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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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呪いを解呪する運命の人 3

翌日、パトリックは扉を叩く音で目が覚めた。

まぶたを開ければ、まだ部屋は薄暗く夜も明けきらない時間。中から誰かを問えば、遠慮がちな声が掛けられる。


「フィンレーだ」


パトリックは銀の髪をくしゃりと掴み、険しい表情を浮かべたが、扉を開けるために寝台から降りた。確かに、このまま城塞で別れるには、絶対的に互いに言葉が足りていない。本音は、大切な幼馴染との婚姻式の直前で心変わりする男など、同じ部屋の空気も吸いたくないが。


下着にトラウザーズを素早く履くと、パトリックは帯刀して扉を薄く開ける。扉を開ける時に、いかなる時も警戒するようになったのは、ここ数か月の習慣。


だが、薄く開けた隙間には、悄然として生気のない男が突っ立っていた。


「少し、良いか?」


懇願するような目を向けられ、パトリックは仕方なく大きく扉を開ける。

ここ数日で、まるで体が一回り小さくなったように感じるフィンレーが、しっかり旅仕度を終えた服装で、部屋に入って来た。


「もう立つのですか?」


見ればわかることをパトリックが口にすると、フィンレーは気まずそうにうなずく。そして、目を逸らして、散々逡巡したのち、口を開いた。


「…まるで逃げるような出立だ。言いたいことは色々あると思う」


その通りだ。だが、自分自身の変化について行けず、困惑するフィンレーを突き放したのはパトリックの方だ。昨日そうされるまで、いや、もしかしたら今この時も、フィンレーは自分がかつて抱いていた、ローザリンデへの愛情を取り戻そうと、必死でまだあがいているのに。


拒絶されなければ、婚約者がそれに気づいていなければ、きっと彼は、過去の自身の気持ちを信じてローザリンデをそばに置き、正式に婚姻までしていただろう。


そこまで考えて、パトリックはやっと険を含んだ視線を和らげると、フィンレーを見た。

そして、彼が、いや、チュラコス家の直系が運命づけられた『チュラコス家の呪い』に思いを馳せる。


その『呪い』とは、結ばれるのが困難な相手を強く愛してしまうこと。そして、その困難を乗り越えて結ばれなければ、一生を恐ろしいほどの孤独感の中で、ひとり生きなければならないというもの。


フィンレーの叔父が、その孤独感に耐えられず、自死を選んだのは生々しい事実だ。


そもそも、初代チュラコス公爵の恋人であり、建国のために公爵自らの手によって人柱とされた魔女が残した、この『呪い』は、結局、初代以降の直系たちの『祝福』でもある。この『呪い』を名分に、彼らはどんな相手と結ばれることも許されて来た。ただ初代公爵は、恐らくその『恐ろしいほどの孤独感』に耐えながら、死をもってして初めて、その最愛の人と結ばれたのかもしれないが。


だから、彼らは心の中に運命の人に燃やす熾火(おきび)を持っている。


そしてローザリンデは、フィンレーの熾火に、確かに火を点けた人間だった。

学院の入学式の日、チェス盤を挟んであの『シャンダウスのヘーゼル』を見た時、心の中の火が点くのがはっきりと分かったのだ。


今もその火は消えていない。ただ、かつては大きく燃え盛っていた炎が、今は、ただ穏やかにちろちろと燃えているだけ。


しかし、運命の人だと思った人が、思い違いだった話など、長いチュラコス家の歴史でも聞いたことがない。

一度王都へ戻り、過去の公爵家の記録を紐解くなり、父である公爵に確かめてみるなりしなければならないが、それでも今ははっきりと、心の火がかつての熾火に戻ろうとしていることを感じる。


それは、自身の『呪いを解呪する運命の人』を失うかもしれない、恐怖。


今も、あのヘーゼルの瞳を見ると、美しいと思う。ほっそりとした肩を見れば心細さを和らげてやりたいと思い、しあわせを願う。


だが、決定的に違うのだ。


そのしあわせで彼女を包む相手は、自分だけだという強い執着が無くなってしまっているのだ。


フィンレーはパトリックを見た。


まだ十四歳の、だがこの数カ月で、まったく変わってしまった少年。

短く切られても神聖な光を放つ銀の髪に、宝石よりもきらめく瞳。作り物めいていた白皙の美貌は、今や血の通った瑞々しい若木のようだ。


この少年が、たったひとりの幼馴染のために、時まで巻き戻したのを知っている…。


「ロージィ…いや、ローザリンデの横に君がいてくれて、これほど心が安らかになる日が来るとは、思いもしなかった」


そう言って伏せた瞳に、くっきりと刻まれる苦悩。


パトリックは、その時初めて、フィンレーに対して憐憫の情を覚えた。

何もかもが頼もしく、男として足りないところなどないと思っていたこの青年が、今はただ、『運命の人』を失ってしまうかもしれない恐怖に、成す術もなく狼狽えている。


『呪い』を背負っていない自分には、想像もつかない気持ちなのかもしれない。けれど、『唯一の人』を失ってしまう恐怖なら、自分にも容易く手に取るように、パトリックには分かった。


昨夜の別れ際のことを思えば、ローザリンデは、もしかすると、この状態に何かの解答らしきものを見つけたのかもしれない。そしてゲオルグが、はっきりと二人は婚約を解消すべきだと言っていた以上、やはり理由があるのは間違いない。


今のこの状態は、前の時を知る者から見れば、あり得べきものだということか…。


パトリックは、思わずうつむくフィンレーの肩に手を置いた。

そして、一言だけ告げる。


「確かなことは聞けていないが、どうやらゲオルグ殿が、リンディにこの婚約を解消すべきだと話していたらしい」


それを聞いた瞬間、フィンレーが顔を上げる。

そして、確かめるように問うた。


「…ずっと思っていた。ゲオルグ殿は、君たちのように巻き戻って来た、ローザリンデのかつての夫なのではないか、と」


その言葉に、パトリックは無言でうなずく。

フィンレーは、短く「はっ!」と息を吐き出すと、両手で自分の顔を覆った。そして、呻くように呟く。


「やつには、これが分かっていたというのか…?」


大きな手で隠された顔が、どんな表情を浮かべているのかは分からない。

それでも、やっとそこから上げた顔は、情けなく歪められていた。


「…そしてそれを俺に告げるなんて…。お前は…」


「それをどう取るかは、フィンレー殿に任せよう。ぼくは事実のひとつを伝えただけだ」


淡々と告げるパトリックに、フィンレーは目を閉じうなずく。憐れみと取るか、赦しと取るか…。

顔から離れた手は、そのまま扉の取っ手を握った。

開けられた扉から、朝日が射しこむ。


「ローザリンデに、必ずまた連絡すると伝えてくれ」


フィンレーが、背を向けたままパトリックにそう告げた。

しかし、パトリックは間髪入れずにきっぱりと返す。


「連絡は、ぼくにしてくれ。今後リンディが、君と二人で会うことはないだろうから」


その言葉に、フィンレーの肩が一瞬だけ上がった。

いつでもローザリンデが第一の、パトリックらしい、と思ったのかもしれない。


大きく扉を開け放すと、廊下の窓からベンダウラン峰が見えた。

それを見て、パトリックの心は、唐突に晴れ晴れとした。


そして、十四歳の誕生日の朝、ドア越しに一晩中ローザリンデと語り明かしたあの朝の自分の決意が、またふつふつと自らの胸の内を満たしているのを感じた。

読んで下さり、ありがとうございます。

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