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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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ローザリンデが守るもの

最初の予定通り、ローザリンデとパトリックは、公園の馬車道止まりで辻馬車を拾うと、ガッデンハイル公爵家に向かった。


「突然リンディを連れて帰ったら、母上がびっくりされるだろうなぁ」


パトリックが、翡翠の瞳をくるくると動かし何か企むような顔をする。

ガッデンハイル公爵夫人は、実母の遠い親戚だ。何親等離れているかも分からないほどのつながりだが、たまたま年齢が同じということで親しくして下さっているのよと、病床の母が話していたのをおぼろげながら覚えている。


ガッデンハイルという大公爵家は、王族と血縁があるというだけでなく、たびたび神力の高い人物を輩出することでも知られており、毎回代々の夫人が懐妊するたびに、王家や教会から大きな期待を寄せられると言う、非常に嫁ぐ女性にとっては重圧を感じる家門だった。


しかし、パトリックを生んだ現公爵夫人はひょうひょうとした性格で、驕らず裏表のない人柄は、誰からも慕われていた。


ローザリンデもそんな公爵夫人に久しぶりに会いたかった。

しかし、王立公園を出る前から、ずっと考えていた言葉を口にする。


「ごめんなさい。やっぱり、公爵家の前でわたしはお(いとま)することにするわ」


パトリックが、驚いてこちらを見た。


「どうして?!」

「用を思い出したの…。午後から、レオンに読み聞かせる本を見に行こうと思っていたのを」


苦し紛れだったが、嘘にはならない。

実際、この後本屋に向かい、レオンに与える本の下見をすれば良いのだから。


しかし、それを持って帰ることは叶わないだろう。現金を持つことも、伯爵家の名前でツケで買い物をすることも、ローザリンデには許されていない。それは彼女の待遇が使用人同然だから。


しかし、それを誰かに言うつもりも、助けを求めるつもりも毛頭なかった。

それは、前の時も、今も、変わらない思いだ。


ローザリンデはそっと自分の胸元を手の平で隠す。

そこには、何度洗っても落ちない、伯爵夫人によって投げつけられたインクの染みが付いている。


神学校にずっとその身を置き、女性の装いになど無頓着なパトリックと違い、公爵夫人がこのローザリンデの出で立ちを見れば、瞬時に見破られてしまうだろう。

レディスメイドも着ないような、古ぼけた季節外れのデイドレスの意味を。


公爵夫人は必ず、その理由をローザリンデに問い質すはずだ。

そして、あいまいな言い訳を許してはくれない。                                                                                                                    

最後には、この可哀想な娘を救おうと、正面から伯爵家に介入してくるのは明らかだった。


デビュタントで再会した友人たちは、元々ローザリンデが生家で継母から冷遇されているのを知っていたし、彼女自身がそれを意に介さないという態度を貫いていたので、あのデビュタントのドレスを見て、一様にぎょっとした顔をしていても、それ以上何も聞いて来なかった。


しかし、公爵夫人には、他家のことに介入できる、権力も能力も十分に備わっている。

ましてや、ローザリンデは遠いつながりではあっても、彼女と同じ血が流れている人間なのだ。

同じ血統の人間の不遇を、公爵夫人が見逃すはずがなかった。そうすれば、すべてが明るみに出る。

シャンダウス家の、めちゃくちゃな内情が。


確かに、ローザリンデ個人は救われるだろう。

しかし、それは同時に、シャンダウス家の破滅を呼び込む可能性も秘めている。


前妻の娘が、後妻である継母から冷遇されるのは貴族社会ではよく耳にする話だ。

だが、それであっても、その娘を使用人同然に扱うなどということは、考えられない野蛮なやり方だった。

それは、その家の血統の値打ちそのものを蔑ろにするのと同じことだったから。


血筋に重きをおく貴族社会において、それは暗黙のルールであり、違えることが出来ない価値観だった。


愛情がなくとも、腹の違いで待遇が違っても、その義務と責任を果たすことで成り立つ青い血を蔑ろにすることは、許されないことだ。


しかし、現実にシャンダウス家ではそれが堂々と行われていた。


一番は、家長である伯爵の無関心のせい。

そして次に、貴族としての価値観を、幼い頃より叩き込まれる機会のなかった人物が、後妻として伯爵家に迎え入れられてしまったせい。


伯爵夫人の生家である男爵の爵位は、武器商人であった夫人の祖父が、戦争で得た莫大な利益をつぎ込んで得たものだ。しかし、ただ男爵という地位を金で得ただけで、守るべき領地も職務も持つことはなかった。その上、王立学院や士官学校で学んだ人間もおらず、そこで血統を重んじる貴族と接する機会もなければ、そんな価値観など育つわけがない。


せめて伯爵の母親が長命であれば、この後妻にも伯爵家にふさわしい教育を施す暇があったかもしれないが、そんな機会もないまま亡くなってしまったのも不幸だった。


もしこんなことが許されている事実が明るみに出れば、シャンダウス家には、先代に与えられた『裏切り者』に続く、ひどい醜聞のページが追加されてしまうだろう。


ローザリンデはレオンが生まれるまでの十七年間、この伯爵家を継ぐ人間として育てられたのだ。

そんな覚悟を抱き、間違いなく貴族的価値観を、祖母から、そして学院生活において叩きこまれたローザリンデにとって、家門の破滅はなによりも避けなければならない事態だった。


虐げられている娘が、その家の誇りを護るために、自らその境遇を耐えることを選ばざるを得ないという、どうしようもない状態。


ましてやこの国は常に戦乱の陰がつきまとい、王の座を巡り、毎回血なまぐさい争いが繰り広げられる、不安定極まりない情勢だ。

そんな中、それでなくとも権勢の中枢からつまはじきにされたシャンダウス伯爵家が、他家に付け入る弱みを見せてしまっては、一体この狭い社交界のどこで息をすれば良いのだろうか。


ローザリンデのこの決意は、二十年前も、三十八年生きてから巻き戻った今も、変わらなかった。

その脳裏に、自分をずっと姉として慕ってくれたレオンの、立派に成長した姿が思い浮かぶ。


必ずシャンダウス家を守ってみせる。そう決意する横顔に、パトリックはその思いを知ってか知らずか、一つ息を吐いた。


「それでは予定を変更しよう…」


小さく呟く声は、辻馬車のギーギー鳴る油の切れたスプリングによってかき消される。

すぐにパトリックは、腰を浮かせると、辻馬車の御者に大きな声で話しかけた。


「行き先を変えるよ!ギャラント・ストリートに向かってくれ」


それはまさに、王都で一番大きな本屋がある通りの名前。

ローザリンデは驚いて幼馴染の顔を見た。

すると、してやったりとばかりに、パトリックがウィンクしながらこう告げた。


「ぼくも本屋に付き合うよ。暇を持て余しているって言っただろう?」


ローザリンデはその言葉に、いつの間にか硬く握りしめいた指から力が抜けるのを感じる。


「本屋に行くの、実は初めてなんだ。ワクワクするな!」


パトリックの笑顔に、まだ幼馴染との時間が続く喜びが沸き上がるのを止められない。


「じゃあ、本屋の中は、わたしが案内してあげるわ」


ローザリンデが笑顔でそう言うと、パトリックは手を叩いてはしゃぐ。


「その後は、どこかカフェに行ってみない?ぼく、カフェにも行ったことないよ!」


それならコンラッド・ストリートに素敵なお店が…と言いかけて、ローザリンデはやめた。

それはカスペラクス侯爵家の人間になってから、義姉とよく行ったカフェだった。

シャンダウスを名乗っている頃には、パトリック同様、カフェになど行ったことはなかったのだ。


しかし、今日カフェに行くことは出来ない。


「ごめんなさい、パトリック。わたし、今日は使う予定がなかったから、お金を持って来ていないの」


ローザリンデは正直に告げた。いや、少し違う。『お金を持って来ていない』のではなく、『持ってくるお金がない』のだが。


パトリックはその言葉に、ちらりと目配せすると、上着の前をさっと開け、内ポケットに差し込まれたアザミと長剣の紋が刻まれた懐中時計を出した。


「これで、王都ならどの店でもツケで払えるはずだよ。お昼のサンドイッチのお返しに、どうかぼくにご馳走させてよ」


ガッデンハイル公爵家の紋章なら、馬すらツケで買えそうだと、思わず言ったローザリンデに、パトリックは涼しい顔で「馬は無理だけど、ポニーならいけるかもね」と返したのだった。









更新時間が遅くなってしまいました。

読んで下さり、ありがとうございます。

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