鍵のかかる部屋
「お義父様、どうしてですか?!」
「パトリック様、助けて!」
「お義姉様!わたしを妬むのはやめてください!」
「お母様!お母様~~~!」
様々な言葉を絶叫しながら、ラーラは二人の使用人に両腕を拘束されたまま、応接室から連れて行かれた。
外から鍵のかかる部屋に。
前の時なら、自分がいた半地下の使用人部屋には、ローザリンデとゲオルグがホルツの家で一夜を過ごした後、外からかかる鍵が取り付けられ、そこに閉じ込められたのだった。
しかし、今はその部屋には鍵など取り付けられていない。
ローザリンデは、この屋敷に、他にもそんな物騒な部屋があったのかと身震いした。
「お父様、外から鍵のかかる部屋などあるのですか?」
小声で聞けば、父は眉間にしわを刻み、前を向いたまま吐き捨てるように答える。
「ラーゲンは知っておる。おまえは知らなくて良いことだ」
やはりあるのだ。前の時も、執事は伯爵夫人を主として認めていなかった。だから、夫人にその部屋の存在を知らせることもなかったのかもしれない。
小刻みに震えるローザリンデに気付いた伯爵が、少し表情を和らげこちらを見た。
「お前に教えれば、どうしても気になって様子を見に行くだろう。あれにそのような温情は必要ない」
その言葉に、とうとうラーラまで、伯爵の中で名前すら口にするのを憚る、『あれ』になってしまったのだと心を痛めた。結局、伯爵夫人もその連れ子のラーラも、伯爵にとっては赤の他人以下の人間になってしまったのか。
そして、伯爵はパトリックの前にひざまずき頭を垂れた。
「ガッデンハイル公爵令息、わたしの不徳の致すところでございます。申し開きもございません」
今ではめったに目にすることのない、首を差し出すそのおおげさな謝罪の姿勢に、伯爵が古臭い考え方の家門の人間であることがあらわれている。
しかし、パトリックは一つ息を吐くと、こちらも古い儀礼に則り、伯爵の頭頂部に手の平を当てて、その謝罪を受け入れることを示した。
「そちらのご家門の事情は、知っているつもりです。それにぼくは、あの令嬢のしでかしたことで、リンディが不利益を被ることを望んでいません。ことを大きくするつもりはありませんから、今後リンディが煩わされることがないよう対処することを確約してくれるなら、不問といたしましょう」
大げさな謝罪をしたのは、きっとパトリックがこうして許してくれることを期待していたからだろうと、ローザリンデは思った。
ガッデンハイル公爵家として、シャンダウス伯爵家を断罪するなら、それには漏れなくローザリンデも含まれるのだから。
「ありがたきお言葉でございます」
期待通りの言葉をもらい、伯爵がさらに深く頭を下げた。
しかし、そこで終わりではなかった。
パトリックが従者に、テーブルの上の例の陶器の容れ物を目線で示すと、彼は無言でうなずきさっとそれを取り上げる。
伯爵は、あまりの早業に「あっ」と声を漏らすことしか出来なかった。
「これは、ぼくが預かっておきましょう。自分が何を飲まされそうになったのか、知るのは当然の権利と思いますが」
そう言われて、伯爵の顔色が変わる。
そして、暑くもないのに、その額に汗が浮かんだ。
「ご令息…。それはけして、命を奪うような類のものではございません。なんなら今すぐ、御前で暖炉にくべて燃やしてしまっても構いませんから、どうかお返しいただけませんか…?」
この場で燃やして失せてしまえるなら、それこそ伯爵にとっては本望だろう。
この慌てよう。
やはり、ローザリンデの記憶通り、媚薬なのだ。
媚薬にも色々ある。
それこそ、ただ血の巡りが良くなる作物を粉にして、それらしい名前をつけただけのものから、幻と言われる、古代の魔女が調合したものまで。
しかし、前の時のゲオルグへの効き目からして、この容れ物の中身は、国王の勅令により禁止薬物に指定された媚薬、いいや、性的興奮を引き起こす危険薬物なのではないだろうか。
そんなものを所持していたことが明るみに出れば…。
伯爵が夫婦の寝室で使ったところまでは、醜聞になりはしてもぎりぎり許容されるかもしれない。
けれど、成人もしていない、ましてや将来の教皇ではと取りざたされるガッデンハイル公爵令息に飲ませようとしたなどと外部に出れば…。
パトリックが、ひざまずく伯爵を見据えたまま、従者から受け取った可愛らしいピンクの容れ物を親指と人差し指でつまむ。
そして、ローザリンデをちらりと見た。
次の瞬間、つかつかと壁際に活けられていた生花の前まで行くと、そのまま花を抜き取り、容器の中の粉をすべて、花瓶の中へさらっと入れてしまった。
一瞬のことに、誰もが目を見開く。
そして、花瓶をちゃぷちゃぷと振りながら窓まで行くと、さっと掛け金を外してそれを開け、庭に向けて、ざあっと流してしまった。
「…おっと、うっかり…。花瓶に入れて持ち帰ろうとしたら、手が滑ってしまった」
まるで棒読みの三文芝居。
誰しも声も出せずにそれを眺めていると、窓を閉めてこちらを向いたパトリックが、一つ咳ばらいをする。
「リンディに、感謝するように」
それだけ言うと、今度はローザリンデの前に歩み寄り、その手を取ってつなぎ、伯爵へ尋ねる。
「伯爵、母上からの招きで、今日からリンディを公爵邸に招きたいと思うが、いかがかな?」
傲慢にも聞こえるその言い様に、しかし伯爵は慌てて立ち上がると、パトリックに向けて再び頭を垂れた。
「もちろんでございます。ご令息、お気遣い、ありがとうございます」
「礼ならご自分のご息女に」
呆気にとられるローザリンデの手を引いて、そのままパトリックは応接室を後にする。
パトリックの従者が何事もなかったかのように静かに扉を閉め、扉の外の控えていた執事のラーゲンが、出て行く二人の後を、あわてて追いかけるように付き従った。
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