パトリックの王都への帰還 2
三人は応接室へ移動し、ローザリンデの横にはフィンレーが。
そして二人の向かいに、すっかり見違えた幼馴染が座る。
パトリックの座る所作自体は、以前のままに流れるように優雅なそれ。
しかしその後、どかりと背もたれにもたれ、長い脚が邪魔だと言わんばかりに大きく膝を開いた座り方は、どうにも見慣れない。
すぐにヘンドリックがお茶のワゴンを押してやって来て、皆の前にルビー色が美しいカップを並べた。
色とりどりの焼き菓子も供されると、すぐさまフィンレーが手を伸ばす。
「ここの厨房は優秀だ。俺の味の好みが分かっている」
半年間ほぼ毎日通って来ていれば、そうもなるだろう。
食べっぷりの良いフィンレーは、伯爵やローザリンデよりも食に対して貪欲で、帰る際にはよくラーゲンに感想を伝えていた。厨房も、がぜん張り切るというものだ。
フィンレーに釣られたのか、パトリックが珍しく菓子に手を付けた。
元々食は細い方…、というローザリンデの認識は、今日を最後に改められるかもしれない。
「このプレッツェルは歯ごたえが良い」
思わずと言うふうにパトリックが洩らせば、フィンレーが同じものをパキリと折って口にしながら、うんうんとうなずいた。
「これらに使われている小麦は、シャンダウス産だ。なかなかの味だろう?」
「はは、まるでここの家門の人みたいだ。フィンレー殿はリンディをもらうのかと思っていたけれど、もしかして、婿に入るのだった?」
二人の軽妙なやり取りに、ローザリンデははたと思い付く。
「…もしかして、この半年の間に、親交を深めたの?」
それを尋ねる相手は、自分の隣に座る婚約者。
そう、目の前の幼馴染ではない。
それが、この半年で変わってしまった、互いの距離感…。
「ああ、何度か手紙のやり取りを…。西部の王家の直轄領近くにある鉱山に行く際、ガッデンハイル領を横切るから、何なら顔を見て帰ろうかと思い使いをやったのだ」
そう聞いてドキリとした。
昨年、雪が降る前にと、確かにチュラコス家が管理する鉱山に五日ほど行っていた。あの時は、てっきり北部だと思い込んでいた。
西部の王家の直轄領近くだったとは…。
その直轄領こそ、前の時、ゲオルグが辺境伯の爵位と共に賜ったアッザンの地。
ちらりとパトリックに目線をやれば、何食わぬ顔でカップを口に当てている。
しかも、手紙のやり取りをしていた…?
自分には、ついこの前、やっと一通送って来ただけなのに…。
幼馴染を見る視線に、かすかな恨みが混じる。
「まあ、結局ちょうどその頃、パトリック殿は領内の別邸に狩猟に出かけているとかで会えなかったのだが」
「次はフィンレー殿もご一緒にいかがでしょう。ぼくの腕前ではとても敵わないかと思いますが」
またしても、パトリックとは結び付かない言葉が飛び交い、ローザリンデは怪訝な顔になる。
狩猟など…。修練のために騎士がするのは分かる。生活のために猟師がすることも。
けれど、神官であったパトリックがするには、それはあまりにも想像のつかない行為。
本当に目の前の幼馴染が、自分の知っているはずのパトリックなのだろうかと、ローザリンデは不安になった。
なのに、フィンレーは容易く今のパトリックを受け入れている。
(わたしには、前の時の『ガッデンハイル枢機卿』と言う先入観があるからかしら…)
ローザリンデを訪ねて来たはずの幼馴染は、いつの間にか、自分そっちのけでフィンレーと久方ぶりの邂逅を喜び合っている。
それをそばで見ていれば、自分にとってフィンレーが頼れる存在であるのと同時に、パトリックにとっても、気の置けない相手になって来ているのかもしれないと思う。
婚約式の直後、ローザリンデはどこかで、パトリックは十五歳になった後、神学校へ戻るのではないかと漠然と思っていた。
しかし眼前の、髪を短く刈り、陽にさらされた頬で狩猟の話をする幼馴染を見れば、その勝手な思い込みを訂正せざるを得ない気がしてくる。
何より、彼が秘術を執行し、ここに巻き戻って来たのは、前の時と同じ道を歩むためではない。
(教皇様より宝璽を授かり、秘術である『時戻しの術』を施行したのは、この国を真っ二つに分け、血で血を洗った王権争いを未然に防ぐため)
では、今こうして前とはまったく違う姿を見せるパトリックの行動も、その大義のために取られたものだと考えて間違いないだろう。
(わたしとフィンが結婚するだけで、防ぎきれるものではないということなのね…)
そう考えれば気持ちが暗くなる。
けれど、フィンレーが王弟派に落ちることだけはないだろう。
いや、何があろうと、自分がそんなことはさせないと、ローザリンデは強く思った。
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夕刻前、フィンレーが名残惜しそうに伯爵邸を後にした。
チュラコス家からの使いが、急ぎの裁可を求めて飛んできたのだ。
「まったく。父上は叔父上にある程度の裁量を任せているというのに、必ず俺に通してくるのだから」
エントランスでは、ローザリンデだけが見送る。
パトリックも来ると思っていたのに、拍子抜けだ。
「パトリックったら、『ぼくはここで待ってるよ』ですって」
しかし、フィンレーは苦笑しながら愛しい婚約者のこめかみに口づけを落とす。
「パトリック殿は、気を利かせてくれたのだ。婚約者である俺に、ロージィとの別れを惜しませてやろうとね」
その言葉に、ローザリンデはハッとした。
そして、じわじわと首筋を赤くする。
「まあ…、いつの間にそんな気を回せるように…」
ハハハと快活に笑い、フィンレーがローザリンデを両腕で抱き締めた。
「せっかくの心遣いだ、たっぷりと別れを惜しもう」
そして、声を立てる暇もなく、唇を重ねられる。
扉脇に控えていたヘンドリックや、フィンレーの馬を引いてきた馬番が咄嗟に視線を逸らし、瞳の中で羞恥と喜びがせめぎ合うローザリンデを、フィンレーはすぐにその身から離した。
「では、俺の分の夕食は、パトリック殿に平らげてもらうとしよう。きっと、今の奴なら足りないぐらいだ。ロージィ、久しぶりの幼馴染との時間、楽しく過ごしておくれ。俺は心の広い恋人だから、パトリック殿一人ぐらいなら、我慢しよう」
そう言って、ひらりと馬上の人となる。
その姿が見えなくなるまで見送ったローザリンデに、後ろから声が掛けられた。
「フィンレー殿はお帰りのようだね」
いつの間に来たのか、パトリックが背後に立つ。
そして、その左手をさっと上げると、何度も乗った、幌馬車が現れた。
「では、ぼくらも出掛けようか」
有無を言わさぬ声音。
ローザリンデは驚き、翡翠色の瞳を見上げた。
その両肩に、パトリックの黒のジャケットがばさりとかけられる。
上着を取りに行く暇さえ与えられない。
そして、するりと伸びて来た腕が、ローザリンデの肘から先を掴み、一気に馬車の中へ引き上げた。
かつてエスコートされた時とは違う、強引で力強い腕。
乗った途端、幌馬車は走り出す。
馬車寄せを見れば、ヘンドリックが恭しく頭を下げ見送る。
事前に主の外出を知らされていたのか。
パトリックによって。
「どこへ行くの?!」
今日初めて、淡い恐怖に襲われる。
しかし、パトリックは余裕の笑みを浮かべていた。
そして告げる。
「行き先は大聖堂。リンディもよく知るあの部屋だ」
暮れなずむ王都を、幌馬車は大聖堂を目指していた。
最近どうも、主人公がローザリンデじゃなくてパトリックになって来た気がします。
作者の贔屓でしょうか(笑)。
読んで下さり、ありがとうございます。




