五番門 2
バタンという乱暴な音が聞こえて、ローザリンデは身を固くした。
音がしたのは、自分がいた建物の方。
クライネフがローザリンデがいなくなったことに気付き、建物の外に出てきたのだと、瞬時に悟った。
そして、一歩足を動かしてハッとする。じゃりっという音が立った。
慌てて自分の足元を見れば、土がむき出しの部分と草が生い茂っている部分。ローザリンデはじりじりと体をずらし、草地の上に足を置いた。自分の立てる足音を消すために。
クライネフは必ず自分を探し始めるだろう。そして、捕らえられれば命の保証はないのだと、頭の中で警鐘が鳴り続ける。王都でカフェから連れ出されそうになった時も、騎士団は自分の生死まで含めて考えていた。
建物の隙間から、五番門の表通りを窺い見る。鉱山の道は、端は土のままで所々草が生い茂るが、荷馬車などが行き交う部分は、一番門から六番門までは石畳が敷かれている。だから、耳を澄ませば足音が聞こえた。
ローザリンデは深呼吸をして、全神経を耳に傾ける。
何しろここはは人気もなく、静かだ。
六番門に一番近い、公爵家のための建物から、足音はゆっくりと四番門へと向かう方向に歩いているように聞こえた。建物の裏手にいるローザリンデは、その足音が土を踏む音にならないかに集中する。その音に変わると言うことは、表から建物の裏手にクライネフが回ろうとしていることを指すからだ。
今いる場所は、恐らくちょうど六番と五番の中間ほどの建物の裏側。ローザリンデは呼吸の音すら立てないよう、自分の手で口を押さえて耳を澄ます。
コツコツと石畳を歩く音だけが断続的に聞こえて来た。
このままその足音が五番門を抜け、四番門の方へ行ってくれれば、自分は六番門の方へ走って行こう。
心臓が喉を突き破りそうな緊張感をはらみながら、そう、頭の中で何度も自分の動きを想像する。
(早く行って…!!)
ローザリンデは、心の中で祈る。
祈りが通じたのか、足音は止まらない。
そこに、突然声がした。
息を呑む。
聞こえてきたのは低い男の声。しかし、何をしゃべっているのかなかなか判然としなかった。
それもそのはず。
(隣国の言葉…?!)
これで確定した。『アデナの門』には、いや、少なくともこの五番門には、隣国の人間が私兵に成りすまして潜入しているということが。そして、何らかの方法で五番門のチュラコスの人間を排除し、我が物顔で歩いているのだ。
しかしローザリンデにとって、これは事態のさらなる悪化を告げていた。
追手が、ひとりから複数に増えてしまったのだ。
クライネフと思われる、若い男の声がする。厳しい口調で部下に命じているのが分かった。ローザリンデは隣国の言葉は日常会話程度なら分かる。だから、クライネフの良く通る声が発する言葉の中に、『令嬢』『追手』『クスリ』などという単語が混ざっているのも分かった。
(わたしを捕えてクスリで何かしようと…)
そう考えてゾッとする。
そして、本当に逃げ切れるのかと絶望感に襲われた。
声の数からして、クライネフを含め、三人はいるように思われる。
ローザリンデは腰の短剣に右手をやった。
このまま自分の命を楯に、彼らの前に飛び出すしかないのか…。
その時、隣の建物の裏に放置された、朽ちた飼い葉桶が目に入った。
そして、それを見たローザリンデの頭がめまぐるしく働く。
あれを使って、何とかできないか…と。
ローザリンデは草地をそろそろと動き、自分が潜んでいる建物と、隣の建物の隙間から表を窺った。
そこには外套を羽織った人間の背中だけが見える。
しかし背中が見えると言うことは、その向かい側には相対する人間が居ると言うことだ。
隣の建物に移るローザリンデの陰が、その人間から見えないとも言いきれない…。
耳を澄ます。
《…荷馬車で…、四番門…確認できません》
《六番…我々がいました…》
《では…令嬢は五番門から…いない…だな?》
その言葉で、クライネフたちが、自分がまだ五番門にいることを悟っていると知った。
万事休す…!!!
(いいえ、諦めないわ…。わたしは一度死んで、巻き戻って来た人間よ。ここで諦めたりしない…!!!)
ローザリンデは大きく息を吸いこむと、隣の建物を強く見つめた。
そして、今一度表を窺う。
やはり男の背中が見えている。
しかしもう躊躇しなかった。
草地の上を選び、脱兎のごとく建物から建物に移る。
一瞬その隙間から、誰かの顔が見えた気がした。
それでも飼い葉桶に駆け寄った瞬間、枯れた木の桶を持ち上げ、渾身の力で隣の建物の裏、六番門の方へ投げ捨てる。
カシャン!!!
乾いた音を立て、飼い葉桶がバラバラになるのが見えた。
咄嗟に、投げる時に飼い葉桶から落ちた何かを拾い上げる。
男たちが上げる声が五番門にこだました。
「何の音だ?!」
「裏に回れ!!」
地面をける足音が、まるで心臓の音のように耳に迫る。
いや、それは実際にローザリンデの胸で打つ、心臓の早鐘のような鼓動でもある。
しかしローザリンデは、すぐには動かず耳を澄ました。
そして、足音が自分の右側、六番門寄りから聞こえることを確かめると、そっと首を出し自分の左側の建物との隙間の通路を窺う。
果たしてそこには予想通り、長身の影。
クライネフだと瞬時に分かった。
思った通り、部下に音の確認をさせ、自身はその後、表に飛び出してくるであろうローザリンデを捕えるために、表から動かず、あえて反対側を監視しているのだ。
右手からは複数の足音。
心臓は、さっきから胸を突き破らんばかりに鼓動を打つ。
ローザリンデは藁にも縋る思いで、右手に握っていた、飼い葉桶の中から転がり落ちた錆びた蹄鉄を、隣の建物の屋根目掛け放り投げた。
ガシャン!
屋根に張られた粘板岩が割れる音がする。
闇の中、クライネフの顔が動くのが見えた。
部下たちの足音が迫る。
ローザリンデは、クライネフが動くのを祈った。
そうして、影が動き出す。
途方もなく長く感じた一瞬の後に。
クライネフの影が見えなくなった建物の隙間を、ローザリンデは全速力で駆け抜けた。
表の道へ。
そして、六番門へ行きつくことを願って。
文中《 》で括られた会話は、隣国の言葉でのものです。
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