お茶会 5
ラーラはきょとんとして、しかしパトリックの笑顔に、褒められているのかと嬉しそうに上目遣いで彼を見た。
そんなはずがないのは、この母娘以外は百も承知だ。
そして、パトリックは目じりの涙をぬぐいながら、言葉を続けた。
「僕と君が『お友達』?どうして?それに、なぜ母上が君の『おば様』なんだ?」
その質問に、ラーラは再びきょとんとした。
その表情が、幼い子どものようで、ローザリンデは一瞬胸が痛む。
この子は、本当に何もわからず、何かを考える知識も与えられていない。
前の時もそうだった。小手先のテクニックや他人へ対する悪感情だけを植え付けられ、本当に必要なこと、本質的に大事なこと、本来身につけて然るべきことを、何も教えられていないのだ。
ラーラ、待って!
しかし、心の叫びが聞こえるわけもなく、ラーラはさらに思ったままを口にしてしまう。
「え?だって、わたしのお義姉さまは公爵夫人を『おば様』と呼んで良くて、パトリック様とは『お友達』なんでしょう?だったらわたしとも…」
パトリックはラーラに皆まで言わせなかった。
「君は、大きな考え違いをしている」
と、言葉を被せて。
そして、一気にまくし立てる。
「母上は、自分と同じ一族の血をひくリンディに特別な親しみを持っていて、『おば様』と呼ぶことを許している。ぼくも、幼い頃からずっと親密に過ごした縁で、彼女のことを『大切な友達』と思っている。君は、母上と血縁があるのか?そして、ぼくと親密に過ごした時間があるのか?たまたまシャンダウス家に自分の母親が後妻として収まっただけで、ぼくらとなんの縁も持たない君が、それだけでローザリンデと同等の権利が得られると思っているのは、大きな間違いだ」
ラーラは、瞬きもせずにパトリックの顔を見つめていた。
もしかしたら、言っている意味が分かっていないのかもしれない。だが、自分が非難されたことは彼の表情と口ぶりで分かったのだろう。
ラーラは青い瞳を潤ませると、せっかくパトリックの髪色を意識して装った頭のリボンをぶるぶると震わせ、サクランボのように赤い唇をかんだ。
それは、男性なら思わず手を差し伸べたくなるような可憐さだったかもしれない。
しかし、パトリックは容赦がなかった。
そんなラーラに、次の刃を向ける。侮蔑の表情を添えて。
「だから、さっきから、勝手にぼくのことを名前で呼んでいるけれど、それもやめてくれないか?ぼくのことは、きちんと家名で呼んでくれ給え。君に名前を呼ぶことも、ぼくが話す前にそちらから話しかけることも、どちらも許した覚えが一切ない。母上を『おば様』と呼ぶのも、金輪際考えないように。まあ、こんなことは、学院に入学する前の子どもでもわきまえていることだけれどね」
かつて、ラーラがこんなにきつい口調で、誰かに何か言われたことがあっただろうか。
パトリックが言いたいことを告げるや否や、彼女の大きな瞳から、とうとうこらえきれずに涙が一粒落ちた。
それを見て、なぜか伯爵夫人がローザリンデのことを鬼のような形相で睨む。
(そんな表情だけの脅しが、もうわたしに通用しないことを昨夜知ったはずなのに、一晩寝たら忘れたのかしら…)
ラーラには、憐憫の情を覚えたローザリンデではあるが、この三十路を過ぎた伯爵夫人にはそんな感情を持ち合わせない。何より、前の時の不幸の源を自ら作り出した一人で間違いないのだ。
ローザリンデは覚悟を決め息を吸った。パトリックとラーラの間に割り込むために。
そして、伯爵夫人に向かって、まるで覚えの悪い生徒に教えるように、ゆったりとした口調で話しかけた。
「お義母様。だから、わたしが言っておりましたでしょう?」
途端に、伯爵夫人が昨日のことを思い出したのか、ぴくりと肩を震えさせた。
昨夜、使用人たちの前で恥をかかされたことは、さすがにまだこの夫人の記憶に新しい。
「な…なにを…」
パトリックが不快そうに眉を上げた。ローザリンデが彼の言葉の切っ先を、横から手を出し逸らしたからだ。
しかし彼女は表情とは裏腹に、必死だった。伯爵夫人が理性もなく喚く前に、この場を納めなければならない。
この母娘が、とんでもなく礼儀と教養に欠けると知られてしまったこの場でだ。
シャンダウス家の正統な伯爵令嬢として、これ以上、この茶会で、自らの家名に泥を塗る行為をさせるわけにはいかなかった。
パトリックが、自分のためを思ってくれているのは分かっている。しかし、彼女にとって守るべきは、自分ではなく家門なのだ。
ローザリンデは意を決した。知られてしまったことは、潔く認めてしまうことにした。今更取り繕っても無駄だから。
そうして、言葉を続ける。言い聞かせるように。
「ラーラは体が弱くて、王立学院に通わなかったせいか、年齢の割に幼いところがありますでしょう?でも、誰もが羨む良縁にも恵まれたのですから、お義母様も卒業なさったマダム・ヘジリテイトの花嫁学校へ、今から通わせましょうって」
突然出て来た、『マダム・ヘジリテイトの花嫁学校』という言葉に、伯爵夫人とラーラは、ローザリンデが何を言い出したのかまったく分からず、ただ呆然と彼女を見た。
しかし、間髪入れず、畳みかけるように続ける。
してもいなかった話である以上、相手に反論させる隙を与える暇はない。
そして、自分の左右に首を振り、公爵夫人とパトリックを見ながら口を開く。
「おば様、そしてパトリック。ラーラの無邪気な発言、申し訳ありません」
無礼ではなく、無知。ローザリンデは、この失態の理由をそう説明する。
どちらもありえない理由だ。しかし、大きく違う点があった。無知には、悪意はないからだ。
口元の扇で、面白そうな表情を隠す公爵夫人と、憮然としているパトリック。
ローザリンデは自分の話に乗ってくれそうな公爵夫人に向けてさらに続ける。
「わたしも、生まれたばかりの異母弟にばかりかまけ、義妹のことをきちんと見ておりませんでした。ですが、カスペラクス侯爵家に嫁ぐまでに、シャンダウスの名に恥じぬよう厳しく躾けますので、どうかこの度のことはお許し下さいませ」
そして、立ち上がり、何十年も磨き続けた、流れるような一部の隙も無い淑女の礼でもって、公爵夫人とパトリックに、頭を垂れたのだ。
それによって、緊張を孕んだ場の空気が、一瞬にして変わったのが分かった。
目の前の公爵夫人は口元から扇を外し、満足そうに微笑む。
しかし、一向にそれをぼんやりと見ているだけの伯爵夫人母娘に、パトリックが業を煮やして口を開いた。
「ほお。リンディは、義妹であるシャンダウス伯爵夫人の令嬢に関して、代わりに非礼を詫び、さらには今後の責任まで負うと言うのかい?シャンダウス家の人間として?」
そうローザリンデに問いながら、少年とは思えない剣呑な表情は、正面からラーラに向けられる。
「それで、当人である君は?」
そう言われた途端、ラーラは思わず椅子から飛び降りると、ちらちらとパトリックを見ながら、ローザリンデと同じように頭を垂れた。
そして、その場の空気に気圧されるように、伯爵夫人もそれに続く。
こうなれば、この謝罪を受け入れない方が、その不寛容さで自らの格に傷をつけてしまう。
パトリックは、この母娘を徹底的にこの顔ぶれの前でやり込めるつもりの気勢を削がれ、恨みがましい目でローザリンデを見た。
しかし、ここで言える言葉はただ一つ。
「わかった。リンディに免じて、この度のことは不問とする。母上もよろしいですね?」
公爵夫人は短く、「リンディに免じてね」と、ことさらローザリンデの存在を強調する。
「ありがたき幸せに存じます」
ローザリンデは、さらに深く頭を下げた。
伯爵夫人母娘も、それにならうしかなかった。
ガッデンハイル公爵夫人が八年ぶりに主催した茶会は、ローザリンデの実質的なデビュタントの場として、その場にいたこの国を左右する家門の貴族夫人たちに、強く強くその存在を印象付けることとなった。
やっとお茶会が終わりました。
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