表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
251/259

箱の中 1

予想通り裏庭に慌ててやってきたラーゲンにより、パトリックはすぐさま屋敷の中に案内された。


実際には夜番の下僕もきちんと自分の役目を果たそうとしていたが、「早く来過ぎたようだ。少し庭でも見て時間を潰すよ」とパトリックに言われ、判断に迷っている間に、勝手知ったる公爵令息が裏庭に行ってしまったのだ。


だが、パトリックとて、まさかローザリンデがまるで自分がやって来るのを待っていたかのようなタイミングで窓を開けることを期待して、裏庭に行ったわけではない。なのに、そこから幼馴染の部屋の窓を見上げた途端、さーっと白いレースのカーテンがはためいたのを目にした時は、見えざる何かの力を、自分のために信じたくなった。


そして今、二人はシャンダウス家のコンサバトリーで、小さなテーブルを挟み向かい合っている。

そこはフィンレーとの婚約期間中に、人目を気にせず過ごせるような改装がなされたままで、そこにパトリックを通すことを躊躇ったローザリンデは、自分の家にもかかわらず、どこかぎこちない風情で食後の紅茶を前にしていた。


だが、そこで話がしたいと言ったのはパトリックだ。

ただ単に、フィンレーから聞いたことのあるこの場所が、これから大切なことを伝える場所として、ふと最適なのではないかと思いついたまで。


かつての婚約者と過ごした場所に、パトリックを通すことを気まずく思うローザリンデの心の機微など、今の彼にはまだ分かるはずもない。


パトリックはヘンドリックがワゴンを押して母屋の方に戻っていく音に耳を澄ましていた。

そしてその音が完全に聞こえなくなると、椅子に座ったまま、突然何かを短く口ずさむ。(うた)うようなそれを耳にした時、ローザリンデはそれが聖言であることに気が付いた。


前の時、大聖堂で皆が思わず聴き惚れたパトリックの(うた)うような聖言。


見た目も何もかも、前とはあまりにも変わってしまったのに、その心を捕らえる声音だけは、大聖堂に響き渡ったそれと寸分変わらず聴こえる気がした。


そして一瞬、視界のすべてが白い光に包まれる。

ローザリンデは思わずパトリックを見た。その光には覚えがある。聖ヨハンデール修道院で放たれたあの光と、同じ色。


「今、神力を?」


鼻歌を歌うような気軽さで放たれたそれに、驚きを隠せない。

するとパトリックはいたずらっ子のような笑みを浮かべ、紅茶のカップを捧げ持ち告げた。


「どうやらぼくはこの力をどんどん自在に使えるようになっているみたいだ。今放った力で、この空間の時間の流れは外と変わった。それにより、ぼくらの会話は、戸口に耳をつけていたとしても聴こえないだろう」


それは、初代教皇が作り上げた、いくつかの特別な部屋から着想した簡易的な神力の応用。

本当ならば、大聖堂の半地下に造られた、ガッデンハイルの人間しか解錠出来ない『隠された静寂の部屋』にローザリンデを連れて行きたいところだが、今のあの場所は王立騎士団や官警が多数出入りし、とても落ち着いて二人のこれからのことを話し合う雰囲気ではないだろう。


そして、この玻璃の貴箱からの感情の解放は、絶対にローザリンデの前で、誰にも邪魔されず二人きりで行いたかった。


だから、ラーゲンに案内されたダイニングで、王都に来ていたシャンダウス伯爵との会話もそこそこに、気もそぞろになりながら朝食を摂り、支度を終えて現れたローザリンデが食事を終えるや否や、大事な話があると言ってここに来たのだ。


しかしローザリンデの方は、今目の前で見せられた神力の発現に度肝を抜かれて、部屋の四方をキョロキョロと見回し、パトリックとの話どころではなくなっているようだ。


そんな二人の間にあるテーブルに、パトリックはマントから大事そうにコトリとそれを置いた。


瑠璃色の、小さな玻璃でできた箱を。


途端に、ローザリンデの視線がそれに注がれる。

それは、裏庭で見せられてからずっと、彼女の意識の大半を奪っていったものだった。


デイドレスに着替えている時も、朝食を摂っている間も。


パトリックは言ったのだ。


「これはかつて、ぼくから奪われていた『心』。そして、それを、やっと国教会から取り返して来た」


と。


そして、小さな箱から目が離せない幼馴染に、パトリックは告げる。


「これからぼくが話す、長い話を、最後まで聞いてくれるだろうか」


ローザリンデはうなずいた。

パトリックのことなら、それが例え自分にとって辛い事実であっても、受け入れられる。

そんな気持ちだった。


パトリックは、紅茶のカップに口を付けた。

唇を少し湿らせ、そして語る。


「じゃあ、八歳のぼくが、国教会へ連れて行かれたところから、聞いてくれるかい?」


聖言を口にする時よりも少し低い声。まだ変声期が終わり切っていない少しかすれた耳触りの良い声が、パトリックの前の時の人生を語り始める。


ローザリンデは真摯にそれに耳を傾け、もうすでに断罪されている教皇への怒りに身を震わせた。

聖ヨハンデール修道院の女司祭の話から、何となく察した部分もあったが、まさか教皇による神力の搾取が、そんな形で行われていたとは思いもしていなかったからだ。


「パトリックごめんなさい。わたしあの頃あなたに、能天気に自分の学院での楽しい話ばかり書き送っていたわ…」


三つ年下のパトリックが、大人ばかりの国教会で不安気に過ごす表情を想像して、ローザリンデは思わず詫びた。しかしパトリックはそれに首を振る。


「謝らないで。リンディからの手紙は、いつだってぼくの心の拠り所だったよ。いや、あの頃のぼくのすべてと言っても良い…」


たまに送られてくる幼馴染からの手紙がすべてだなどと、一体どれほど抑圧された日々を過ごしていたのか。

だが、その後に語られる話は、さらにローザリンデにとって衝撃的だった。


「だからこそ、ぼくのすべてを支配しようとしていた教皇は、ぼくの感情を敏感に察知して、それを自覚するより以前に、徹底的にその可能性を排除する手を打ってきた」


「何をされたの…?」


恐々と尋ねるローザリンデに、パトリックはできるだけ淡々と告げた。


「神への、いや、『時戻しの術』の執行への道を追究するために、不要なものを排除するように説得された。そして、ぼくはそれを受け入れた。それは、生殖器官の切除だ」


その途端、ローザリンデがハッと口を手で抑えた。

前の時の、ガッデンハイル枢機卿が、どこか現実離れした存在感を有していたのは、まさかその為なのかと思って。


しかし衝撃はそれだけでは終わらない。


「けれどその直後、ぼくはリンディからの手紙を受け取った。ゲオルグ殿と結婚することになったという手紙だ。そして、リンディとやっと会えたのは、大聖堂での婚姻式の日。ぼくはあの日、痩せ細り、まったくしあわせとはかけ離れたリンディの様子に、自身の中の君に抱く感情が何であるのかを、やっと自覚したんだ」


その言葉に、ローザリンデの中で、今までずっとキツく蓋をしてきた感情が、溢れ出しそうになる。

あの時、パトリックの手を拒絶したことを、ずっとずっと悔やみ続けてきたと。


だが、それは言葉になることなく、パトリックの告白は続く。


「だからリンディをあそこから連れ出そうとしたんだ。けれどその場で君に拒まれて、そして、その理由が君の中で息づく新たな命だと言われて、ぼくは絶望してしまった。なぜなら、あの時のぼくには、君が希望だと言った子どもという存在を、もう授けることが出来なくなっていたからだ…」


そこでパトリックはまぶたを閉じた。

その時の絶望を思い出したかのように、その表情は苦悩に満ちていた。

読んで下さり、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ