01/無属性範囲殲滅魔法【メテオストーム】
■/
人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない————プラトン『洞窟の比喩』
■/
果たして、不安なことが一つある。
俺が知覚しているこれが、本当に現実なのかどうかってことだ。
グルル。
というのも、ただいま絶賛、目の前では、どっからどう見てもドラゴンとしか言いようのない巨大生物が、燃えるように赤い鋭い瞳をこちらへ向けて唸り声をあげているのだ。
「おいおいおいおい、これは、いったい、どういうことかなシェキナーさん?」
鋼鉄のような全身の鱗を震わせ、こちらを威嚇しているドラゴンを極力刺激しないようにゆっくり後ずさりしながら、相棒である量子AIのシェキナーに小声で呼びかける。
『うむむぅ。これが私のお茶目な部分のメモリ区画が仕組んだザインに対する寝起きドッキリだったらホントによかったんですけどねぇ』
すると可愛らしい女の子の声が頭に響いたのと同時に、腕を組んで困り顔で悩んでいる手のひらサイズの美少女の羽根つき妖精が視界をフヨフヨと横切って行った。彼女が指をパチンと鳴らすとターゲットモノクルが目の前の巨大生物を補足しスキャン、視界の隅に立ち上がった複数の別ウィンドウに周囲の空間情報の解析結果が表示される。
『これ、見てくださいます?』
それによれば、目の前の巨大な爬虫類が、シェキナーが悪ふざけで創り出して俺の視界に紛れ込ませたホログラムの類である可能性や、ハイパースリープの覚醒直後である俺の脳みそが不具合を起こして創り出してしまった単なる妄想の産物である線はあえなく消滅。あらゆる計器の観測結果が、そのドラゴンじみた巨大生物が、ちゃんと実体を持った現実の代物であるということを裏付けていやがる。
もはや、溜息しかでてこねえ。いや実際には、額から滝のような汗が出てきてますけどね。
『ご覧のように間違いなくホンモノですねぇ。えっと、それでザイン、どうします? 眼の位置や歯の形状から、ゼッタイあれ肉食ですよ? すぐに襲ってこないでこっちの出方を覗ってるあたり、多少の知能もあると見受けられますねえ。あの威嚇の仕方から計算してみると、こちらに友好的ではない可能性大なりってところです。できれば私、ザインが捕食されちゃうなんてグロ映像は観測したくないですよ?』
頭の中に響いている声音が若干引き攣っている。わかりきっていることを説明し、ジョークの一つも挟んでこないあたりから察すると、状況はすでに逼迫しているということか。だが、どうするもなにも、相手がこの世界において、どういうものなのかまったくわからない以上、こちらに交戦するという選択肢はない。そもそも、あんなわけのわからないバケモノと戦闘するなんて俺の任務に包含されてはいないしね。
『ザイン、ひき肉になって巨大爬虫類っぽい何かの栄養になる前に早急なるご判断をおすすめしますけどねぇ』
「とりあえずここはいったん逃げて安全な場所で今後の身の振り方ってやつを話しあったほうがいいと思うけどね?」
『あっ、良いですね! 私もその聡明なるご判断を支持しまーす! 逃走経路は今しがた設定したのでスキャニングした周辺一帯の地形データをささっと送っちゃいますね?』
「相変わらず仕事が早いな。お利口さんだぜ、俺の守護天使」
視界の左上に出現した簡易の地形マップデータを確認しながら、猫をあやすように妖精体のシェキナーの首もとを指であやしてやる。
『でゅふふぅ、……あいたぁっ!?』
気持ちわるく調子にのったホログラムの妖精をデコピンで脇へ飛ばすと、俺は再びドラゴンに向き直って眼つけた。
「オーケー。ならば善も急げば世は事もなし、だ。ナビゲートをよろしく頼む」
『ラジャー』
さて、ここで瞬時に踵を返して漫画みたく一目散に逃げだす算段であったが、ところがどっこいそうは問屋が卸さない。ドラゴンが翼を広げ、猛々しく咆哮し、大気を震わせたのである。
『私の未来予測によれば、あのトカゲやろーが何かするつもりであることは確かだと思いますけど』
「そんな未来予測なら俺でもできるわ」
『あっ、馬鹿にしてますね! だったらザイン、あなたは今、あのトカゲやろーが何してるのかわかるっていうんです?』
「あれだろ、ほら。動物がよくやるディスプレーってやつじゃない?」
身体を大きく見せて威嚇するやつ。
『私たちの方がもとから小さいんですから、ああやって自分の身体を大きく見せる必要はないと思うんですけどぉ?』
それもそうだ。
おいおいだったら、大きな口を開けて、いったい何をするってんだ?
俺がいる場所はどう考えてもやつの間合いの外。あんな距離からじゃ、やつの牙も爪も届かない。
しかし、単にそのギラギラ光り輝く鋭く尖った牙や爪を自慢するためだけではないことも事実。
何らかの予備動作であることは確かである。
ヴヴヴ————。
うん?
ドラゴンの口の中が羽虫の蠢くような音を響かせながら不気味にも光り輝き始めてますけど、これはいったい?
我ながら早く逃げりゃいいものを、未知の生物の奇怪な行動に逃げることを忘れて俺が暢気にも観察していると、次の瞬間であった。
ドラゴンの口の前の中空に、幾何学模様の光るオカルティックな円陣が出現した。
それと同時に、シェキナーが慌てた叫びでアラートを発する。
『えぇっ!? ななな、なんじゃありゃーぁ!? ぶーっぶーっ! 警報っ! 警報ぉぅっ! 目標に高エネルギー反応っ!? 急速に収束していきまっ、え!? ちょっ、抑制フィールドによる加速荷電粒子の臨界圧縮状態の保持までっ!? まっ、待って、うそでしょっ! そんな電力どこからっ、いやでもっ、これたぶんっ————』
——————ッ(記録化しがたい射撃音)。
ビームです死んじゃう避けてぇっ、というシェキナーの情けない叫び声は、ドラゴンが口から放射した光の轟きにより掻き消えた。逃走するために筋繊維をナノマシンで強化していた俺は、寸前のところで地面を転がって回避行動をとることに成功する。
「チッ、シェキナーテメェっ、警報出すのがおせえぞごるぁ!」
悪態付きながら地面から起き上がる。俺のさっきまでいた場所は、物の見事に溶解し、空気がバチバチとプラズマ化して弾けていやがるのを視認した。
「畜生がっ! 前言撤回だ! あんなもん逃げてる後ろから撃たれたら洒落にならねえ! シェキナーっ、ベリアルのアップロードを要請! 正体不明の敵をドラゴン・ワンと仮称! 応戦するぞ!」
『……あ、あー、ベリアルっていうのは、特殊作戦用強化外骨格ECLIPSの汎用戦闘型であるECLIPS-X12Mベリアルのことをおっしゃってるので?』
「なにわかりきったこと言ってんだっ! あんなもんに対抗できる武装は強化外骨格くらいしかねえだろうが! この際ベリアル以外でも何でもいい! ザガンやフォルネウスでも! いいから早く出せ!」
『あー、えっとぉ、それがですね? さっきから強化外骨格のアップロードをやってるんですけど、ちょっと時間がかかるってゆーか』
「ちょっとって、どのくらいかかるんだ!」
『少なく見積もってもあと、……170時間くらい?』
「はぁ!? なぜそんなにかかるんだ!」
『てへ♡ 百万年たつとさすがの私も壊れたところがたくさんでてきちゃってるんで単純なリソース不足というやつですよぉ♡』
「そんなに時間かかってたら食べられたあげく骨も残らず消化されたうえ排泄物になって土に還っててもお釣りがくるわボケがぁッ! 相変わらず使えないやつだなお前はぁっ!」
『うわぁ、ひどいっ! 俺の守護天使キリッ、とか臭い台詞言ってたくせにっ! 手の平返し早すぎるぅ! わっ、私だって百万年のスリープモードから再起動したばかりで必死で経年劣化しているところとか、いろんな武装を解体したリソース使ってバイパス回路をせっせと繋いでリソース復旧するため頑張ってるのに! あーあー、そんなこと言うならもうザインのサポートやめちゃおっかなぁ!』
「それを言うなら俺だって同じだぜ! ハイパースリープから目覚めたらこんな異世界ファンタジーみたいな世界になってて今必死で現状を飲み込んで消化しようと頑張ってるのになんだ! しょっぱなから俺が呑み込まれて消化されそうな状況になっちまってるじゃねえかよ! あーあー、任務放棄するつもりならいいんだぜ。こっちはテメエの自壊コードを持ってるってこと忘れてねえかあ、ええ!? 」
『あはは、笑えなーい! 笑えませんよぉ私たち良いオトモダチじゃないですかぁ! とりあえず今すぐアップロードできる武装を送りますから、それを使ってなんとかこの窮地を脱出してください! その後で、私の自壊コードの記憶からの完全な抹消を条件に取引しましょお、ねえ? あっ、いやっ、その前に、第二射きまーすよぉ! ほら回避回避ぃ!』
「ッちぃッ!」
射撃予測線が視界に表示されるや否や、閃光が迸った。体内のナノマシンを総動員して筋肉と脳髄を直結し、反射的動作によりそれを回避せしめた俺って案外すげえと自画自賛しながら地面を滑る。しかし、俺の回避運動のコースを予測したのか、その巨体に似合わず俊敏な速度で目の前には跳びかかってきたドラゴンが、鋭い爪の生えている右前足をすでに振りかぶっている。
『量子武装庫シュレディンガーより量子データのアップロード完了! CEQ-38Aエクスカリバーの観測を開始! さあこれであいつの足を真っ二つにしてください!』
おうよ。
目の前に出現したのは細身の直剣。あんな巨体と戦うには少し不安な武装だが、この際仕方がない。その直剣の柄を握り、振り下ろされるドラゴンのスタンプ攻撃にドンピシャで合わせる。
直剣とドラゴンの右前足が接触した部分で特大の閃光が弾けた。
『っ!? えぇーっ!? そ、そんなぁ!?』
「おいおいおいおい、こりゃいったいどういうことだ!」
俺とシェキナーが驚愕したのは、これで何度目だろうか。というのも、シェキナーが取り出したのは高周波振動剣CEQ-38Aエクスカリバー。それは俗にいう、あらゆる物体を斬れることが売りの斬鉄剣だった。ところがどっこい、目の前ではその直剣の刃を足で受け止めているドラゴンがいる。こうなってくると、このドラゴンは防御特化型の強化外骨格ザガンと同程度のアンチマテリアル装甲を持っていることになる。生物でそれを持ちうるなんてことは、絶対にあり得ない。いや、よく見ると、直剣とドラゴンの右前足の間には、まるでドラゴンを守る盾のように小さな光る円陣が閃光の飛沫をあげながらエクスカリバーの刃を受け止めていた。
ドラゴンが咆哮する。
やば、やつめ。こっちに体重を乗せてきやがった。
身体中の筋繊維が断裂する音。
そして、俺が踏ん張っている場所から同心円状の地割れが拡散する。
「こんにゃろ……ッ!」
舐めるな。トカゲ風情がっ。
力を横に受け流し、窮地から脱する。
そのまま後ろに跳んで、ドラゴンから距離をとってエクスカリバーを構えた。
ドラゴンが再び口角を大きく広げる。
『口からビームがまた来ます! でも、今度は大丈夫ですよぉ! CEQ-33Dプリトウェンの観測を開始! さあ、これで防いでぇ!』
こっちも再び目の前に出現したのは手甲盾。それを俺が左手に装備したのと、ドラゴンがビームをぶっパするのはほぼ同時。プリトウェンの甲がドラゴンのビームが直撃した瞬間に展開し、そのエネルギーを熱量に変換し、内蔵する排熱機関マクスウェルによって赤色の光粒子として散らす。
エネルギー変換型防護盾CEQ-33Dプリトウェン。エクスカリバーと言い、まさか、強化外骨格特化歩兵でエクリプスの悪夢とまで二つ名をつけられてたこの俺が、まさか肝心の強化外骨格は使えず、しかもRPGで言うところの、こんなひのきの棒と木の盾を手にして戦うとは。しかも相手は現実とは思えないくらいのバカでかい羽根の生えたトカゲだし。
だが。
これでそのビックリビームは封じてやった。
やられてばかりは癪に障るっていうのは、戦士共通のプライドってやつだ。
そんなドヤ顔の俺をドラゴンはじっと見つめると、大きな翼を広げて上空へはばたく。
しばらく滞空してこちらを見下すと、怒髪天と言わんばかりに広げた翼の後ろに巨大な光の円陣を浮かび上がらせ始めた。どうやら俺はドラゴンの頭をぷっつんさせてしまったようだ。大きな光の円陣は幾何学模様とともに何らかの文字を描き始め、ドラゴンの周囲を回転し始める。
「…………なあ、シェキナー」
『…………なんです?』
「一つ、聞いてもいいか?」
流れ落ちていく冷や汗をぬぐいつつ、俺は胸のうちにあっても今まで言わなかった疑問を量子AIである自分の相棒に、我ながら馬鹿げているとは思う質問をしてみることにした。
「俺のいた現実に、魔法って存在したっけ?」
シェキナーの返答は、ドラゴンが召喚したと思しき無数の小隕石群が地表に飛来する轟音によって消えてなくなるのだった。