女司祭の部屋 3
ローザリンデは戦慄した。ラーラのあまりの変わりように。
前の時、社交界で羨望の的だった美しい白金色の髪は、かすかに帯びていた金色が褪せてしまい、まるで老婆の白髪のように見える。長身のローザリンデとは対照的に、庇護欲をそそられる小柄で華奢な体は、まるで鶏ガラのようにやせ細り直視するのが辛いほどだ。
『シャンダウスの妖精』と呼ばれたラーラのかつての美しい容姿が、今は見る影もない。
代わりに目立つのが、落ちくぼんでしまった眼窩の奥でぎょろぎょろと落ち着きのない、それだけは昔と変わらぬ真っ青な瞳。
だが、視線が定まらず、白目は赤く充血して、それは奇異な印象を与えるだけ。
クライネフが私兵に支えられるように歩いていたラーラの左腕を無造作に持つと、ローザリンデの枕元まで荷物のように引きずって来た。あんな風に腕を持たれたら痛いはずなのに、ラーラは声も上げず虚ろな表情を浮かべている。
そして、いつの間にそうしたのか、クライネフが仮面を被っていることに気がついた。まるでラーラに自身の顔を隠すように。
しかしそういった思考は、すぐにかき乱される。
寝台のそばに連れて来られたラーラが、そこに横たわるローザリンデを見るなり、大声でわめき始めたからだ。
「お姉様今頃来たの!!遅いわよ!お姉様がわたしを妬んで、パトリック様に愛されているわたしをここにやったことは分かっているのよ?!今すぐ王都へ帰して!パトリック様が王都で待っているのよ!」
そう言って身を乗り出したかと思うと、ローザリンデの耳のすぐ横で、がちん!と歯が鳴る音がする。
そのあまりの剣幕に、みぞおちの痛みも忘れ思わず寝台から起き上がったが、次には激しい痛みに襲われ、そのまま寝台に身を伏した。けれど、そこで動いていなければ、今頃自分の耳にはラーラが食い付いていたに違いない。
クライネフが、やせ細ったラーラの腕を持ち引っ張り上げる。
「何をするの?!あんたはわたしに協力するんじゃないの?」
腕を持って吊り上げられる様に、ローザリンは息を呑む。あのままでは、肩の関節が外れてしまうのではないかと思ったから。しかし、そのままラーラを床に打ち捨てると、一緒にいた兵士にあごをしゃくり、その身を拘束させた。
「お姉様!わたしの方が美しいからって、恨まないで?どうせ最初から、うんと年上のお姉様は、相手にもされていないのだから!」
両腕を後ろにひねられているというのに、ラーラの勢いは衰えない。
そして叫べば叫ぶほど、部屋に甘い匂いが充満する。
ローザリンはその匂いに気分が悪くなり、思わず目を閉じた。
「おや、毒気にあてられたか?重度の依存者は、体から出るものすべてが汚染されているからな。耐性のない者はきついだろう」
今の言葉はどういう意味なのか?
しかし今やローザリンデの額には、冷たい汗がびっしりと浮かんでいた。
その様子を見ていたクライネフが、ふと何かを考えるような仕草の後、懐のサシェから取り出したものを口に含む。そして枕辺の水差しから一口含むと、ローザリンデのあごを掴み、再び唇を塞いだ。
強制的に何かを流し込まれる。
口の端から水が伝い、鼻をつままれた瞬間、注ぎ込まれたものを反射的に飲み込んだ。
なにかが食道を通るのを感じる。…丸薬…?
「なにを…?!」
もしや、毒…?!
兵士が驚いた顔で、自分とクライネフと見比べているのが見えた。
何を飲まされたの…?
どっどっと不安に心臓の鼓動が跳ね上がる。
目の端に、匂いに耐え兼ねたのか、女司祭が部屋を出て行くのが見えた。
一体この匂いは何なのか。
そして、今自分は何を飲まされたのか。
しかし、少しも経たない間に、目に見えて体の不調が和らいでいくことにローザリンデは気が付いた。
クライネフが言う。
「中和剤だ。この後役に立ってもらう必要があるから、お前までおかしくなっては困る」
中和剤…。クライネフと兵士は耐性があるということ?そして、ついさっき口にした『依存者』とは、ラーラのことだろうか…。
ゾッとして、ローザリンデは仮面の男を仰ぎ見る。
しかし、その瞳すら見えない今は、何の感情も伺い知ることは出来なかった。
「姉に復讐をさせてやろうと、せっかくここから連れ出してやったのに、お前はまったく役に立たなかった。まあ、今考えればそれで良かったのだが…。だが喜べ。こんなになっても、ローザリンデの瞳には、お前は立派に義妹に見えるようだ」
「当たり前でしょ!わたしとお姉様は正真正銘血がつながった姉妹。ふたりとも正統なる伯爵令嬢なんですもの。お姉様はわたしにとっても優しかったのに、こんなひどいことを!!お父様もお母様も、そしてパトリック様も、美しいわたしの方を愛したからって、ひどいわ!!」
そのラーラの言い分に、ローザリンデは息を呑む。
さっきからその言動に違和感を感じていたけれど、一体いつの間にラーラの中でそんなことになっていたのか…。
もしかして、これがラーラの本心、いや、本望なのか。
シャンダウス家で生まれ育ち、優しい両親と姉がいて、愛されて育った伯爵令嬢。
そして、パトリックと出会い、互いに恋に落ち、しかし、実の姉に妬まれた末に、無実の罪で修道院へ追いやられた…。
いつしかそんな絵空事が、ラーラの中で事実になっていたのだ。
強い願望の現れとして…。
ローザリンデの瞳が潤む。
憐れと思ってなのか、悲しいと思ってなのか…。
その姿を見て、クライネフが兵士に指示を出す。
すると、兵士はラーラの口に猿ぐつわを噛ませると、後ろ手に縛り上げ目隠しをした。
ラーラがもがきながら、唸り声をあげる。
ローザリンデは思わずきつい眼差しでクライネフを見上げた。
クライネフもローザリンデを見ながら、ことさらゆっくりと仮面を脱いだ。
その顔は、愉快そうに微笑んでいる。
「面白い女だ。自分を罵る女に情が湧くか。だが、そうであればあるほどこちらには好都合」
ゆっくりとクライネフが身を屈める。ローザリンデの上に。そして、ささやくように言った。
「ラーラの命が惜しくば、やつらにこの北部から手を引かせるのだ」
ダークブロンドの髪を一房とり、口づけながらさらに言う。
「でなければ、やつらもこの聖ヨハンデール修道院から、無事に出ることは叶わないだろう」
その時、女司祭が立ち去った隣室から大きな音が聞こえて来た。
「小神官様!お逃げください!」
ローザリンデが思わず顔を起こす。
クライネフが暗く笑った。
「来たな」
激しい音と共に、扉が外れるほどの勢いで開けられる音。
必死に体を起こそうとして、その両肩はまた寝台に押し付けられる。
「リンディ!!!!」
パトリックの声が、ローザリンデの耳に届いた。
合流するまで長かった~…。
読んで下さり、ありがとうございます。




