十六 覚悟
―――飯田と付き合って十日が過ぎた。
飯田は仕事も忙しく、会う機会もなかったが、メールや電話を欠かさずくれた。
飯田は私が受け入れたことがよほど嬉しかったのか、「何があっても僕が沙月を守るからね」といつも言っていた。
そして今日は、十日ぶりに会う約束をしていた。
薫は出社もしていて、相変わらず私のことを心配していた。
「今日、会うんだ」
お昼休み、社員食堂で薫が言った。
「うん」
「あんたさ・・ほんとにいいの?」
「うん。もう決めたの」
「決めた・・ねぇ」
「飯田さんなら着いて行ける気がするのよ」
「危なっかしいなあ」
「私だってこれまで慎重に見てきたつもりよ。なにもその場の勢いで、とかじゃないのよ」
「そりゃそうだけどさ、なんだかねぇ・・」
「私、頑張るって決めたの」
「え・・まさか結婚するつもり?」
「そ・・それはこれから次第だけど、その覚悟もあるの」
私はこの数日間、自分なりに色々と考えた。
飯田と付き合うという事の意味を・・
別れることを前提に付き合うなんて、やっぱり無理だしバカげている。
それこそ時間の無駄だ。
それならば、前を向いて将来のこともちゃんと考えようと思ったのだ。
これから先、想像もしない困難が待ち受けているだろう。
けれども飯田が「僕が沙月を守る」と言った言葉が、私の支えになったことは確かだ。
そしてなにより、私が飯田を好きであるこということが、あらゆる迷いを払拭させることにもなった。
「そっか」
薫はあっさりとそう言った。
「でも私は賛成はしないよ」
「薫・・」
「沙月の口から「覚悟」なんて言葉を聞くとは思わなかったよ」
「どういうこと」
「もう沙月に何を言っても無駄だってこと」
「・・・」
「心配しなさんな。何かあれば話は聞いてあげるよ」
「私・・きっと幸せになってみせる」
そう。
幸せになるんだ。
私は自分が放った言葉に後押しされた気がした。
そしてそれが、本当に覚悟を決めた瞬間だった。
会社が引け、私は飯田といつもの場所で待ち合わせをしていた。
「沙月~」
飯田が私を見つけ、駆け寄ってきた。
「待った?」
「いいえ、私も来たところです」
「沙月~、そろそろ敬語を止めて話そうよ」
「ああ~・・」
「僕はもっと気軽に話したいな」
「はい・・あ、うん、わかった」
「いいね~」
そして飯田は私の手を握り、繁華街へ歩き始めた。
「お仕事、忙しいの?」
私は飯田を見上げで言った。
「まあね」
「そっか・・大変だね」
「沙月と会えたから、また明日から頑張れるよ」
「私もよ」
こんな会話が、私は嬉しくてたまらなかった。
いつも私を思ってくれる飯田と、ずっと一緒に居たいとも思った。
飯田は、最初に私を連れて行った居酒屋へ向かった。
「いらっしゃーい」
私たちが扉を開けて入ると、あの元気のいい太一という店員が迎えてくれた。
「飯田さん、いらっしゃいまし」
カウンターの中の店長が言った。
「奥、空いてますかね」
「もちろんですとも。太一、ご案内して」
「かしこまり!」
「おやじさん」
飯田が店長に話しかけた。
「紹介しますね。僕の彼女で二之宮さんです」
私はいきなりそう言われたことで、少し戸惑った。
「そうでしたか。いやね、私の勘が当たりましたよ。な、太一」
「はい!おやじさん、あの二人は将来夫婦になるぞって」
「あはは、それは気が早いな」
飯田は嬉しそうに笑った。
「二之宮沙月です、よろしくお願いします」
私は店長に頭を下げた。
「よしておくんなさい。こちらこそ、今度ともよしなにしてやってください」
店長も頭を下げた。
私はある意味、将来の嫁として認められた気がしていた。
そして私たちは、美味しい料理を堪能し、満足して店を後にした。
「まだ九時か」
飯田が腕時計を見て言った。
「沙月、どうする?もう一軒いく?」
「あぁ~・・どうしようかな」
「もしよかったら僕のマンションに来ない?」
「え・・」
「心配しなくても、なにもしないよ」
「いえ・・そんなつもりじゃ」
「ここから近いんだよ」
「そうなのね・・」
私は少し戸惑ったが、飯田がどんな所に住んでいるのか見てみたい気もしていた。
「じゃ、お邪魔させてもらおうかな」
「よーし!決まりだね」
そして私たちはタクシーに乗った。
飯田のマンションは、車で十五分くらいのところに建っていた。
いわゆるタワマンといわれる類の、高級マンションだった。
「すごいね・・」
私はマンションを見上げて、半ば呆然としていた。
飯田の部屋は、当然のことながら最上階にあった。
中へ入ると、一目で高級だとわかる調度品の数々が置かれてあり、リビングも三十畳くらいあった。
「私・・なんか・・緊張するというか・・」
私はリビングの隅で立ち尽くしていた。
「沙月、ほらこっちおいで」
飯田がリビングのカーテンを開けると、都内の夜景が目に入ってきた。
「あ・・」
私はまるで吸い寄せられせるように飯田の横へ行き、窓の外を見た。
「なんて綺麗なの・・」
「この夜景を、沙月に見せてあげたかったんだよ」
「え・・それで私を?」
「そうだよ」
「ありがとう・・とても嬉しい」
そして飯田は後ろから私を抱きしめた。
「沙月・・」
飯田が私の耳元で囁いた。
「僕を受け入れてくれてありがとう」
私は死ぬほど幸せだと思った。
この夜景を私に見せたいという飯田の気持ちが、この上なく嬉しかった。
しばらく二人で夜景を見た後、私たちはリビングのソファへ移動した。
「沙月、ビールとチューハイ、どっちがいい?」
飯田はそのままキッチンへ移動し、冷蔵庫を開けていた。
「飯田さんと同じで・・」
「沙月~、もう陸斗って呼んでよ」
「え・・ああ・・」
「ほらほら」
「陸斗・・さん」
「呼び捨てでいいよ」
「いえ・・呼び捨ては、なんか嫌っていうか・・」
「そっか。じゃそれでいいよ」
そして飯田はワインとチーズを持って、テーブルに置いた。
「じゃ、改めて乾杯しようか」
「うん」
「沙月、これからもよろしく」
「こちらこそ」
私たちはグラスをチンと鳴らし、互いに微笑みながら乾杯した。