白い光 2
いつもいつも妬ましく思っていた。
この家紋が刻まれた、二人しか乗れない幌馬車で出かけていく義姉を…。
そんなおかしな考えが浮かび、ラーラは慌てて頭を振った。
「違う違う。いつもあの馬車でパトリック様が迎えに来ていたのはわたしなのに」
そして筋張った指で短剣を握ると、手の届く距離に立つローザリンデの方を見る。
その顔を見るだけで、腹の底から憎しみが湧いてくるのが分かった。
この女が、自分と愛しいあの人を引き裂き、こんなところに追いやった。そうなれば、ただもう、『殺してやりたい』としか考えられなくなってくる。
しかし、ふと気になり周囲を見れば、クライネフがゲオルグの剣で押されながら、必死に辺りを見回していた。
そしてその瞳が、ローザリンデを捕えたのに気づく。
クライネフは、ローザリンデを盾にして、この場を逃れようと考えていた。
だが、ラーラにはそんなことは関係ない。
そうしている間にも、クライネフが一瞬の隙をつき、ローザリンデに猛然と駆けて来る。
それを見て、ラーラは思った。
(これはわたしの獲物よ…!!)
クライネフに気付き、ローザリンデがそちらを見る。
しかし、ローザリンデのこちらへの注意が逸れた瞬間、ラーラは短剣を振りかざし、目の前の憎い女目掛けて迷いなく振り下ろした。
ローザリンデが殺気に振りむく。
そして、咄嗟にその刃を、自分の両手で握って止めた。
ラーラの手には、骨に刃が当たる感触が伝わり、すぐにローザリンデの両の指の隙間から、真っ赤な血がどくどくと流れ出る。
自分の目と鼻の先にあるローザリンデの顔が、苦渋に歪んだ。
それこそ、自分が見たかったはずの顔。
憎い女を傷つけた!今こそ快哉を叫べ!
なのに、ラーラの口から転がり落ちたのは、頭の中から指示されるものとはまったくかけ離れた信じられないもの。弱々しく、ささやくような…。
「ごめんなさい、お義姉様…」
口にした途端、そんな言葉を発した自分に驚くように、ラーラは短剣の柄から手を放した。
それに気づいたローザリンデは、すぐさ自分を害した女から離れると、その短剣を傷ついた手で握りなおす。
そして振り返った。こちらに猛然と駆けて来るクライネフに。
目の前には、もうあの暗い緑の瞳が迫っていた。
ローザリンデは手の平の痛みを忘れ、短剣を強く握り込む。そして、自身の体を低くして、何度も練習した通り、腰で構えて体ごと、向かってくるその体に短剣を押し込んだ。
その刃が、深く肉に刺さった重い手応えに、思わず手を放す。
すると、自分に覆いかぶさるようにクライネフの大きな体が倒れ込んだ。
一瞬その唇が、笑ったように歪んで、何かを呟く。
だが、押しつぶされる寸前に、その体は背後から投げるように取り払われた。
そこにいたのはゲオルグ。
クライネフの首には、そのゲオルグの長剣が深く食い込み、石畳の上にあおむけに横たわる敵の中将は、もうすでに絶命していた。
ローザリンデは、咄嗟にその息絶えた体から短剣を抜こうとした。パトリックから授けられた大切な短剣を。だが、厚い筋肉に突き刺さったそれは、柄まで血まみれで容易に抜けず、そのまま引っ張った反動で倒れてしまう。それを助け起こしてくれたのは、ゲオルグだった。
手を持って引っ張り上げられ、ローザリンデはしかしすぐに違和感に気が付く。
(手に…痛みが無い…!)
自分はさっき、ラーラに振りかざされたこの短剣を、両の手で握って止めたはず。
さっきまでは無我夢中で痛みなど感じなかったが、今こうしてゲオルグに握られても何も感じないのはどういうことか。
ローザリンデは起き上がってすぐ、慌てて自分の両の手を見た。
そして呆然とする。
「傷が無い…」
開いて見た自分の手の平。そこにあるのは血の流れた痕だけで、ほんの少しの傷もない。
そして、はたとして、目の前のゲオルグを見上げ声を上げる。
「ゲオルグあなた、どうして…」
ついさっきまで、ラーラの撒き散らす甘い息にやられ、クライネフによって深手を負わされ立つのもやっとだったはず。それが、院長室から走り出て、逆に敵将を討つとは…。
「うう…があ!!」
その思考は、ラーラの唸り声で中断させられる。
声の方を見れば、パトリックの代わりに切られたウルガーが、ラーラの口に猿ぐつわをかませ、あっという間に体を拘束していた。
「ウルガーまで…。なぜ?」
呆然とするローザリンデを両肩を掴み、ゲオルグが言う。
「すべては後だ。ローザリンデは院長室に行き、パトリック殿の介抱を頼む。わたしたちは、隣国に取り込まれているこの修道院の収束に全力を注ぐ」
一瞬ローザリンデに瞳に不安が浮かんだ。ゲオルグとウルガーの二人しかいないと思っているからだ。
そして、かつての夫であるゲオルグは、それを敏感に察知した。
だから、彼にしては珍しく、少し微笑み告げる。
「ここには、ロウワーとデハイムを潜入させてある。そして、ロウワーは鳩をワッツイア城塞へ飛ばしているはずだ。夜明けとともに、第七騎士団がやってくるだろう」
そうしてゲオルグの見る方角に目を向ければ、遥か彼方ベンダウラン峰の稜線に朝日が。
「大丈夫なのですね?」
そのローザリンデの言葉に、ゲオルグが短く「大丈夫だ」と返した。
そして、一瞬逡巡するような表情を浮かべる。どうしたのかと深緑色の瞳を見返せば、思い切ったように口を開いた。
「…唐突だとは思うが、あなたとこうして話をするのも、これが最後かもしれないから言っておく」
その言葉に、ローザリンデは身構える。
しかし、次に出てきたのはまったく予想だにしない言葉だった。
「…チュラコス公爵令息との婚約は、解消した方が良い。あなたが幸せになるのは、彼とではない」
シャンダウスのヘーゼルが、あまりのことに大きく見開く。
驚きのあまり口をつぐんだかつての妻の肩を、ゲオルグは万感の思いで二つ叩いた。
「あなたの幸せを、いつも祈っている」
そして、ゲオルグはさっと身を翻すと、未だ混乱の声が聞こえる兵舎に向かって走り出す。
ローザリンデはその後ろ姿を呆然と見送った。
今の言葉の意味が、どうしたって頭の中を駆け巡る。
しかし、ふらふらと院長室へ歩き出したローザリンデに、ウルガーが声を掛けた。
その足元には、猿ぐつわをはめられ、手足を縛られたラーラが大人しく横たわっていた。
ローザリンデの思考が、一気に現実に引き戻される。
頭を振り払い、ウルガーを見た。
「お嬢様。わたしはこの者を騎士団に引き渡して参ります。ですから、どうかパトリック様をお願い致します」
その言葉に心臓がドクンと鳴る。
ゲオルグとウルガーの奇跡的な回復。その原因は、考えてみればパトリックしかありえないではないか…。
ローザリンデはすぐに走り出した。
ウルガーに「ラーラを頼みます」と大きく声を上げながら。
読んで下さり、ありがとうございます。




