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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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反撃に転ずる 2

執事はハッとして振り返った。

下僕も思わず居住まいを正した。


バーゼル夫人でさえ、伯爵夫人でもラーラでもなく、思わずその声のする方に体を向けた。


使用人たちが思わず仰ぎ見た先には、今朝まで使用人同然に扱われ、虐げられていたはずのこの家の令嬢が、少しの隙も許さぬ緊張感をまとい、伯爵夫人に対して、対等以上の存在感で制止の声を上げていた。


伯爵夫人は、有無を言わせぬ気迫に、完全に飲まれていた。

ラーラに至っては、全く状況が把握できず、ただただその場の威圧感に気圧され、思わずバーゼル夫人の袖に縋っていた。


「おやめ下さい」


ローザリンデは再度制止の声をあげ、ずいっと前に歩み出る。

そして、執事を自分の背後に置くと、その前で右手を広げ、これ以上の手出しは許さぬと、行動で指し示した。


落ち着いた声音で話かけたローザリンデに、伯爵夫人はやっと自分を取り戻すと、自らも一歩踏み出し、突然反抗的になった愚かな娘の前で威嚇するように胸をそらした。


「一体何様のつもり?わたしにそんな態度を取って、どうなるか分かっているでしょうね」


目をすがめ、ローザリンデを睨みつける顔は、確かに夫人の中の醜悪な性根を露わにし、相手を怯えさせるものがある。


しかし、それだけだ。この女が持つのは、伯爵夫人という肩書きを笠に着ただけの、不安定な権力でしかない。確かな家門の後ろ盾も、自らを守る知恵も人間も、そしてその手に持つ剣もないのだ。


ローザリンデは、かつての自分が、このような女の脅しに怯えていたのかと哀れに思った。


ある日、父が気まぐれに連れてきて放置したこの母娘に、恐怖し、振り回され、そして破滅への道を選択してしまった自分が愚かしい。シャンダウス家を醜聞から守ることに囚われ、結果、誰も彼もを不幸にしてしまった。


しかし、今度は間違えない。


ローザリンデは、威圧しようと迫るこの義母を前に、怯むどころかさらに一歩、前に踏み出す。

すると、伯爵夫人は、背の高いローザリンデに完全に見下ろされた。

物理的に上から見られることは、心理面にも十分作用することを、ローザリンデは知っていた。


眼前の顔をじっと見れば、厚い化粧の下の顔に、小皺が見える。

ことさらそこに視線を注ぐ。隠したいものを見つめられることも、相手を追い込む手段の一つだ。

そうして、ローザリンデはゆっくりと口を開いた。


「どうなると言うのですか?使用人への暴力をお止めしたわたくしに、何をされるというのか、教えて下さいませ」


あえて『わたくし』と、娘時代には使わなかった一人称を使い、慇懃に返す。

この女に、自分がしでかそうとしたことの意味を教えるために。


「な!!」


思わぬ反撃に、伯爵夫人は言葉に詰まった。

それを見て、ローザリンデは一気にたたみかける。


「もしや、執事へ手をあげようとされたことがどういう結果を招くか、ご存知ないとはおっしゃいませんわよね。この国の貴族で、使用人を雇用している当主や当主夫人であれば、当然知っているはずの法律を、まさか」


執事が、その言葉を聞いて目を見開いた。

最近、不幸な事件をきっかけに施行されたばかりの家内使用人法の改正を、令嬢という立場の、しかも日頃は使用人扱いされているローザリンデが知っていることに驚いたのだ。


それは当然領地の伯爵や、王都屋敷の伯爵夫人宛には正式な公文書として、法務省から送られて来ていたが、伯爵夫人宛の書簡は、いまだ未開封のまま彼女の文箱に放置されていたはずだ。


「『リューベッソン家の悲劇』と言えば、お分かりいただけるのかしら?」


そう言われても、伯爵夫人の視線は宙を彷徨う。何も分かっていない、ということを露呈していた。


『リューベッソン家の悲劇』。それは、西部の領主、リューベッソン伯爵家の当主が、下僕の一人を殴り殺してしまったことに端を発した事件だった。

それをきっかけに、日頃から当主や当主家族により、人格を無視した奴隷のような扱いを受けていた他の使用人たちが、最終的には当主を同じように撲殺してしまうという凄惨な事件。


しかも、その後、西部では執事や下僕といった上級使用人達が集団で抗議集会を開き、不当な扱いをする当主らに反旗を翻したのだ。それはつまり職務の放棄。

西部ではそれにより、多くの貴族が有能な使用人を失った。


それは王都からは遠く離れた場所での出来事ではあったが、中央政府はそれを重く見て、家内使用人に対して暴力や不当な扱いをした場合、その家門に厳罰を下すという法律の改正を行った。

当主を撲殺した使用人を罰するのではなく、先に人格を無視した貴族の方を締め付けたのだ。


貴族たちには所領を預け、その代わりに王家に忠誠を捧げさせることで、ある程度中央からその動きを牽制出来る。しかし、平民である使用人たちはその限りではない。常に戦争の影があるこの国おいて、人材の流出は避けなければいけない重大事案だった。


しかし、西部はすぐ横に国境線がある。それゆえ、とりあえず貴族の家内事情を知る、有能な人材が国外に出奔するのを防止することが第一の目的の法案ではあったが、結果、上級使用人の人権は法律により保護されることとなったのである。


「もしわたくしがお止めしていなければ、お義母様は、明日にも官警に事情を聞かれていたかもしれませんわ」


目だけで見下ろしそう告げると、夫人はやっと言いたいことが分かったのか、ワナワナと震えて、そして一歩後退りながら反論した。


「何をバカなことを!わたしはシャンダウス伯爵夫人です!そんなわたしが使用人の一人に手をあげたところで、何の咎があるはずが…」


しかしその語尾は、小さく消えた。


若い下僕達の視線に、確かに呆れの色が浮かんだのを目にしたからだ。


もしかすると、本当にそのような法律があるのかもしれない。

伯爵夫人は、口をつぐんだ。当主夫人が、使用人に関する法律改正を知らないなど、体面を保ちたいなら、知られてはならない。

使用人たちを前に、これ以上の失態は許されない。

ましてや、このまま続けても、ローザリンデにやり込められるだけだろう。


伯爵夫人は、このガラリと態度を変えた義娘を、顔を赤黒くさせて睨みつけた。

昨日までのこの義娘なら、それだけで表情を固くし、その口をつぐんだだろう。


しかし、今はどうだ。


目の前の義娘は、全く動じることなく、逆に心底憐れんでいるかのような表情で、僅かにも視線をそらさず、こちらを平然と見下ろしていた。


「あの…」


どれくらい睨み合っていただろうか。

そこへ、まったくこのやり取りを見ていなかったハウスメイドの一人が、突然現れ遠慮がちに声をかけた。

いつもローザリンデと交代でレオンの子守をしているメイドだ。


メイドは周囲をチラチラと見ながら、オドオドと話し出す。


「あ…あの、レオンぼっちゃまがずっとぐずっていらして…。ローザリンデお嬢様に来ていただけないかと…」


それにより、一気に場の空気が緩む。

ローザリンデは厳しい表情を和らげ、そのメイドに笑顔を向けた。


「分かったわ。すぐ参りましょう」


そして、その返答にほっとするメイドと共に二階への階段を登りかけた時、ローザリンデはやおら振り返り、家政婦長であるバーゼル夫人に、あえて声をかけた。


「今日からレオンの部屋で一緒に眠ります。今のわたしの()()から、全ての荷物を運んで来るように」


もはや、誰もそれに異を唱えなかった。

読んで下さり、ありがとうございます。

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