ガッデンハイル公爵 1
応接室からローザリンデを連れ出したパトリックは、そこから一切歩みを止めなかった。
応接室前の廊下から、さっきまでの喧騒が嘘のように鎮まり返ったエントランスを抜け、ラーゲンが慌てて開けてくれた扉を抜けると、そこにはもう、いつものように待機している公爵家の幌馬車が。
公爵家の御者も従者も、ローザリンデのエスコートはパトリックがすると分かっているのか、さっさと二人して御者席に乗り込む。
そして、その予想通り、今日もローザリンデを馬車に引き上げるのはパトリックの役目なのだ。
乗せられたところで、ローザリンデは慌てて声を上げる。
「ま…待って!わたし、刺繍がまだ完成していなくて、だからそれを持って行かないと…!」
そこまで言って、慌てて口を手で押さえたが、時すでに遅し。
間抜けにも、当日披露して驚かせるはずだったプレゼントの目論見を、自ら暴露してしまったのだ。
目の前ではパトリックが、にやりと笑い、次に瞳に喜びを溢れさせこちらを見ている。
急に恥ずかしくなって、ローザリンデは顔を伏せて小さな声で言った。
こうなったら、開き直るしかない。
「今晩仕上げないと…だから、取りに行って来ても良い?」
しかし、その願いは聞き届けられなかった。
「だめ。後で、公爵家から人をやるから。…あの屋敷に、リンディを一時でも置いておきたくないんだ。次に君が帰る時、もしあの義妹がまだ屋敷にいるようなら、その時は帰らせないから」
パトリックの激しいラーラへの嫌悪感に、ローザリンデは驚いた。
いや、それもそうだろう。
もう少しで、理性を奪う薬を盛られるところだったのだ。
それでなくとも、幼馴染は神官として、清廉な品格を保ってきた。
一切女性を近づけることもなく、神に全てを捧げて。
そういった対象に見られるだけでも、許容しがたいのかもしれない。
「分かったわ…。ケイティならそれがどれか分かると思うけど、あの子はレオンのそばを離れられないから、誰か人をやってくれると助かるわ」
「…ということだ。あとで頼むぞ」
パトリックがローザリンデの言葉をそのままに、御者台に声を掛ける。
すると、従者がちらりと顔をこちらに向け手を挙げた。
了解の合図だろう。
それと同時に、馬車が滑るように走り出す。
シャンダウス家のプロムナードを抜け、すぐに大門の外の馬車道に出ると、一途、公爵家を目指した。
それにしても、まさかラーラがあんな行動に出るとは思わなかった。
義妹の部屋の前に、ヘンドリックがパトリックの来訪を告げに来た時、聞いていたとしか考えられない。
ある意味ラーラは追い詰められていたのかもしれない。
彼女の頭の中では、シャンダウス伯爵家の令嬢である自分は、いずれガッデンハイル公爵家の令息であるパトリックと結ばれるはずだった。
しかし、大前提となるその身分が、実は平民だったと突き付けられたのだ。
二人が結ばれるには、既成事実しかないと、パトリックに執着していた彼女は、母親が所有していた媚薬を使ってでも、彼を我がものにしようと考えたのだろうか。
しかし、従者がそばで控えているような場所でそんなことをすれば、どうなるか分かるものだ。
それとも、そんなことも判断できないほど、精神に異常を来たしていたのだろうか。
(だけど、わたしとラーラは、どうして前の時も今回も、一人の男性を間にして、諍うようなことになるのだろう。そして、その二回とも、ラーラはその男性に媚薬を使ってしまうのよ…)
今回は未遂で済んだ。しかし、パトリックはどちらの婚約者でもなければ、恋仲でもない。
似ているようで非なる状況。
ただ共通しているのは、一人の男性を巡ってお互いが向かい合って立つような状況で、ラーラはその男性にきつい執着心を持っているということだ。
(何をどうしても、これはわたしとラーラの間で繰り返される因縁だというのだろうか)
それならば、もし、公爵夫人の思惑通りにローザリンデがパトリックの妻になるなどと言うことがあれば、前の時と同じように、ずっとラーラからの恨みを買い続けるということなのか。
(ゲオルグ様の時は、わたしが二人の仲を裂いてしまったと思っていたけれど…。今回は、パトリックがラーラと通じる可能性は万に一つもないはず。それでも同じような未来を辿るのだろうか…)
前の時に、ラーラからの手紙が来るたびに抱いた憂鬱な気分が突然心によみがえり、ローザリンデは思わず唇をかんだ。
と同時に、頬にぎゅっと指が押し当てられた。
驚いて横を見る。
パトリックが、眉間にしわを寄せて、ローザリンデの頬に指でくぼみを作りながらこちらを見ていた。
「…思い出しちゃダメだよ。絶対に前とは違うだろう?」
自分が何を考えているのか、この幼馴染にはお見通しらしい。
ローザリンデは頭の中のもやもやを払うためにも、口の端をぎゅっと上に引き上げ笑顔を作った。
「そうね。絶対に、違うわ」
寄り道もしない馬車は、瞬く間にガッデンハイル公爵家に到着する。
いつ見ても壮麗な金と黒の大門をくぐり、真っ白な大理石が輝く馬車寄せに降り立てば、夫人付きの執事見習いであるマッシバが表で待ち受けていた。
「マイロード、お帰りなさいませ。シャンダウス伯爵令嬢、ようこそ公爵邸へ」
パトリックのエスコートで、エントランスへの大きな扉をくぐると、そこにはマッシバよりもはるかに年かさの厳格そうな男性使用人が立っていた。
「パトリックぼっちゃま、お帰りなさいませ。シャンダウス伯爵令嬢ローザリンデ様、いらっしゃいませ」
品格ある礼とともに、次には少しの微笑みを添えられる。
パトリックが、声をあげた。
「ベレス!ということは、お父上も?」
「はい。さきほどご領地より」
パトリックを見て嬉しそうに目を細める様子に、ローザリンデは、この使用人がガッデンハイル公爵の執事であることを悟った。そして、ベレスと呼ばれた使用人がここにいるということは、公爵も王都の屋敷にいるのだということも。
「今は西の棟のお部屋で旅装を解き、奥様とおくつろぎかと思います。あとでお顔を見せて差し上げて下さい」
「ああ!すぐに行こう。リンディのことも紹介したいしね」
そう言われて、ローザリンデは突然怖気づく。
ガッデンハイル公爵は、貴族のトップ、序列一位の大公爵だ。
前の時、カスペラクス家の王都屋敷を預かる身であっても、大公爵家の当主と直接言葉を交わすことはなかった。
その気持ちが伝染したのだろうか。
パトリックとつないだままの手に、ぎゅっと力が込められる。
「大丈夫。リンディはぼくと母上のお気に入りだよ。父上が気に入らないわけがない」
エントランスホールを抜け、大階段をいつも東の棟に向け右に曲がるところ、初めて左に曲がった。
西の棟。
現公爵夫妻の居住区に、足を踏み入れる。
あのガッデンハイル家の茶会以来のことだったが、ローザリンデには、はるか昔のように感じた。
読んで下さり、ありがとうございます。




