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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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フィンレー・ザン・チュラコス

この国の筆頭公爵家の金と黒の大門を、いくつもの家門の美しい装丁の馬車が、それぞれの屋敷に向けくぐり出る。


そのどれもが、今日の茶会の主催のテーブルで起こったことを、正確に理解し一族で判断しなければと考えを巡らせていた。


中でも、チュラコス公爵家の馬車には、来るときは別の馬車で来たはずの嫡男フィンレーが、公爵夫人の真ん前に立派な体躯を折るように陣取り、同乗していたはずの従者と侍女はもう一つの馬車に追いやられていた。人払いよろしく。


「例の茶会はいつなのですか?」


チュラコス公爵夫人が、話しかける。目の前の息子は、琥珀の瞳がさらに濃い金色を帯び、感情が高ぶっているようだ。きっと、最後にローザリンデに話しかけ、「お会いするのを楽しみにしております」とにこやかに返されたせいだ。


フィンレーは緩んだ頬を意識的に引き締めると、咳ばらいをして答える。


「来週の、水の日です」


言った途端、またしても頬が緩む。

何しろ、今にして思えば、ローザリンデが王立学院に入学してきたその日に、フィンレーはその心を撃ち抜かれていた。


生徒会の人間として入学式に出席し、その後、時間つぶしに廊下でしていたチェス。

パペチュアルチェック(何度も同じ動きを繰り返させられる)でドローとされ、皆が立ち去った後諦めきれずに盤面を見ていた時、後ろから声がしたのだ。


『そのポーンをc4ではなく、b5にしてみればどうだったのでしょうか』


振り返ると、ダークブロンドの髪が濡れたように輝く、明らかに新入生と分かる真新しい制服姿の少女が立っていた。


そんなことは自分も考えたと思い、やけくそで『では、そこから指してみよう』と言って始めると、その新入生はそこから数手先でナイトを使い、結局パペチュアルチェックの状態から上手く脱出してみせたのだ。


二歳も年下の、しかも女子生徒に自分が出来なかった局面を打開され、フィンレーが忸怩(じくじ)たる思いで顔を上げると、目の前には、少し赤味がかった榛色の瞳が、自分をじっと見つめていた。


『まさか、本当に打開できるとは思いませんでした。このビショップが実は効いてくるんですね!』


と、瞳をキラキラとさせて。

それが、ローザリンデ・ザン・シャンダウス令嬢との初めての出会いだった。


次にその新入生を見かけたのは、学院の図書館だった。

いつも勉強していた。

噂によれば、伯爵家には彼女以外継嗣がおらず、将来は婿をとって伯爵家を継ぐべく勉学に励んでいるという。


だからだろうか。

この伯爵令嬢は、自分がチュラコス公爵家の嫡男だと知った後も、他の令嬢たちのように甘ったるい視線を投げかけてくることもないし、すり寄ってくることもない。


いつ声を掛けても、礼儀正しい下級生として折り目正しくあいさつを返し、誘えばたまにチェス盤を挟んで向かい合うだけ。でも、その『シャンダウスのヘーゼル』の瞳は、盤上の構想を練っている時、いつも何よりもキラキラと理知的な輝きを放って、いつの間にかフィンレーの目をくぎ付けにするのだ。


中には、『地味な令嬢だな』などという輩がいたが、見る目のないやつだと思う一方で、この美しいヘーゼルを自分だけが独占しているのだと歓喜もしていた。


いつもまとわりついてくる幾人かの令嬢も、フィンレーが一度釘を刺してからは、彼女に手出しして来なかった。ローザリンデが伯爵家の継嗣で、公爵家の嫡男である自分と結ばれることがないとわかっているせいもあっただろう。


チェスの合間に交わされる軽妙な会話のやり取り。実直な指しまわしが多いのに、時に大胆にサクリファイスを行うこともある意外な面。また、フィンレーの体調がすぐれないのに気づき、寄宿舎の部屋に帰ると薬草が届いているようなさりげない気遣いと思いやり。


そんなすべてがたまらなく愛おしい。

フィンレーはローザリンデを好きにならずにいられなかった。


自分が学院を卒業する最終学年。三年生になったローザリンデは、その優秀だが謙虚な性格や、美しいダークブロンドの髪で、秘かな人気を集めていた。彼女を手に入れ、伯爵となることに野望を抱く者もいたが、そう言った不埒な輩は、ローザリンデが『生徒会長(フィンレー)のお気に入り』だと知ると、手出しして来なかった。


実際には、フィンレー自身が、どうにか彼女を手に入れる手段はないかと最も画策していた。

理性では分かっていても、まだ誰のものでもない以上、ローザリンデを諦めきれない。

これが継嗣の貴族女性でなければ、とっくの昔に婚約を結んでいただろう。


そして、とうとう思い余った彼が手を出した手段が、『シャンダウス伯爵の隠し子探し』だった。


結局、目的の隠し子は発見できなかったが、その調査過程で、フィンレーは、ローザリンデがいわゆる『継子の洗礼』を受けていることを知った。

いつか、チェスは祖母との思い出が詰まっていると話した時の、儚げな表情の意味も。


そんなある日、突然王立神学校と交流行事を行うことになった。その中には一人だけ、明らかに神学校の生徒としては年齢が幼い、かの有名な『ガッデンハイル公爵令息』がいた。


そして、その令息とローザリンデが親し気に会話し、彼女が親愛のこもった笑顔を向けた時、初めて嫉妬という感情を覚えた。

しかし、その時、所詮相手は少女のような顔をした子供だと自分を抑えた。


なのに、今日、ローザリンデをエスコートして中庭に入って来たガッデンハイル公爵令息パトリックは、一年前とは別人のような『男』の顔をしていたのだ。


(くそっ!やはりあいつはいけ好かない…。だが、結局ローザリンデ嬢が茶会に来てくれることになったのは、あいつが口を出したお陰だからな…。あいつが何を考えているのかは知らんが、俺の心は決まっている)


自分の卒業とともに、ローザリンデが自主退学をしたと聞いた時、もしや婚姻相手が決まったのかと心臓が痛くなった。しかし、まったくの真逆の状況、異母弟が生まれ、ローザリンデは伯爵家を継ぐ必要がなくなり、屋敷に呼び戻されたようだと聞かされた時、フィンレーはすぐさま、社交界シーズンの始まりを告げる、毎年恒例のチュラコス公爵家の夜会の招待状を送った。自筆の手紙を添えて。


ただ、返事は来なかった。かなり落ち込んだ。


次に王宮の大夜会で目にしたローザリンデは、調査報告の中身を見せつけるように、田舎の男爵令嬢でも着ないようなドレスを身に着け出席していた。


胸が痛くなった。どうしてこうなる可能性を事前に考え、ドレスの一つも贈らなかったのかと、自分の気の回らなさに髪を掻きむしりたくなった。


けれど、ローザリンデは自らのダークブロンドの髪をただ一つの宝石として、まっすぐ背筋を伸ばして立っていた。フィンレーはそんな健気な彼女に声を掛けることすら出来なかった。出来たのは、彼女に近付こうとする男どもを、家門の力を使ってけん制することだけだった。


新聞で、シャンダウス家の連れ子の婚約が、カスペラクス侯爵家の次男と結ばれたことを知った。

思ってもみなかったような縁組で、フィンレーは慌てた。今までライバルとして眼中になかった、軍閥とのつながりがシャンダウス家に出来たのだ。


学院出身以外の男と縁ができそうな事態に焦ったフィンレーは、婚約したばかりの侯爵令息の友人に相談した。その友人は、お茶会に招待してはどうかと提案してきた。

自分は、お茶会と称して婚約する前に意中の令嬢を招待し、二人きりの場で求婚をしたと言うのだ。


『もちろん、その前にお義父上に求婚の許可はいただいていたけどね』


そんなローザリンデを追い込むような求婚はしたくないが、とにかく、もう何カ月も見ることが叶わないあの『シャンダウスのヘーゼル』の瞳を、チェス盤を挟んだよりも近い距離で見つめたい。


フィンレーは、すぐさま招待状を書いた。

友人とその婚約者には招待状がいらないので、出すのはたった一通だけ。

想いよ届けとばかりに、心をこめて(したた)めた。


もちろん、伯爵宛てにも、求婚の許しを願う手紙を忘れずに書いた。


どうせ、フィンレーが女性に送る手紙や招待状の類に関しては、執事から母へきっちり報告されているだろう。

シャンダウス家の令嬢に何度か送る招待状に、未だに否やが唱えられないなら、あとは自分の行動あるのみだ。


そんな時、母親からガッデンハイル公爵家の茶会への同道を請われた。

ヨリハカラム鉄鉱山で疑われる、()()()()()()不祥事を実地調査するために、本来なら今日から現地に向かうつもりだったが、急遽明日に繰り延べることにした。


ガッデンハイル公爵家は、その夫人とローザリンデが遠いながらも同じ一族というつながりがある。しかも、彼女の幼馴染である『いけ好かないガキ』パトリックが、最近国教会から帰還しているという噂で持ち切りだ。


「喜んで、お供いたします」


行って正解だった。


中庭にローザリンデが現れた時、初めて目にする淑女として隙なく装った姿に、眩し過ぎて息が止まるかと思った。

次に、ローザリンデとパトリックが、互いの色をまとっていることに気付き、その点はイラっと来たのは間違いない。しかし、二人はあくまで公式には単なる『友達』だと、自分に言い聞かせた。


しかし、今日のローザリンデの立ち居振る舞いに、どれだけの適齢期の子息を持つ家門の夫人たちが反応したことだろうか…。


その中でも、来週すぐ会える自分は、間違いなく一歩、いや三歩は先んじているだろう。

学院で共に過ごした時間という、他の者にはない積み重ねてきたものもある。


(パトリック殿が、あくまでローザリンデ嬢を『友達』と言っているうちは、俺に必ず分がある)


チェックメイトをするのは、誰でもなく自分なのだと、フィンレーは心に誓った。



読んで下さり、ありがとうございます。

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