塔の住人
「修道院の中は、驚くほど何も変化がありません」
一日の終わり、ワッツイア城塞の近くに密かに張った野営地で、ゲオルグはロウワーの報告を聞いていた。
デハイムと昼夜交代で、王都からの報告も受けながら、隣国側の修道院での指揮官をあぶりだす活動も難航しており、『アデナの門』で待つ両公爵令息に報告すべき大きなこともない…というこの二日を過ごしていた。
これでは、パトリックが口にした、いきなり女司祭に接見し、令息自ら説得に当たるという、失敗した後は取り返しのつかない方法しか残らなくなってしまう。
何でも良いから手がかりを掴みたいと、修道院に傭兵として潜伏させているロウワーからの報告に一縷の望みを抱いていたが、どうやら収穫無しのようで、ゲオルグは考え込む時のくせで、顎に手をやった。
「隣国側も今のところ大きな動きはないです。王都の部隊からも、潜伏先の出入りの動きはないと伝令が来ました」
デハイムからの報告も、すでに確認済みの内容。
この八方ふさがりで手詰まりの状況に、しかし指揮官は何かを得ようとした。
「傭兵の出入りは?」
「新兵の加入は今のところないです」
「使用人、及び修道女は?」
「そちらも動きは」
「国教会からの使者などは」
「ありません。書状が届けられた様子もないです」
「厨房、厩舎、兵舎、変化は?」
「厩舎で老いたロバが一頭死にましたが、それ以外はありません」
「死因は?」
「毒の使用や傷は見当たりませんでした」
そこでゲオルグはひとつ息をつく。
そして最後に、確認のつもりで問いかけた。
「『祈りの塔』は?」
「変化ありません。一日一回、傭兵崩れの小間使いが、粗末な食事を運んでいます。あ…」
そこで初めてロウワーが言葉を切った。
ゲオルグが促すように顎を撫でていた手を止め、そちらを見る。
ロウワーはもう一度記憶を反芻するように斜め上を見ると、確信をもって言葉を続けた。
「いつもパンひとつと干し肉一切れ、濁った何か飲み物のようなものを持っていくのですが、記憶の残像に違和感があるかもしれません…。なにかが足りなかった…?」
ただ盆に載せ忘れただけかもしれない。
ロウワーの記憶違いかもしれない。
しかし、小さな変化も見逃してはいけない。
とくに、その他のことが、まるで判で押したように変化を見せない時には。
「今すぐ修道院へ戻り、『祈りの塔』を確認しろ」
「了解いたしました」
返事をするやいなや、傭兵の姿のロウワーが野営地を立ち去ろうとする。
しかし、そこにゲオルグはもう一声かけた。
「くれぐれも気配に注意しろ。悟られれば、命に係わるかもしれん」
それに振り向きざまにうなずく。
その声掛けをされたことを、後になってロウワーは感謝した。
でなければ、自分の体はあっという間に首とその下が切り離されることになっていたかもしれなかったからだ。
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修道院へ戻ったロウワーは、夜闇に紛れて『祈りの塔』へ近付いた。
ここは例の食事を運ぶ使用人以外、人っ子一人通ることもない、修道院の敷地の端。
いつもなら、木立を抜けて来るそこだが、副団長から掛けられた言葉が頭に残り、ロウワーはがさがさと葉擦れの音を立ててしまういつもの経路を避け、崖伝いに塔へ近付くことにした。
しかも細心の注意を払って、一歩一歩『じゃり』という音さえ立てずに進む。
その時だった。
突然ざざぁと音がして、木立の間から何かが飛び出して来た。
崖の上端に目から上だけを出し、音がした方を見れば、黒い物体が。
それに二つの光るものが見え、獣だと判断したその瞬間。
その黒い物体が、一閃の光によって、両断されてしまったのだ。
断末魔の唸り声もなく、血しぶきが草の上のバラバラと散らばる音と同時に、どさりとそれが地に伏す振動が伝わる。
まさに一瞬のことだった。
俊敏に動く獣を一刀で仕留めてしまったその使い手に、ロウワーは息を呑む。副団長の声掛けで、いつになく警戒感を最大値に上げていなければ、危うく崖を掴む手を緩めてしまうところだった。
背筋に汗が伝う。
さっきまでそこに人の気配など、微塵も感じなかったところに、突然湧き出るように現れた剣士に。
銀の大刀が、鈍い光を放ち、ブン、と音を立てて振られたのち、カチリと鞘に収まり光が見えなくなった。
「鹿か…」
その呟きだけが、ロウワーの耳に聞こえた。
そして確信する。
あれほどの手練れが護るこの塔は、必ずや大きな手掛かりになるはずだと。
ロウワーはその場所で、数刻じっと過ごした。
暗闇の中、夜陰に紛れようとも、あの剣士は気配だけで自分を察知し両断するだろうと。
だから逆に、夜明けを待った。
その判断は正しかった。
ぼんやりと空が白み始めた頃、黒づくめの剣士の姿が、ロウワーの目にも見えた。
そして、辺りの気配をじっと探るように睥睨したのち、木立を抜けて修道院の方へと歩いて行く。
分かっていたのだ。
夜闇に紛れて、この塔を探りに来る人間が、必ずやいるだろうことを。
目深にかぶったフードから、ちらりと見えたのは明るい金髪。
きっとこの先顔を合わせることがあるはずだと、ロウワーはその姿を目に焼き付けた。
そして、その男が立ち去って半刻後、塔の真裏から這い上がり、ロウワーは明り取りのあるところまで、石の壁をよじ登る。そして知る。
二日前にはいたはずの、この塔の住人が、すでにここにいないことを。
石畳の上には、パンが二個と、瓶が二本転がっている。
それは塔の中の人間が二日前からいないことと、誰かが食料を運ぶという偽装工作を命じ、それを外部に知らせないようにしたということを指し示していた。
ただその人物は、傭兵上がりの小間使いが、干し肉をちょろまかし自分の胃袋に収めることまでは考えが及ばなかったようだ。
ロウワーは、ここに来て初めて掴んだ大きな変化に心臓の動悸が激しくなったのを感じる。
何しろ彼は、『ハフナの門』での作戦会議の時に聞かされているのだ。
この塔に幽閉されている人物が、副団長の少し前までの婚約者であり、伯爵令嬢のかつての義妹でもあり、かつガッデンハイル公爵令息に何かとんでもないことをしでかして、この修道院へ送られたということを。
来た時以上に、息もままならないほど細心の注意を払い、ロウワーは塔から降りる。
野営地で待つ指揮官に、この事態を少しでも早く、報告するために。
何だかお話が、恋愛じゃないパートが延々続いて、自分で書いてて行き詰まります。
この辺さくっと簡潔にして、ラブラブのシーンに早く辿り着きたいのですが…。
ラブ要素なしにもう少しお付き合いください。
読んで下さり、ありがとうございます。




