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歴史考察シリーズ

「日本」っていう何故か滅ばない国があるんだけど

作者: 模範的市民

言葉を噛み砕いたりして誰にでも分かりやすく、「日本」という国が滅びかけた事件や、それでもなぜ滅ばなかったのかという考察を連ねていきます。



1000Pt突破ありがとうございます。嬉しいです。

 初代神武天皇が即位したのは、西暦に直して紀元前660年とされています。これを実在すると仮定した時、日本の皇族の血筋は約2600年以上続いていることになるでしょう。


 これは異常だということに、皆さんは気付いているでしょうか。


 歴史において、弱国は淘汰される運命にあります。特にユーラシアに関して言えばその傾向が強いです。三国志の歴史を見ると、彼らは果てしない数の戦争を進め、徳の高さで皇帝を決していたとされています。


 散歩するように戦争をする激動の超大国をほぼ真隣に据える日本がその戦火に巻き込まれていたとしたら、間違いなく天皇の血筋は途絶え、文化は蹂躙されていたでしょう。


 実際、そんなふうに他国の侵略で滅んだ小国は腐るほど存在していました。

 侵略でなかったとしても、内乱や革命で破滅したり、民衆に罵倒されながら処刑されたりした王族だって星の数ほど居ます。


 そんな世界の中であっても、日本は王族(皇族)の血が2600年以上も続いているのです。私たちの国がどれだけ異常か理解して頂けたでしょうか。


 本編では著者の軽い考察を交えながら、義務教育レベルで、日本とかいう米粒みたいな小国が淘汰されず、ここまで発展してきたかについて簡単に解説していきたいと思います。



【海に関する基礎知識】

 日本という国は、全方位が海に囲まれている……これは周知の事実でしょう。ゆえに我が国は超太古から海との関わりが強いです。


 現代ではどんな悪海路にも負けない軍艦があったり、勉強さえすれば気軽に船舶免許が取れたりでイメージが付きにくいと思いますが、日本にとって海とは「天然の防殻(シェルター)」でした。


 少し考えれば分かることなんですが、海において人間なんてちっぽけな存在です。詩的な意味でも実際的な意味でもそう。


 どんなに頑丈な豪華客船でも「My Heart Will Go On」を流せば不安になるでしょう。今度船旅の機会があればやってみようかな。


 通信機器が発達していないような時代で、船自体がダメになるような事故が海のど真ん中で起これば、まず乗ってる全員は死にます。これは乗客数やら積載量とは無関係に揺るがない事実。


 手漕ぎ或いは帆船、かつ木造の船を使っていた時代を想像してください。日本で言えばペリーさんが恐喝をしてくる年(1853年)以前です。


 船には蒸気エンジンすら無く、動力源は人の手漕ぎだったり、気まぐれでエッチな風さんに頼りきり。

 そんなザコ丸出し船が陸地も見えないような外洋に出るのは、すなわち自殺に等しいでしょう。運が良ければ遭難できます。やったあ。


 海上で立ち往生(ここ韻)ならまだ良いのですが、外洋には海流というものが存在します。


 時速数kmの、人間が歩くよりも遅いくらいの流れです。遅いと思いますか? 思うなら全力でクロールをしてみてください。私はプールサイドで早歩きさせてもらいます。

 多分私の方が速いでしょう。そして同時に、監視員に怒られるでしょう。


 競泳選手が全力でクロールしても、水中では時速7kmほど。海流は止まらないので、ちょっと泳ぐのが下手な人が運悪く船とは別方向の海流に放り込まれたら、二度と船には追い付けないような速度です。


 もろちんこの時代に、羅針盤だとか方位磁石なんて便利な道具は存在しません。海しか見えない場所で、よく分からん方向に流され続けることになります。まず帰れません。


 海流から抜け出そうにも手漕ぎではまず無理ですし、風力は風が吹くかの運頼りです。エッチな風さんがパンチラを与えてくれるのを願うよりも命がけで風を祈るしかありません。ほぼ詰みです。

 ついでに言うと太平洋側は台風の本拠地ですので、エッチどころか傍若無人な範馬勇次郎みたいな風さんにも遭遇する可能性があります。


 ONE PIECEのビンクスの酒で「海風 気まかせ 波まかせ」と言ってるのは、いま考えてみれば割とマジなんですよね。波と風だけが安全性の担保と同時に危険性そのものになっています。


 よってこの時代の漁は陸地から殆ど離れません。陸地が見えない場所まで船を出すなんてことは決してあり得ないのです。


 そのため蒸気機関が実践的に用いられる19世紀以前において、海流付きの海とは絶対的な防御力を誇ります。


【日本近海の事情】

 ではここで、そんな19世紀以前の日本の近海について情報を整理していきましょう。


 まず日本東岸、太平洋側。

 コイツはなろう系主人公も裸足で逃げ出すような別格チートキャラ。当時の横断は不可能です。


 先述した通り、範馬勇次郎みたいな台風に遭遇する可能性だってあります。台風とは海上で勢力を強めていきますので、日本の陸地で経験するような萎れた台風とは一回りも違う、えげつない奴にエンカウントするのです。

 陸地でさえも台風で死人が出るというのに、それ以上のヤンチャ坊主が木造の脆い船をブッ叩くということですね。無理。


 おまけに太平洋は一面のクソミドリ、もといクソブルーになってます。広大すぎるので中継地点には全く期待できないまま、10000km以上を進みきらなくてはいけません。

 良くて6000kmくらい進んでからのミッドウェーかハワイ休憩でしょうか。流石のハワイさんでも6000kmの木造船の旅を潜り抜けた人を癒すのは難しいかもしれません。


 こんな感じで太平洋側、無事クリアです。こっちからは誰も来ません。


 次に日本海です。国際問題になろうと私は意地でも「Japanese Sea」と呼び続けます。

 さて、結論から言うとここも無事通行止めとなります。当時の技術での横断はまず不可能でしょう。


 理由は単純な距離の問題と、加えて「リマン海流」「対馬海流」にあります。これはお互い逆向きの海流で、彼らの戦闘力は互角。


 中国側から日本側へ進む場合、リマン海流に飲み込まれて船は南西へ南西へと流され続けます。どれだけ頑張っても、日本より先に朝鮮半島に到着するでしょう。逆に日本側から中国側へと船を出すと、今度は逆向きの対馬海流に飲まれますが。


 ここで仮に運良く最初の海流を突破できたとしましょう。すると日本海のど真ん中で、二つの海流がぶつかっている場所に到達します。

 その場所は潮目と呼ばれているのですが、なんとビックリ、そこでは両名がぶつかり合うことで渦を巻いているのです。


 これは言わば「ラオウとケンシロウの闘気がぶつかり合ってる」状態。つまり、パワーが凝縮された中央に割り込むことになります。

 並の人間ではとても太刀打ちできない相手でしょう。風に任せれば抜けられるかもしれませんが、海流は常に流れ続けるのに対して、風というのは安定しません。

 そうなんです。風が止まれば海流に流され、無事遭難です。最高のジョークですねHAHAHA☆


 まあ、実際は笑ってなんかいられませんけど。

 というわけで日本海側も誰も来ません。太平洋には範馬勇次郎が控え、日本海にはケンシロウとラオウが控えているという盤石の布陣と言えるでしょう。


 さて、続けて東シナ海に行ってみましょう。

 ここまで来ればもうお分かりかと思いますが、東シナ海にも鬼門が存在します。


 それは太平洋側と同じく「距離」です。

 東シナ海は中国to日本への最短海路となっていますが、最短とは名ばかりの900kmの道のりです。


 中継地点として考えられるのは済州島くらいですが、中国to済州島でも500kmはあります。人力では高難易度です。


 加えて、ここも嵐の遭遇注意報があります。低気圧の軌道によっては、最盛期の範馬勇次郎台風に遭遇する可能性も。

 太平洋とは違って勇次郎の直撃は珍しいでしょうが、その残り香くらいは普通にブチ当たってしまうかもしれないでしょう。


 またコンパスもない時代だというのに方角をちょいと間違えると、太平洋側に抜けてしまうというのも問題です。


 この海路での帰還率は6割ほどと言われています。

 というのも、完全無理ゲーという訳ではなく、6割は行き来可能ということが遣唐使のルートから証明されているのです。


 遣唐使はこの東シナ海を通って日本まで来ていました。そこでの帰還率が6割なので、存外高いのです。


 しかし、そう。「しかし」なのです。

 仮に何かしらの侵略のための東シナ海横断を行うとしましょう。


 元寇の如く10万を超える兵力を船に乗せ、いざ日本侵略! ただし4割で無慈悲に全滅する! となれば話は変わってきます。

 バトル漫画のように「勝率は4割。分の悪い賭けじゃない…!」みたいな事は、現実の大規模行軍では起こりません。4割で全滅するなら即時撤退です。


 というか戦争では、全体の20%の兵が死ぬ程度でも全滅扱いになったりします。究極のリスクヘッジを図るべき場面で、そんな選択はできません。

 しかもその全滅イベントが戦闘前の移動時から顔面に飛んでくるのですから、これを横断可能と定義するには、いささかギャンブルが過ぎます。


 「4割で死ぬデスノートなら別に名前を書かれても良いかな」なんて抜かす阿呆は居ないでしょう。9割の味方が死んでも敵に突撃する、薩摩兵児とかいうイカれた戦闘集団が我が国にいた事は置いといて。


 結局、この安全性の不備から遣唐使に関しても問題視されました。4割で殺す夜神月が待ち構えてるのですから当然でしょうね。


 つまり東シナ海から()()()()となる連中は間違いなく来ません。

 範馬勇次郎、ケンシロウとラオウ、夜神月の三連星が我が国を守ってくれています。


 そして最後は北方、オホーツク海方面越え。

 これも通行不可です。通行不可というより、当時北海道より北(例えば樺太)には多くの人が住んでいなかったというのが正しいでしょう。寒いですしね。

 人が居ないということは、インフラ整備が進んでいないということ。インフラ整備が進んでいないということは、敵が北から大規模侵略して来るような事態は起こり得なかったということです。


 これで北からも何も来ません。相当なブロッキング力と言えます。



 以上より、日本へ海路で入国するためのルートは極めて限られていたことの証明が終了しました。


 では次に、ギリ入国可能な航路についての存在を示します。この頃日本に入る為の海路は大きく分けて2つ。それは「玄界灘経由ルート」「琉球経由ルート」です。


 玄界灘経由ルートとは、朝鮮半島to九州地方の海路のこと。後に説明します「元寇」でもフビライ・ハンことエビフライ・ゴハンはこの海路から日本を侵略しようとしました。


 琉球経由ルートは東シナ海を更に南から回り込んで、文字通り沖縄付近を中継地点としながら進む海路のことです。


 この2つのみが、海から日本へ向かうためのギリ安全なルート取りだったと言えるでしょう。


 ここでポイントになるのが「ギリ安全」という点です。何がギリなのかというと、大規模侵攻が可能かどうかの境目、という意味での「ギリ」ということになります。


 要するに、「日本を侵略できるレベルの人員を乗せた船にとってはリスクが高い」という絶妙な海路でしか、海外の船は日本に入ることが出来なかったのです。


 これは日本の文化発展の方式にも大きく関わっていると考察できます。


【若林くんもビックリのセーブ力と文化発展】

 前述の通り、外国から日本に入るための海路は極めて限られていました。しかもその全てが安全性に乏しく、大量の人員を乗せるには危険な賭けであったことが伺えます。

 日本の海は、日本にとって養分となる「利益」だけを吸収しつつ、外敵にとって鉄壁の防殻となったのです。


 お気付きの方もいるかもしれませんが、これは強烈な幸運です。何せ隣には超大国中国があります。乱世を勝ち抜いた対外国戦争の猛者たちが日本を攻められなかったのは、このような海のシェルターが存在したからです。


 仮に日本と中国が陸続きだったら、まず日本文化は中国文化に飲み込まれていたでしょう。土下座して属国にしてもらうか、植民地化というのも有り得たかもしれません。


 日本の海はそれを許しませんでした。海流や環境から、極めて海戦は起こりにくい。しかし貿易は何とか出来る。商魂たくましい中国商人は日本へ渡り、中国特有の物品を売って利益を獲得できました。

 何しろ外国の侵攻を許していない場所です。珍しいものを持っていけば間違いなく利益は独占可能ですので、多少危険でも渡航するメリットは大きいと考えられます。


 ただ、やはり危険があるのは事実。それほど簡単に日本に商品を届けられません。貿易船が大量に来たわけではなかったでしょう。


 品数が少ないため、貿易で得た商品だけで国内流通させるのは難しい。おまけに次の貿易船がいつ来るのかは分からない。


 そんな時、皆さんはどうしますか。


 ――種子島が日本へ入ってきた時(鉄砲伝来)、当時の日本の戦国武将は「戦の形態をガラリと変えることができる」と確信し、流通させることを決意しました。

 しかし、種子島とは珍しい品物でした。そんな海域を持つ島国では、到底流通させるだけの量を確保できません。

 そこで思い至るのが「自国で量産すればいいんだ」という発想でした。


 この考えは種子島だけに留まらず、他の品物にも共通すると考えることが出来るのではないでしょうか。

 「量が無いなら自分たちで作ればいいじゃない」という、超現実的なマリー・アントワネットです。


 これが地続きの国との貿易ならば、そのような発想には至りません。「他国から大量に仕入れられるなら、それは他国に任せて自分たちは別のことをしよう」となります。


 日本がものづくり大国となった所以には、このような地理条件が関わっていたと考えられます。要するに、技術者を育成するための確固たる理由があったのでしょう。我が国は「物」ではなく「物の作り方」に価値を置いたのです。


 仮にこの「技術者育成」という素地が無ければ、その後に起こる日清戦争・日露戦争で、中国やロシアといった広大な国の物量にシンプルに押し負けていたと考えられます。


 ペリー来航から半世紀も経たないうちに、日清戦争・日露戦争を生き抜くことが出来たという奇跡は、そもそも日本が必然的に技術者に重点を置いていたから起こったことでもあるのです。


 このような流れによって、日本は小国のくせして異常な技術力を手に入れることが出来ました。


 しかし、鉄壁を誇る日本が滅びかけた出来事があります。それがこれまでに何度か登場した「元寇」です。


【神風が無ければ元寇で惨敗していたのか?】

 次に考えていくのは、なぜ日本が元寇を退けることが出来たのかということです。


 まず元寇とは何ぞやという解説をしていきます。

 そもそも「元寇」とは、13世紀後半で起きたモンゴル帝国(元朝)による日本侵攻です。文永・弘安の2度に渡って侵攻し、第二次である「弘安の役」に至っては約15万の兵力で日本の完全侵略を試みました(人数に関しては諸説あり)。


 当時のモンゴル帝国は世界最強。元寇の海戦の規模を見ても、当時でこの規模は世界最大でした。この時期で15万が攻めて来る海戦なんて、他のどの地域を見ても起こっていません。


 まず日本がモンゴルに戦いを挑まれた時、日本には選択肢がありました。一つは降伏すること。もう一つは徹底抗戦することです。

 日本が世界最強兵力に対して選んだのは、後者でした。そもそも圧倒的に負けると踏んだのならば、無条件降伏をすることが最良だというのに、日本は徹底的にブッ潰すことを選択したのです。


 理由は単純に「勝てるから」だったと思われます。この時点で、神風によるラッキー勝利という選択肢は最初から考慮していなかったことになります。


 結論からになってしまいましたが、要するに日本は神風に頼っていた訳ではありません。普通に戦争して、普通に勝つつもりだったということが考察できます。


 さて、戦争の合図を受けた元軍は、日本を侵略するための兵力を集めました。第一次元寇「文永の役」ではおよそ3万。「弘安の役」ではおよそ15万。


 特に弘安での兵力は尋常ではない数です。

 なぜ元軍がここまでしたのか。それは文永において、「この人数でなければ日本は落とせない」と再考したためだと、私はひっそり考えています。多分3万じゃ足りないことに気付いたんじゃないかなーと。


 しかし元軍にとって、この15万という数はとんでもないハンデになりました。

 戦争において人数が多いことは圧倒的なアドバンテージになるのですが、実は不利になる点が存在します。それは「敵が戦争の気配を察知できる」ということです。


 人数が多いという事は、そのぶん大規模な準備が必要となります。それを敵に察知されてしまうと、戦争が起こりうる時期を簡単に推測されてしまうのです。

 これはどの時代でも共通の戦争に関する事実。つまり日本は元軍が攻めて来る時期を事前に知ることが出来るのです。これは当時の京都政府が有効に機能していた証拠でしょう。


 そもそもが立地的に有利な日本にとって、これは絶対的なハンデになります。必要な時期に、ピンポイントで迎撃準備が出来るのですから。


 そして次のハンデが「戦争が起こった時期」です。この頃の日本は承久の乱が終結して以来、九州などの西側の開拓が順調に進んでいました。もし承久の乱以前に元寇が起きていたとしたら、主戦場となった博多は未開発であり、元軍を退けられなかったかもしれません。

 また、元寇から約100年後には南北朝時代が訪れます。もしその時に元寇が起こっていたとしたら、南北のどちらかが元軍に吸収されていた可能性も考えられます。

 日本が安定している時期に来てくれた元軍には、感謝しかありません。数百年前か数百年後に来ていれば、日本は滅んでいたでしょう。


 そして最後のハンデは、ご存知の通り「海の気候」です。これまで散々説明してきましたが、日本周辺の海は鉄壁の防御力を誇っています。

 そのため、元軍は特定のルートしか選択できませんでした。それが玄界灘経由の海路です。元軍が九州へやって来たのは、別に九州が良かったのではなく、そこにしか上陸できなかったということになります。


 戦争時期が察知され、上陸場所も限定される。

 上陸場所が限定されるという事は、制圧すべき場所も推測される。


 元軍は当然、日本全土を侵攻しようとしたのですから、最終目的地は「京都」になります。ここを攻めるには、まず必然的に「博多」か「鹿児島」を通って「太宰府」を制圧しなければいけません。

 


 九州において、ここだけが15万もの兵に必要な大量の物資が存在する場所だったからです。

 そしてモンゴル帝国が立てた計画こそ、博多制圧後、そこを策源地として東へ侵攻し、京都を落とす作戦だったのでしょう。


 そして当時の日本軍はこの企てを全て看破しました。


 余談ですが、北条時宗は元寇とほぼ同時期に執権になり、2度の元寇が終結してからぱたりと亡くなった、まさに元寇から日本を救うためだけに生まれたような人。ドラマチックで私は大好きです。


 閑話休題。

 つまり日本が出した結論は、「博多と鹿児島さえ全力で防衛できれば勝てる」というものでした。

 そこに幸運にも神風と呼ばれる気候が重なったことで、余裕を持った勝利が可能となったのです。つまり神風とは、完敗する運命だった日本を救った救世主などではなく、勝利できた要因の一つでしかありませんでした。


 こうして日本軍は世界最大の帝国が制圧の為に全力で派遣した外征軍を、博多付近で全て退けました。


 簡単になりましたが、これが日本が元寇を退けられた理由です。他にも中国側から東シナ海を通ってやって来る追加10万の兵力の話とか、兵站の問題を突いた作戦立案とか、日本軍がどれだけ「必然的に実力で勝利したか」を裏付ける話はあるのですが、これは趣旨と外れるので割愛します。


 ここで言いたかったのは、日本とは、海という自然の防殻と、その要因からもたらされた異常な技術力、そして発展した豊かな文化や人間性といった国力を動員し、元軍から国を防衛したということです。

 またしても日本は滅びませんでした。


【ペリー来航と日本の奇跡的な立ち回り】

 元寇の解説終わりに早速で悪いが、日本にはまた滅びかけてもらおう。


 ということで、最後に「日本が滅ぶ可能性があった出来事」というのがこのペリー来航です。

 元寇を退けた俺らなら余裕っしょ! だって敵はたった4隻程度の軍艦だぜ? 200年くらい鎖国はしてたけどイケるイケる!


 イケません。鎖国により当時の日本はヨーロッパ諸国と比較して、200年技術が遅れているのですから。

 結果、日本の陸軍海軍は戦国末期から200年間もの間ほとんど進歩しませんでした。200年前なら良かったのです。

 何せ戦国末期の日本陸軍は世界最強と名高いサムライスピリッツの持ち主たち。朝鮮戦争において日本軍の勝率は異常でした。それでも我が国が朝鮮戦争で負けたのは、おそらく「圧倒的な対外戦争への不慣れ」があったのではないかと推測できます。


 何せ約2000年間、外国との戦争なんて「元寇」とか、数えるほどしかやってこなかった日本ですから。戦略的な面での不備もあり、戦いに勝って勝負に負けた感じです。


 話が逸れましたが、そんな200年の技術の遅れは、この時代において尋常ならざる浦島太郎現象を引き起こしました。


 産業革命。

 ヨーロッパでは大航海時代や蒸気機関の開発などが巻き起こり、各国が劇的に力を高めました。もちろん向こうでは外国との戦争なんかもバチバチに起こっています。すなわち技術も進歩し続けた。


 対して日本は博多と鹿児島だけ守っていればいいような日和見的な状態。ましてやその頃の鹿児島なんて、あの悪名高い薩摩の狂人連中が居ましたから、そんな所に上陸したとしてもチェストォで殺されるのがオチです。もう博多だけ守っていればいい。


 そんな風に他国に攻められないのを良いことに、国の中で引きこもっていた連中の海軍力なんてたかが知れています。

 それが「4隻の船にすら勝てない海軍総戦力」という状況を引き起こしました。


 日本はかつて世界最強帝国の15万の兵士に勝った国ですが、そんな国でも、少し遅れるだけで4隻の船にも勝てなくなってしまうものなのです。かがくのちからってすげー!


 そんな訳で日本は黒船に手も足も出ません。

 しかし、皆さんが授業で黒船来航について習った時、こう思った人もいるのではないでしょうか。


「船なんて陸に上がれないんだから放置してもよくね?」と。


 確かに、海軍力と陸軍力は代替不可能なものです。向こうの海軍力がいかに優れていようとも、4隻程度だし搭乗人数は少ない。だったら無視して、上がってきたら潰してやればええやん!


 しかし、日本はそうしませんでした。ここが「奇跡的な立ち回り」なのです。もしそんな安易な考えで連中をしばき倒していたら、日本は間違いなく滅んでいたでしょう。


 高校の日本史の範囲になってしまいますが、日本は年貢を納めるときなどで「東廻り航路」と「西廻り航路」を利用していました。

 そしてその途中で、様々な取引が行われていた。つまり日本国内で「船舶による物流」が占めていた割合は非常に大きかったのです。


 海軍力で勝てないということは、この物流が妨害され、なす術もなく崩壊させられる可能性があったことに、日本国民は気が付きました。


 国は陸軍の侵攻だけで滅ぶのではなく、海軍の「物流破壊」でも滅ぶ可能性があることを理解したのです。

 黒船を殲滅する力がないということは、物流破壊への抵抗力が皆無ということ。


 全国各地で集めた年貢米などを江戸へ集積させる船が航路上、特に日本東岸で全て沈められてしまったら、冗談抜きで江戸の全員が餓死するのです。

 当時の江戸の規模は人口百万人超という、世界有数大都市でした。当然、自給自足など不可能。そこが崩壊させられる可能性があるということは、すなわち国が滅ぶかもしれないのです。


 断末魔の一瞬! ジャパンの精神内に潜む爆発力がとてつもない冒険を生んだ!

 なにジャパン? 外国のエグい軍艦が開国を迫って退かない? それは無理矢理鎖国を続けようとするからだよ。逆に考えるんだ。『開国しちゃってもいいさ』と。


 実際、黒船は東京湾の入り口に構えました。見方を変えればこれは「東京湾封鎖」です。そして船による江戸への物流線は、目の前で完全に途切れたことになります。

 このまま陸路で江戸まで物を運ぶとしても海を横断出来ず、物凄い遠回りを強いられてしまうでしょう。当時の陸上輸送のインフラなんてたかが知れていますし、この場合でも江戸に運ばれる物資は極端に少なくなるのです。


 海軍力で完敗しているということ、すなわち制海権の重要性を、大きな実害が出る前に骨の髄まで理解した江戸幕府は、列強諸国との力関係を見誤ることなく、奇跡的な立ち回りを見せました。


 日本は開国し、その目覚めと共に激動の「明治維新」へと足を進めます。


 そして日本はここまで蓄えていた「独自の技術力」「独自の文化」「独自の人間性」を総動員させ、世界的にも稀に見る発展を遂げたことで、ペリー来航から50年以内に、国土だけで見れば怪物クラスの超大国「中国(当時は清)」「ロシア」に、日清・日露戦争で勝利を収めることになるのです。


 またしても日本は滅びませんでした。


【何故か滅ばない国がある】

 もちろん、日本は強いです。

 しかしその「強さ」は難攻不落の海や、日本人が持つ元来の危機感に由来する、先を見通す力があったからです。


 第二次世界大戦で我々は敗北し、牙を失いました。平和を手に入れ、その安穏に甘んじています。そんな危機感の欠如は「考える力」の倒錯に繋がっているのだと、私は思います。


 通販で買った物が届かずに文句を吐き散らかす方。あなたに「考える力」は足りていますか?


 歴史には、全て理由があります。

 それは現実でも同じです。そして、その事に気付くのはなかなか難しい。


 全てに理由を見出せず、ただ感情のままに動く人が大多数になってしまったとき。それが初めて「日本が滅ぶとき」なのではないでしょうか。


 ここまでの解説で、皆さんが「へー」「なるほど」「面白いな」と思うことがあれば幸いですが、最も幸いなのは、ここからどんな教訓を見出してくれるかです。

 小さな考察ではありましたが、ここまで日本が滅ばなかった理由を知り、自分を変えてくれるような人が1人でも居れば、私は幸せです。

普段はファンタジーな小説を書いたりしてますが、今回はだいぶ趣向を変えて歴史考察をしてみました。これを小説のネタにしたければご自由にどうぞ。許諾などは要りません。


短編ですがブクマや評価、感想などを頂けるとクッソ嬉しいです。それでもし需要があれば、ネタになるような歴史考察などを書いていくのも良いかな〜とも思っています。

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― 新着の感想 ―
国内の政治家や官僚が日本を滅ぼしに来ているときはどうすればいいのでしょうか?
[良い点] 地政学的日本の位置から、物を作る事を尊ぶ気質が生まれ日本の力になっていると言う視点は初めて見ましたがすごく納得出来ました。 [一言] 太平洋戦争に負けた時も日本が滅ぼされる危機だったと思い…
[良い点] 凄いいいエッセイ 簡潔に、趣旨から外れすぎず、わかりやすくまとめてある 読者が読み続けられるようにクスッと笑えるところもある [気になる点] 若林誰やねんお前 [一言] どっかの神の国自称…
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