十八 仲たがい
私は混乱しながらも、とりあえず家にたどり着いた。
薫の家に行こうとも考えたが、苦言を呈されるに違いないと、思い留まった。
そして、今は飯田を信じる他ないと、自分に言い聞かせた。
すると飯田から電話がかかってきた。
「もしもし・・」
「沙月・・ほんとにごめん」
「ううん、いいのよ」
「親父の非礼を詫びるよ」
「そんなことはいいの」
「僕のこと信じてくれるよね」
「お見合いのこと・・?」
「上辺だけ付き合っているのは本当なんだよ。でもそれは、とりあえず親父を納得させるためなんだ」
「うん・・」
「僕が好きなのは沙月だけだから、ね?」
「ほんとに信じてもいいのね」
「信じてくれないと、僕はどうしていいかわからないよ」
「うん、わかった。信じる」
「ああ~、よかった。じゃ、また連絡するね」
「うん、待ってるね」
そして電話は切れた。
私は飯田の、あの誠実さは嘘ではないと思った。
決して長くはないが、これまでの飯田を見てきてそう確信していた。
ただ・・これからを思うと、何があっても折れない心と覚悟が必要だと痛感していた。
「薫、もう足はいいの?」
翌日、私と薫は社員食堂にいた。
「テーピングして固定してるし、大丈夫だよ」
「そっか。よかった」
「それより、飯田さんとはどうなってんのよ」
「あ・・うん・・」
「なによ」
「実は昨日ね、お父さんが来たの」
「え・・どこに」
「飯田さんのマンション」
「マジか!それで?」
「私・・侮辱されてね」
「なんでそうなるのよ」
「飯田さん、お見合いした相手と付き合ってるらしいの」
「ちょっ・・沙月、あんたなに言ってるかわかってんの」
「うん」
「それって二股かけてんじゃん」
そして私は飯田の事情を説明した。
「あんたさ・・それ信じてるわけ?」
「うん。信じてる」
「バッ・・バカじゃないの!」
「薫・・」
「それね、よくある話。まったくもう~~!なにやってんのよ」
「そんな・・」
「んでさ?飯田さんはその相手と結婚して、あんたは捨てられるか愛人ってのが関の山だよ」
「そんなことない!」
「沙月、目を覚ましなさい」
「私は冷静だよ」
「あ~あ。やってらんないわ。私、飯田さんに文句言うから」
「やめてよ!」
私は周りのことも考えず、思わず大声で怒鳴った。
するとみんなが私たちの方を見た。
「沙月・・」
「お願い。もうこれ以上邪魔しないで」
「邪魔って・・ちょっと、なによそれ」
「だって薫は反対ばかりしてるじゃない」
「反対するでしょ、普通。あんた二股かけられてるんだよ?それ、わかってんの」
「二股なんかじゃない」
「そっか。わかった。勝手にすれば」
薫はトレーを持って立ち上がった。
「薫・・私が持って行くよ」
「放っといて」
そして薫は食堂を後にした。
これまでの私なら、きっと薫のアドバイスを受け入れただろう。
でも、今回ばかりは聞けない。
もう・・引き返せないのよ。
私の気持ちが・・無理なのよ。
それからというもの、薫とはあまり口を利くことがなかった。
昼食も別々に摂るようになっていた。
―――薫とケンカして一週間後。
「まだ和解してないの?」
私は飯田のマンションにいた。
ソファに座っている飯田が訊いた。
「そうなの」
私はキッチンでコーヒーを淹れていた。
「そっかあ・・沙月も辛いよね」
「まあ・・ね」
「責任感じるよ、僕」
「陸斗さんのせいじゃないわ。薫が分からず屋なだけ」
私はカップを二つ持って、飯田の横に座った。
「薫さん、どうしたらわかってくれるのかな」
飯田はコーヒーを口に含んだ。
「今は何を言っても無理だと思うの。時間が必要だわ」
「そうだね」
「それより、お父さん、その後、どう?」
「ああ~・・あの分からず屋ね。相変わらずだよ」
「それで・・お相手の方とは会ってるの・・?」
「ここ最近は会ってない。仕事だと言って断ってる」
「そうなんだ・・」
「僕が会いたいのは沙月だけだよ」
「・・・」
「どうしたの?」
「陸斗さん・・」
「なに?」
「私を・・捨てないでね・・」
「なに言ってるの?僕が沙月を捨てるわけがないだろう。僕のこと、信じてないの?」
「ううん。信じてる。信じてるんだけど・・」
「沙月・・」
飯田は私の顔を両手で触れた。
「僕は沙月を絶対に裏切らない。沙月とずっと一緒にいるよ」
「陸斗さん・・」
私は涙が溢れてきた。
「不安にさせてごめん」
「ううん・・私の方こそ泣くなんて・・」
「僕が沙月を守るからね」
そして飯田は優しくキスをした。
「今日も・・泊まってもいい?」
「帰るって言っても帰さないから」
その言葉に、私は思わず飯田の胸に顔を埋めた。
そして私は涙を拭いてコーヒーを飲んだ。
飯田は立ち上がってCDを選んでいた。
「これ、いいんだよ」
そしてクラシック音楽が流れてきた。
「沙月、おいで」
飯田は私の手を握り、窓際まで連れて行った。
夜景が相変わらず綺麗だった。
「ねぇ、沙月・・」
飯田は私を後ろから抱きしめながら、そう囁いた。
「なに・・」
「水森英太って人、知ってる?」
「え・・」
水森英太・・
あ・・
あっ・・高校の時、クラスメイトだった子と同じ名前だわ。
「陸斗さん・・なんでそんなこと訊くの」
私は飯田の方に向きを変えた。
「いや・・知ってるのかなって思って」
「高校の時、クラスメイトだった人と同じ名前・・」
「そっか・・」
「え・・なんで・・?」
「じゃ、知ってるんだね」
「知ってるというか・・クラスメイトだったし・・」
「そっか・・」
「なんでそんなこと訊くの?」
「いや、会社にその人がいてね」
「え・・そうなんだ・・」
「それで、沙月と同じ高校に通ってたって耳にしたから」
確かに飯田には、私が通ってた高校の名前を以前話したことがある。
でも、水森が社員だったとしても、そんなことわざわざ訊くかな・・
「沙月、勘ぐらないでね」
「別にそんなつもりはないけど・・」
「同じ高校に通ってたんだなって思っただけだから。ほんとに」
「そうなのね・・」
私は何だか釈然としなかったが、これも飯田が私を好きだというゆえの、興味から出た話だと納得させた。