醜聞 2
未婚の男女が密室に二人きりでいたというだけで、醜聞の立つ社交界。
そして、フィンレーという婚約者がそばにいれば見過ごされることも、逆に行動を共にしなければ、勝手に別の意味を持たされてしまう。
初めてそこに思い至ったパトリックは動揺した。しかし、伯爵はその動揺を違う意味に取ってしまう。
「まさか…、本当に?!」
それにパトリックは慌てて否定の声を上げた。
「何をおっしゃる!」
その語気に伯爵がひるむ。その顔を見て、そのまま畳みかけた。
「伯爵!父親であるあなたが、間違ってもそのようなこと、口にしてはなりません!しかもリンディの尊厳は、まったく傷のひとつもついていないというのに。ぼくが動揺したのは、ぼくと王都へ帰って来たことで、そんな風に邪推される可能性がある、ということに驚いたからです」
それを聞き、今度は伯爵が身を乗り出しパトリックに詰め寄る。
「それは、間違いないのですね?!」
「初代ガッデンハイル教皇に誓い、真実であると申し上げます」
パトリックが間髪入れず宣誓した瞬間、伯爵はくたりとソファーに腰かけ、そのまま身を沈めた。
しかし、これで不安がすべて払拭されたわけではない。
「では、どうしてチュラコス公爵令息は、ローザリンデを置いて先に王都へ帰って来られたのですか?過日の令息であれば、自らのそばから我が娘を手放し、例え幼馴染のあなたであろうとも、他人に託すとはとても考え難い」
それはもっともな話だ。
フィンレーによるローザリンデへの執着ぶりを近くで見ていた者ほど、その疑念を抱かざるを得ないだろう。
だからこそ、父親として最悪の想定をしたのかもしれないが、これは今後のために、はっきりとした理由を立てておかなければならないと、パトリックはすぐさま思った。
もちろんそれには、フィンレーの協力も必要だ。何しろこうなった原因は、間違いなくあちら側にあるのだから。
けれどその前に、伯爵を納得させるため、ここは真実を織り交ぜながら、ひとまず無難な答えを返すべきだと、パトリックは判断した。そう考えれば、言葉はすぐに口から転がり出る。
「フィンレー殿は、ひとまず目前に迫っていた婚姻式の対応をするために、ひと時も置かずに騎馬でチュラコス家へ戻る必要があったのです。しかし、その最短の日程に令嬢であるリンディを伴うのは無理がある。彼女は怪我など負っていないとは言え、過酷な環境で何日も過ごし、疲弊していましたから。ですから、ぼくがリンディと共に王都へ帰ると言ったのです。色々な邪推を産んだのかもしれませんが、本当の理由など、このように単純なことです」
立て板に水のパトリックの説明に、伯爵は口をつぐんだ。
そして頭の中で、その言葉のひとつひとつを反芻するかのように時間を空けた後、やっと口を開いた。
「確かに…。本来ならば婚姻式は明後日のはずでしたし、女司祭の一件が明るみ出て、現在国教会は部外者の立ち入りが禁止されておりますから、それは致し方ないことと受け入れております」
そこで伯爵は苦し気に眉根を寄せ、一瞬考えた後、続ける。
「…ただ、それに当たり、チュラコス家から婚姻式の延期と、今後改めて話し合う場を設けたいという正式な使いを、一昨日いただきました。しかし、その時の使いの者の態度が、これまでの公爵家の雰囲気とはがらりと変わり、まるでこちらに咎があるような物言いを…」
それを聞いた途端、パトリックは音を立ててソファーから立ち上がった。
伯爵が驚いて見上げれば、その表情は、宗教画の聖人のように麗しい彼の相貌を、見たこともない憤怒に満ちたものに変えている。
「その話は本当ですか…?」
あまりの剣幕に、伯爵は気圧されるように、「チュラコス家からの護衛はそのまま配備されていますし、わたしの思い違いなら良いのですが…」と、答えるのに精一杯。しかしパトリックはわなわなと拳を震わせると、ソファーの上に置いていた剣を取り上げ、応接室の扉へ足早に歩き出した。
「ご令息?」
伯爵が慌ててその後ろ姿を追おうと立ち上がったところで、パトリックがくるりと振り向き告げる。
「フィンレー殿に、確かめなければ」
いつもは明るいはずの翡翠色の瞳が、頭に血が上っているせいか、ただ暗いオイルランプのせいなのか、深い森のような暗い色を帯びる。
「リンディに、何の落ち度もないことは明白。なのに、使者風情がそんな態度を取るなど、厳重なる抗議に値する。フィンレー殿の意をはき違えた輩だろうが、それでも咎は、チュラコスにある」
そう吐き捨てると、自ら扉の取っ手を持ち、がちゃりと開けた。
「リンディに醜聞など立てさせるものか。この件は、ぼくに預けて下さい。必ず、彼女の名誉は守ります」
廊下に出てそう大きな声で告げると、パトリックはそのまま慌ただしくエントランスへ向かう。
疲れた体でここに来たのは、眠る前に、ローザリンデの顔が見たかったから。
しかし今はその前に、しなければならないことが出来てしまった。
(まだ今日、このまま眠るわけにはいかない…)
こんなことなら、王宮内ですれ違った時、あのブルネットの髪に掴みかかってやれば良かったと、パトリックは歯噛みした。あまりに憔悴した顔で、ローザリンデが無事に伯爵家へ到着したことだけを確かめて来たから、よもやこんなことになっているとは思ってもいなかった。
カツカツと性急に歩く足音と、扉がバタンと閉まる音が、エントランスホールの吹き抜けに響いて消えた時、
「パトリック…?」
階下からした大きな声に、その真上の部屋にいたローザリンデが、慌てて大階段の上に駆け出てきた。
しかし見下ろすエントランスには、つむじ風のように立ち去った公爵令息を見送るために慌てて外へ出るラーゲンと、応接室から追いかけて来たであろう伯爵が悄然と立ち尽くしている。
何事かとすぐに階段を駆け下りれば、その姿を認めたヘンドリックが慌てて玄関の扉を大きく開けてくれた。
けれど、馬車寄せには、もうパトリックの姿も、その愛馬も跡形もない。
ただ馬丁とラーゲンが、何も見えない大門の方を見送っているだけだった。
誤字脱字教えて下さる方。本当に感謝しております!
読んで下さり、ありがとうございます。