十四 最後のデート
―――あれから五日が過ぎ、薫は無事に退院していた。
それでも歩行は困難、通勤も無理だということで、あと一週間会社を休むことになった。
そして私は休日である今日、飯田とデートをすることになっている。
このことは、もちろん薫には内緒だ。
私は朝から身支度を整え、待ち合わせの場所へと急いだ。
駅前に着くと、飯田は既に待っていた。
「おはようございます」
私は小走りで飯田に駆け寄った。
「おはよう」
飯田は嬉しそうな笑顔を見せた。
「お待たせして、すみません」
「ううん。全然待ってないよ」
そう言って飯田は、私の前を歩き始めた。
飯田に着いて行くと、車道の端に車が停められていた。
「沙月、どうぞ」
飯田は助手席のドアを開け、私に乗車するよう促した。
私はてっきり電車でどこかへ行くものだと思っていたので、とても驚いた。
しかも車は誰もが知る高級車だった。
私は少し戸惑いながらも、助手席に乗った。
「さて、今日は僕のプランでいいかな」
運転席に乗った飯田が言った。
「あ・・はい」
私は小さく頷いた。
そして車は走り出した。
「ほんとは迷惑だったんじゃないの」
飯田は前を向いたままそう言った。
「いえ・・迷惑だなんて」
「ほんと?」
そこで飯田は私をチラッと見た。
「はい・・」
「それならよかった」
車内は洋楽のBGMが流れていた。
そして、とてもいい香りがしていた。
「この曲、私も好きです」
私は何か話さなければと思い、たまたま知ってる曲が流れていたのでそう言った。
「これいいよね」
「飯田さんは洋楽がお好きなんですか」
「うん。でも邦楽も好きだよ」
「そうですか」
「沙月は?」
「私も邦楽、好きです」
「例えば?」
「うーんと・・今ならJUJUかな」
「ああ~JUJU、いいよね」
「飯田さんは?」
「ミスチルかな」
「あ、私も好きです」
「じゃさ、そこのボードにCDが入ってるから替えてもいいよ」
私は言われたダッシュボードを開け、CDを探した。
「Jポップ特集ってあるでしょ。それでいいよ」
私は数枚の中から、指定されたCDを選んだ。
飯田がカーステレオのボタンを押すとCDが出てきた。
私はそれと入れ替えにCDを差し込んだ。
「これね、色んなアーティストの曲が入ってるんだよ」
「そうなんですね」
こんな何気ない会話を交わしているうちに、私たちは嫌でも打ち解けた雰囲気になった。
「あっ、西野カナちゃんも好きなんですよ~」
西野カナの曲が流れてきたとたん、私が言った。
「彼女の歌詞、かわいいよね」
「そうなんですよ~」
「トリセツなんて、ほんといいよね」
「そっ、そうなんですよ~。もう可愛くて」
その後、私たちはJポップの話で盛り上がり、なんなら口ずさんだりもした。
「僕ね、これでも弾き語りできるんだよ」
「えぇ~~そうなんですか」
「まあ、下手だけどね」
「聴いてみたいです~」
「あはは、嫌だよ」
「どうしてですか~」
「下手だもん」
「そんなのいいですよ~」
「ほーら、着いたよ」
飯田は車を停め、私は辺りを見回した。
ここは海だった。
「沙月は海が好き?」
「はい、好きです」
「そっか、よかった」
飯田は嬉しそうに微笑んだ。
そして私たちは車から降り、砂浜へと歩いた。
季節はまだ初夏で、他には誰もいなかった。
「ああ~気持ちいいね」
飯田は大きく手を広げて海風を受けていた。
「ほんとですね~」
私も飯田の横で手を広げた。
「座ろうか」
飯田がそう言って、私たちは並んで座った。
「沙月の趣味ってなんなの」
飯田は私の方へ顔を向けた。
「趣味・・ですか。うーんと、特にはないですけど、強いていうなら料理ですかね」
「へぇー料理、上手なんだ」
「いえ~ぜんぜん。人に食べてもらえるようなものじゃないんです」
「あ、だからか」
「え・・?」
「パーティーの時、何でも食べてたもんね」
「ああ~~・・確かに。好き嫌いはないです」
「そういう女性っていいよね」
「そうですかね~」
「僕は好きだよ」
「そうですか・・」
私はそこで顔を逸らし、前を向いた。
「ああ、そういう意味じゃないから。一般的な話だよ」
「はい・・すみません」
「せっかく色々話ができてるのに、緊張させてごめんね」
「いいえ・・私の方こそ・・」
飯田さんは本当に優しい。
いつも私を気遣ってくれる。
こんな人が旦那さんだったら、相手の人は生涯幸せなんだろうな。
「沙月」
「はい」
「ちょっと歩こうか」
「あ、はい」
そして私たちは立ち上がり、歩き出した。
「沙月、手を繋いでもいい?」
「え・・」
「あ、ごめん。迷惑だよね」
「いえ・・そんなことないです」
私は飯田に手を差し出した。
飯田は少し照れながら、私の手を握った。
「ありがとう」
「いえ・・私の方こそ・・」
「このあと食事に行くけど、沙月はなんでも食べるから僕に任せてくれてもいいよね」
「はい、もちろんです」
私たちは砂浜をしばらく散歩し、やがて車へと戻った。
そして車は走り続け、一軒のレストランに着いた。
そのレストランは、もちろんファミレスではなく、白い洋館風に造られた、女子なら誰もが喜びそうな場所だった。
「飯田さま、お待ち申し上げておりました」
私たちが中へ入ると、すぐにボーイが声をかけてきた。
どうやら行きつけのレストランのようだ。
私たちは個室に案内され、そこにはテーブルと椅子が二つ置かれてあった。
ボーイが私の椅子を引き、「どうぞ」と言った。
「じゃ、お願いします」
飯田はボーイにそう言って座った。
ボーイは「かしこまりました」と言って部屋を出て行った。
「ここね、とても美味しいんだよ」
「そうなんですね・・」
私は少々居心地が悪かった。
こんなところで食事なんてしたことがない・・
テーブルマナーも・・昔教えてもらっただけで覚えてないし・・
「沙月、どうしたの」
「あ・・なんだか緊張して・・」
「大丈夫。ここは個室だし、気にすることなんてないよ」
「はい・・」
やがて次から次へと料理が運ばれ、私は飯田の所作に倣って食べた。
ボーイも料理を運んでくる以外は、入って来ることがなかったので幾分か緊張も解れた。
「どう?美味しい?」
「はい!とても美味しいです~」
実際、料理はとても美味しかった。
いわゆるフランス料理のフルコースだ。
「よかった。どんどん食べてね」
「はい~」
「アルコール頼めばいいのに」
「いえ~お水で十分です」
飯田は車を運転するので、ミネラルウォーターを飲んでいた。
当然、私も同じものにした。
「ここは飯田さんの行きつけのお店なんですね」
「でも女性と来たのは沙月が初めてだよ」
「そうなんですか・・」
「ここは接待でよく使わせてもらってるんだよ」
「へぇ~」
「それ以外は使ったことがないよ」
「そうなんですか・・」
「今日は特別な日だから、ここを選んだんだ」
私は、飯田が今日のデートをどれだけ楽しみにしていたか、そして私を喜ばせたかったのかが嫌というほど伝わってきた。
そして私の心も、次第に飯田に傾きかけているのを実感していた。