パトリックの短剣
いつもは人気の少ない『ハフナの門』が、その日は多くの人でごった返していた。
春になり、採掘作業が通常の規模に拡大されるのに合わせ、多くの男たちが毎日のようにここで採用審査を受けているのだ。
もちろん門の中ではなく、門の外。街道に面して作られた審査場でのことである。
北部の鉱山では、鉄だけでなく貴石も採れた。なので、審査はより厳重になる。
心身の健康は勿論、過去に雇われたことのある者に関しても、確かな身元を保証する推薦状が必要だった。
ただし雇用が決まれば、その身の自由が制限される代わりに、数カ月の間は完全に衣食住の面倒を見てもらえるうえに、通常の倍に近い給金が支給される。
だから、相当の倍率があるにもかかわらず、春と秋の新規雇用の時期には、多くの力自慢の男たちが集まってくるのだ。
そしてこの『ハフナの門』の、すべての大門をくぐったその奥に、ローザリンデは匿われていた。
匿われているとは言っても、その建物はチュラコス公爵家の人間が宿泊するために作られたもので、主寝室の他に寝室が二つある充分快適な場所。
そこの寝室のひとつをローザリンデが使わせてもらい、伯爵令息であるメイナードが、残ったひとつを使っていた。
もちろん邸内には、フィンレーが手配した年配の女性の使用人が三名、常駐してくれている。
一階の詰め所のようなところには、チュラコス家の子飼いの私兵も、交代で昼夜必ず護りを固めていた。
ここでローザリンデの出来ることはあまりない。
初日はひたすらそこにあった本を読んで過ごしたが、二日目からはパトリックが置いて行ってくれた短剣を手に、メイナードから剣の扱いの手ほどきを受けていた。
最初これを依頼した時、メイナードには即座に断られたのだが。
パトリックにしても、気持ちの上でのお守りの意味合いで持たせたのだろう。
しかし、ローザリンデには多少の心得があった。
彼女は前の時は、第一騎士団団長夫人、救国の英雄の夫人だったのだ。
しかも、あの悪夢の記憶、王弟派による国王派の『貴族狩り』を経験している。
ましてやカスペラクス家門は、王弟派からは常に国王の手先として狙われていた。
そしてあの時、ローザリンデには、自分の身を呈しても護りたい対象があった。
子どもたちだ。
もちろん家門の腕利きの護衛が常に周辺を護ってくれてはいたが、それでもローザリンデはその立場に甘んじてはいなかった。
だから、あの当時、子どもたちと共に休んでいた寝室にはクロスボウを常備し、枕の下には常に護身用の短剣を隠し持っていた。
護衛の騎士にのひとりに、その短剣で、襲撃者のどこを狙うべきか、そして、どこに力を込めるべきかを武器を片手に実地で教えられたのも、あの頃。
しかし、パトリックが授けてくれたものは、自分がかつて持っていた物よりも重く、かつ刀身が少し長い。
前の時のものは、ローザリンデのために鍛造された軽い剣だったが、これはパトリック用に鍛えられた、重く取り回しにくい剣だった。
「それでも重たい分、相手の急所に入ればかなりの痛手を負わせることが出来るでしょう」
メイナードが、ローザリンデに手本を見せながら、自身の短剣を最短距離で振り下ろす。
それは、頭の中でこしらえた相手の喉を、見事に掻き切っていた。
「しかしご令嬢は、一体どこで心得を?」
最初こそ、『ご令嬢が短剣など…』と、手ほどきの依頼を拒んでいたメイナードだったが、ローザリンデが短剣を構えた姿を見せると、しばらく考えて願いを了承してくれた。さすが若いながらも第一騎士団に名を連ねる騎士であるメイナードには、ローザリンデがそれを手にするのが初めてではないことがすぐに分かったのだ。
その問いに、ローザリンデは用意しておいた答えを口にする。
「…幼い頃はお転婆でしたので…」
その返事に、相手はちょっと目を見開いた。
王都で命を狙われたと分かった時でも冷静沈着に状況を飲み込み、自分たちに感謝をしながら、泣き言も言わずに軍馬で山を越えた令嬢が、短剣を扱える理由を『お転婆』で済ませようとしたことで、唐突に彼女が十七歳だと思い出されたのだ。
「ふ…ははっ!」
思わず吹き出してしまう。
副団長や、両公爵令息は、この令嬢を身近に見て来たから当たり前のように受け入れているが、メイナードから見れば、過去に類を見ない『女傑』だ。もしこんな令嬢の存在を自分の母が知ったなら、今すぐ求婚状を送れとせっつくだろう。
前にも口にしたことがあるが、この令嬢に『シャンダウスの外れの方』と名付けた人間の見る目の無さに、心底驚きだ。
我が強く自己主張の激しい、いわゆる『気の強い』ご令嬢ならたくさん知っている。
優し気で見目が良く、第一騎士団と一目で分かる黒ずくめの騎士服のメイナードに寄って来る令嬢には、そう言う手合いも多い。
(しかし、本当に芯の強い人というのは、こういう人をいうのだろう…)
惜しむらくは、すでに彼女がチュラコス公爵令息の婚約者である点だ。
いやだからこそ、『腹黒』と騎士団で認識されているあの喰えない令息ですら、衆目も気にせず婚約者を大切にし、最優先にしてしまうのだ。
しかも、あまりにも麗しくて、未だにメイナードがその顔を直視することを出来ないガッデンハイル公爵令息まで、こうして『アザミと長剣』の紋が入った自身の短剣を、このご令嬢に授けて行った。
それはただの幼馴染というには、あまりに重い感情の表し方かもしれない…。
(それにうちの副団長まで…。このご令嬢に何の感情もないとはとても思えない…)
そこまで考えて、メイナードは思考を止めた。
(ようは、自分などには高嶺の花…。そういうことだ)
目の前では、ローザリンデが腰を落として短剣を構え、体重をかけて足を踏み出す。
メイナードは、にやりと笑んで腕を組んだ。
(かつて、命の危険に晒された経験があるのだろうか…。長い年月修練を経た動きで間違いない。もしかすると、油断した相手なら、一撃で…)
そう思いながら。
読んで下さり、ありがとうございます。




