのために生きるべきよ。さらに、今日、あなたという得難い人間が、すぐパトリックのそばにいることを知ってしまった」
手紙から顔を上げ、公爵夫人を見つめる。
夫人の視線は、まっすぐ自分に注がれていた。
そして、その唇は、弧を描きこう告げた。
「パトリックに、『ただの男』になる可能性など必要なかったわ。『ただの男』になるべきなのよ。ローザリンデ、あなたという素晴らしい伴侶を得て、ね」
呆然とするローザリンデに、夫人はさらに言い募る。
「ガッデンハイル公爵夫人におなりなさい。ローザリンデ」
頭が真っ白になった。
読んで下さり、ありがとうございます。