五 社長?
「ここね、僕の行きつけの店なんだよ」
そこは居酒屋だったが、いわゆるチェーン店ではなく、個人が営んでいるような店だった。
入口には珠のれんが掛けられてあり、扉も木造の格子戸だった。
「いらっしゃい!」
飯田が扉を開けると、店員が元気のいい声で迎えた。
「おや、飯田さん。今日はお連れさんもご一緒ですか。珍しいですね」
カウンターの中にいる、店長と思しき男性が言った。
「そうなんですよ。奥は空いてますかね」
飯田が訊いた。
「もちろんです。飯田さんの特等席ですからね」
「いつもありがとう」
「お嬢さん」
男性が私を呼んだ。
「はい」
「飯田さんね、女性をお連れになるのは初めてなんですよ」
「え・・」
「おやじさん、あまりペラペラ喋らない」
「あはは、こりゃ野暮でしたね。おい、太一、奥へご案内して」
太一と呼ばれた男性は、私たちを迎えてくれた人だった。
「かしこまり!」
私たちは太一に案内され、奥の部屋へ上がった。
「飯田さん、お飲み物はいつものでいいっすか!」
「二之宮さん、なにがいい?」
「お任せします」
「んじゃ、ビール二つね。生ね」
「かしこまり!」
そして太一は障子を閉めて出て行った。
この部屋は六畳の和室だった。
床の間もあり、花瓶も置かれていた。
「飯田さん、常連なんですね」
私は座布団に座り正座していた。
「まあね」
「この部屋は飯田さん専用なんですか?」
「あはは、まさか」
「でもなんか、さっきの感じだと・・」
「たまたま空いてただけだよ。それより足を崩したらいいよ」
「あ・・はい」
私は言われたとおりに座り直した。
「それにしても会ってくれて嬉しいよ」
「いえ・・そんな・・」
「断られたら落ち込んでたなぁ」
飯田は、またあの優しい笑みを私に向けた。
「さっきね、おやじさんが言ってたこと、本当なんだよ」
「え・・」
「女性を連れてきたってこと」
「あ・・ああ」
飯田は誰が見てもイケメン男性だ。
女性が放っておくわけがないのに。
私は俄かに信じられなかったが、おやじさんの言ったことは嘘ではないと、なぜかそう思えた。
「私も・・デートなんて、何年振りか・・」
「彼氏?」
「あ・・でも五年前のことです」
「まあ過去のことはいいよ」
「すみません・・」
「これからは僕だけを見てね」
「あ・・はい・・」
私は思わず体が熱くなる思いがして俯いた。
「ほらほら、何か注文しないとね」
飯田がメニューを差し出した。
「なんでもいいよ」
そしてニコッと微笑んだ。
私は「それじゃ・・」と言って適当に頼んだ。
やがて料理が次から次へと運ばれ、ビールもおかわりをして私たちは徐々に打ち解けていった。
「それでね、薫が飯田さんのこと詐欺師だって言うんですよ。酷いでしょう」
「あはは、面白い人だね」
「それで写真撮って来い、なんて言うんですよ」
「いいよ。写真なんて何枚でもどうぞ」
「え、いいんですか」
「もちろんだよ」
そして飯田はニコリと微笑んで、私がシャッターを押すのを待った。
「すみませんね。それではお言葉に甘えて。いいですか~」
カシャ・・
私は画面を見て、よく撮れていると思った。
「見せて」
私は飯田に携帯を渡した。
「なんか自分の顔って、やっぱり嫌だよね。こんなのでいいの?」
「そんな、いいに決まってます」
「ほんと?」
「飯田さん、すごく素敵です」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
「いえ・・そんな」
「また会ってくれるかな」
「も・・もちろんです!」
私はこの短時間で、また飯田に惹かれていく自分を認めずにはいられなかった。
嬉しいことは嬉しいとはっきり言ように、自分の気持ちを隠さないところに誠実さを感じた。
ある意味、少年のような純粋な心を持っているのだとも思った。
ほどなくして私たちは店を後にした。
「さて、今日は帰ろうか」
飯田が歩きながらそう言った。
私はある意味、意外だった。
時間はまだ九時だ。
この後、別の店で飲み直すのだとばかり思っていたからだ。
「あ・・はい」
「ほんとはこの後も一緒に居たいけど、大事なお嬢さんだからね。帰すのは当たり前だよ」
「そ・・そうですか・・」
「また連絡するね」
「はい、お待ちしてます」
私は自分が恥ずかしくなった。
考えたら、出遭ってまだ二日目。
今日はこれで帰るのが常識だわ。
そう考えると、飯田は一般常識を持ち合わせた人なんだと、改めて思い知った。
「あ、飯田社長!」
そこに一人の男性が飯田に声をかけた。
え・・
しゃ・・社長?
「こらこら」
飯田は男性の腕を引っ張り、私から離れた。
飯田さんて・・サラリーマンだよね・・
一介のサラリーマンって言ってたよね。
社長って・・どういうこと?
「二之宮さん、ごめんごめん」
飯田と男性が戻ってきた。
「こいつね、同僚の坂槙栄治」
「そうなんですか・・」
「坂槙は、僕のこと「社長」ってあだ名で呼ぶんだよ。変だよね」
「そ・・そっ・・うなんですよ!僕、坂槙です。よろしく」
坂槙は、どこかしら焦っているようにも見えた。
「二之宮です・・よろしくお願いします」
「そうですか~!彼女っすか!」
「坂槙ぃぃ~」
飯田は両手で坂槙の頬をつねった。
「しゃ・・社長、痛いっすよ」
「余計なこと言うんじゃない」
「ひぃ~・・すみません」
「社長」というあだ名は・・私の想像するに、中年の太った男性とか、そんな人につけられるよね。
みるからに、イケメンのスマートな男性につけられるとは思えないんだけどなあ。
「二之宮さん」
飯田は坂槙から手を離した。
「あ・・はい」
「駅まで送って行くよ」
「私なら大丈夫です」
「ダメ。送るよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「っんじゃ、社長!僕も帰りますねー」
「だからそのあだ名、やめろって」
「まあまあ。じゃ、二之宮さん、社長を頼みます~」
坂槙は逃げるようにして去って行った。
「はあ~・・まったく変なやつ」
「・・・」
「あ・・二之宮さん、僕がほんとに社長って思ってるね」
「え・・」
「顔に書いてあるよ」
「違うんですか・・」
「これはあだ名だよ」
「そう・・ですか・・」
「さ、帰ろうか」
そして私たちは駅に向かって歩き出した。




