十五 引き返せない選択
レストランを出た後、車は都内に向けて走った。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
飯田は前を向いたままそう言った。
「こちらこそ、楽しかったです」
「楽しんでくれたなら、よかった」
「それとご馳走なってばかりで、すみません」
「そんなのいいんだよ」
「あの・・飯田さん」
「なに?」
「もう帰るんですか・・」
「え・・」
飯田は私の言葉に驚いて、チラリと見た。
「いえ・・なんかお礼をしたくて」
「そんな~、僕が誘ったんだから気にしないで」
「でもそれじゃ申し訳ないですし」
「じゃさ、そのお礼は今度ってことでいいかな」
飯田は今後会うことを、暗にほのめかせた。
「今度・・」
「ごめん、冗談だよ」
そこで会話が途切れた。
次も会うと・・きっとその次もってなる。
飯田さんがそうだというわけじゃなく、私が・・なのだ。
お礼をしたいと言ったのも、このまま別れたくない気持ちから出た言葉だった。
「沙月・・?」
「あ・・はい」
「冗談だから気にしないで」
「いえ・・気にしてるわけじゃ・・」
そこで車は、いきなり車道の端に停められた。
カーステレオも切り、車内はシーンとなった。
「沙月、お礼なんていいから」
「でも・・」
「願いを聞いてくれただけで、僕は十分だよ」
「あっ・・あの・・」
私は自分が何を言おうとしているのか、わからなかった。
いや・・わかっていたけど、口には出せなかった。
「なに・・?」
「いえ・・なんでもありません」
「話したいことがあるなら言って」
「・・・」
「もう最後なんだし」
最後・・
その言葉がとても淋しく感じた。
私の気持ちは、これ以上ないほど葛藤していた。
飯田を好きだという気持ち、このまま別れたくないという気持ち・・
けれども・・このまま続ければ、きっと私は引き返せなくなる。
「飯田さん・・」
「なに?」
「私・・どうすればいいんでしょうか」
「え・・」
「私・・飯田さんが好きです・・」
「沙月・・」
「でも・・このまま続けると・・きっと・・引き返せなくなる・・」
「引き返さなくていいよ」
「・・・」
「ずっと一緒にいてほしいよ」
「ほんとにそれでいいんでしょうか・・」
「家のことを心配してるんだね」
「はい・・」
「僕が沙月を守るよ」
そう言って飯田は顔を近づけ、私の唇に触れた。
私はもう抵抗もしなかった。
こうして私は飯田と付き合うことになった。
多少ためらいもあったが、飯田に任せて着いて行けば、なんとかなると思い始めていた。
―――次の日、私は会社が引けたあと、薫の様子を見に行った。
「沙月~」
私が訪問したことを、薫はとても喜んで迎え入れてくれた。
「来てくれて嬉しいよ~。さ、入って~」
「お邪魔します~」
薫の住まいは1DKの小さなアパートだった。
狭いながらも綺麗に整頓されていて、いかにも薫らしいさっぱりした部屋だった。
「具合はどう?」
私は買ってきたケーキの箱をテーブルに置き、そのまま座った。
「あまり変わんないけどね」
薫もそのまま、私の向かい側に座った。
「しっかし、足を痛めると不自由だわ」
「そりゃそうよ」
「杖無しで歩けるんだけどさ、走れないしさぁ」
「もう少しの辛抱だよ」
「今日は泊まってく?」
「どうしようかな・・」
「泊まってってよ~」
「でも着替えとか持ってきてないし」
「そんなのいいじゃん。一日くらい」
「薫、晩御飯食べたの?」
「まだなんだ~」
「じゃ、私、なんか作るね」
私は立ち上がって冷蔵庫を覗いた。
「助かる~。なんでも使ってくれていいから」
そして私は適当に材料を選び、おかずを作ることにした。
「沙月はいいよなぁ~料理上手で」
薫は座ったままそう言った。
「そんなことないって~」
「私が男だったら沙月と結婚したね」
「あはは、なに言ってるのよ」
「結婚は、なんといっても料理だよ」
「そうなのかな」
私は昨日、飯田が同じようなことを言ったのを思い出していた。
飯田さんと付き合うこと・・薫に言うべきなんだろうか。
このままずっと内緒にするわけにもいかないし・・
でも・・反対するだろうな・・
やがて食事の用意が整い、私たちは食べ始めた。
「うひぇ~、この麻婆なす、美味しい~」
「ありがとう」
「この具だくさんみそ汁も、最高だよ」
「あはは、大袈裟ね」
「沙月ちゃん~私と結婚して」
「あはは、薫ったら」
飯田とのことを言うべきか・・言わざるべきか・・
「沙月、どうかしたの?」
「え・・どうって・・」
顔に出てるんだわ・・私。
「なんかあったでしょ」
「べ・・別に・・」
「この私を騙せると思ったら大間違いだよ」
私は思わず下を向いた。
「はっはぁ~・・」
「な・・なによ」
「飯田さんがらみだね」
「・・・」
「やっぱり・・」
「・・・」
「なにがあったの」
「実は・・」
そして私は飯田とデートしたことを話した。
「なっ・・沙月・・」
「・・・」
「あんた、なにやってんのよ」
「だって・・」
「え、じゃなに?このまま付き合うつもり?」
「うん・・」
「げっ・・マジで?」
「・・・」
「きっと後悔するよ」
「・・・」
「あんたが、あの家に嫁ぐ覚悟があるなら別だけどさ」
「・・・」
「どうなのよ。ないなら止めた方がいい」
「私・・飯田さんが好きなの・・」
「そんなの関係ないよ」
「え・・」
「好きだけで結婚できると思う?あの家だよ?」
「そうだけど・・」
「どうなっても私は知らないよ」
「薫・・」
「先は見えてるってことだよ」
その後も薫は、私が辛い思いをするだけだと言って、反対し続けた。