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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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反撃に転ずる 1

対峙する二人の間に、ローザリンデは慌てて体を滑り込ませる。

怒りの形相の伯爵夫人が、今にもその口を開くのが目に入ったからだ。


社交の場でなくとも、下位の爵位の人間から、格上の人間へ先に声をかけるなど、ましてや「どなた」とでも出自を尋ねようものなら、昔であればその場で討たれても文句を言えないほどの無礼である。


そういった厳格で形式ばった礼儀は、どんどん崩れていっているのも事実だが、逆に、高位の貴族の間では頑なに守られているのも事実。

伯爵夫人を守るためではなく、シャンダウス伯爵家を守るため、ローザリンデの体は勝手に動いた。


「パトリック様!まだご紹介しておりませんでしたわね!こちらは、わたしの義母、シャンダウス伯爵夫人ですわ。そして、お義母様。こちらは、ガッデンハイル公爵家のご子息。パトリック様です」


マナーとして最低限の線を守るためだけの、早口での紹介。多少品格を欠いたかもしれないが、これで最悪の事態は避けられたはず。

一応、人前なので『お義母様』と呼んだが、普段は『奥様』と呼ばされている。

あとで仕置きが待っているかもしれないと、ローザリンデはちらりと思った。


「お初にお目にかかる。王立学院で何度かお会いしたローザリンデ嬢をお見掛けし、つい懐かしく引き留めてしまった。心配される大きな声が外まで聞こえたので、一言お詫びを」


パトリックは、言葉こそ丁寧だったが、尊大そのものの態度で、伯爵夫人に一度も淑女に対する礼もせずに言い放った。

夫人は、公爵と聞き途端に顔色を変える。しかもガッデンハイルと言えば、序列一位の大公爵だと、さすがの彼女も知っていた。


しかし、無知で世間知らずのラーラには、そんなものは関係なかった。

何しろ目の前にいるのは、銀の髪に翡翠色の瞳の、見たこともないほど見目麗しい男性。しかも、公爵などという、雲の上の存在である。ただ、国内に公爵家が三家しかないという貴族必須の知識が、彼女にあるかどうかは分からないが。


そのせいなのかどうなのか。紹介されてもいないのにパトリックの前に歩み出たかと思うと、ラーラは自分から勝手に自己紹介を始めた。

せっかく今、伯爵夫人の無礼を防いだというのに。


「はじめまして!シャンダウス伯爵が娘、ラーラと申します。この前の大夜会で社交界にデビューしたばかりの十五歳です。社交界ではお見掛けしませんわね。パトリック様はおいくつなんですか?」


ローザリンデはひゅっと息を呑んだ。

最悪だ。

勝手に話しかけて自己紹介をし始めただけでなく、許しも得ていないのに公爵家の子息を名前で呼ぶなんて…。


執事も下僕も、平民出身の使用人の方が青い顔でそれを見ている。

バーゼル夫人は理解していないのか、愛らしく上目遣いでパトリックを見つめるラーラをニコニコして見ていた。


しかし、さすがに夜会に毎夜のように行っている伯爵夫人は、曲がりなりにもラーラの失態に気が付いたのだろう。苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。


そして、パトリックは、平然とそんなラーラを無視していた。

彼にはそうできる家門の力がある。

しかし、義妹に貴族の常識的なしきたりはある意味、通用しなかった。


恐らく、パトリックの美しい容姿が彼女をそうさせたのだろう。

カスペラクス侯爵家という権勢を誇る家門の子息に、デビュー直後に求婚されたことで、自分の値打ちにさらに自信を持ったのかもしれない。


そして、蝶よ花よと育てられ、教養もマナーも努力を怠り、中途半端にしか身に着けられなかったラーラは、その場の空気を読む敏感さも持ち合わせていなかった。


「パトリック様?」


自分が話しかけたのに、こちらを見もしない公爵令息を、ラーラは不思議に思った。そうして、恐らく誰が見ても可愛らしく見えるだろう風に小首をかしげる。

しかし、そんなラーラの横を、パトリックはまるっきり無視して通り過ぎた。


それだけではない。ローザリンデには寄り添うように立ち、その手を優しく両手で包み込んだのだ。


ラーラは最初呆気にとられ、次にその顔に屈辱の色を浮かべる。

その様子に、伯爵夫人とバーゼル夫人が、瞬時にローザリンデに鋭い視線を注いだ。


それに気づいているだろうパトリックは、それらもすべて黙殺し、ローザリンデだけしか目に入らないとでもいうようにじっと見つめると、名残惜しそうに別れのあいさつを口にする。


「それじゃあ今日は帰るよ。ローザリンデ嬢のお義母上は、ぼくが突然訪問したので言葉もないようだ。また近いうちに、今度はちゃんと先触れをして誘いに来るよ。では、お(いとま)するね。見送りはいらないから。リンディ、良い夢を」


そうして、臨機応変にまともな挨拶も出来ない伯爵夫人への嫌味を交えながら、ローザリンデには甘い言葉と視線を惜しみなく注ぐと、パトリックは最後に握った彼女の指先に軽くキスを落とす。


しかし、その二人が交わすのが、いたずらっ子のような視線と、軽く睨むような視線であることには、誰も気付いていなかった。


パトリックは貴公子然とした軽やかな足取りで、まるで舞台役者が袖に引っ込むかのようにエントランスから姿を消した。


後には、ローザリンデ、伯爵夫人、ラーラ、そして数名の使用人が、見送りの下僕が丁重に扉を閉じるのをただ見つめている。


そして、その扉がパタリと音を立てた途端、伯爵夫人はローザリンデにつかつかと歩み寄ると、何の前触れもなく突然その手を振り上げ、彼女の頬を思い切りぶった。


シルクの手袋を身に着けていたから、叩く音はしなかった。しかし、その指にゴテゴテとつけられた指輪のせいだろうか。叩かれた左頬を押さえるローザリンデの指の下から、つっと、血が一筋流れるのが、誰の目からも見えた。


「この!あばずれ!」


普段は楚々とした伯爵夫人を装っているが、この女は、こうして感情的になると、途端に言葉遣いにもその本性が現れるのだと言うことを、ローザリンデは知っていた。

やはり、唯一媚びるべき相手である伯爵がいないという解放感は、彼女に()し掛かる何らかの枷を軽くするのだろう。


しかし、その乱暴にひるむことなく、ローザリンデは単なる紙切れ上の義母でしかない女を、キッとまともに見返した。

前の時は、いくら優秀だと言われようと、学院を中退しただけの社交経験もない十七歳の娘だったが、今は違う。カスペラクス侯爵家の王都屋敷を守る女主人として身に着けた経験と矜持いうものが、その身には備わっていた。


そう。昨日自らの死を経験し、今朝、ここに巻き戻って来た。

突然やって来た、人生をやり直せる希望にその心は震えたが、いきなり大きな変化をもたらすことには、ついさっきまで躊躇していた。


しかし、パトリックが、そのためらいの大きな壁を取り払ってくれたのだ。




そして、今この瞬間、反撃に転ずることを、ローザリンデは決めた。




ひりつく頬を抑えながら、ローザリンデは初めてまともに、伯爵夫人を心から見下し、睨みつけた。


「その目はなに!!!」


その心境の変化を敏感に察知できるような相手ではない。伯爵夫人は、夫の目を盗み、好きなように虐げていた邪魔な義娘の反抗的な眼差しに、いとも簡単に激高した。

再度その手を振り上げると、もう一度ローザリンデに向けて振り下ろす。


しかし、その手が憎らしい義娘の頬を打つことはなかった。


執事が、咄嗟にローザリンデの前に立ち、その平手を代わりに受けたのだ。


執事は、ローザリンデの覚悟を、間違いなく受け取っていた。

それは、瞬間的に出た、主を守る行動だった。

いつしか、執事にとってこの屋敷の主は、ローザリンデになっていた。


「この…!!!!!」


夫人は怒りの感情をローザリンデにぶつけられなかったことと、それを使用人が阻害したことで完全に理性を失くした。美しいはずの顔に鬼のような形相を浮かべ、再度その手を振り上げたのだ。今度は執事めがけて。


そこに凛とした声が響く。


「おやめなさい!!」


頬から一筋の血を流しながら、その姿は毅然として、その場を一瞬にして従えさせる威厳を放っていた。二十年、カスペラクス侯爵一族の人間として鍛えられたローザリンデが醸し出す、支配する者の威厳だった。



読んで下さり、ありがとうございます。

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