十二 飯田の事情
「それにしても沙月。あんた、よく行ったよね」
二日後、私と薫は居酒屋にいた。
「まあね。でもこれですっきりしたわ」
「ほんとにそれでいいの?」
「薫は最初から反対してたじゃない」
「そりゃそうだけどさ~。「また会えた」「淋しくなるね」なんてさ、向こうは未練タラタラじゃん」
「私のどこがいいのか、まったくわからないけど、向こうは御曹司なんだし、直ぐに相手が見つかるよ」
「まあまあ、私たちも次の獲物をゲット~~!ってことでさ」
そう言って薫はビールを一気飲みした。
「はぁ~・・ほんと強いよね」
私は半ば呆れて言った。
「私にとっちゃビールなんて水と同じだよ。お兄さ~ん、これ、おかわり!」
薫はジョッキを掲げて、店員に示した。
「ああっ!いたいた~~」
そこに突然、坂槙が現れ、私たちのテーブルまで来た。
「あら、坂槙さんじゃん」
薫が坂槙にそう言いながら、近くに飯田の姿を探している風だった。
「なんか、いると思ったんだよね~」
坂槙は図々しくも、薫の横に座った。
「え、あんた一人なの」
「そう」
「で、なに?私たちを探してたの」
「まあね」
そこで坂槙は私を見た。
「二之宮さん」
「はい・・なんですか」
「いやっ、先にビールだな」
坂槙は店員を呼んだ。
私は坂槙が、飯田のことで話をしに来たと直感した。
やがてビールが運ばれ、私たちは乾杯した。
「ちょっと坂槙さん、話があるならさっさと言ってよ」
薫がそう急かした。
「二之宮さん」
「はい」
「あなた、このまま社長と別れて、それでいいんですか」
「どういうことですか・・」
「くそっ・・おーい!お兄さん!おかわり!」
坂槙は鼻をズズッとすすった。
え・・泣いてる・・?
「おーい、坂槙~~話とはなんだ」
薫は坂槙の肩を叩いた。
「二之宮さん」
「はい」
「社長にお見合いの話が持ち上がってるんですよ」
「はぁ・・」
「社長ね、社長に無理やりに話を進められてて・・」
「あんたさ、ややこしいんだよ。飯田って言いなよ」
薫がすかさず突っ込みを入れた。
「あぁ・・すみません。えっと、陸斗は」
「陸斗かいっ!まあいいわ、で、陸斗がどうしたの」
「陸斗は絶対に嫌だと言って、頑なに拒否してるんですけど、もう無理やりも無理やりで。この間なんか、あっ!二之宮さんがわが社に来た時ですよ」
「ああ・・おとといですね・・」
「あの日、相手と会わされたんですよ」
「そうですか・・」
「知ってます?」
「なにをですか・・」
「陸斗はね、僕には好きな人がいるんだ。だからお見合いなんてしない!って言って、社長と大喧嘩したんだけど、もう半ば拉致状態で無理やり車に乗せられて・・」
「・・・」
「二之宮さん!ほんとに別れてもいいんですか!僕は陸斗が可哀そうでならないですよ」
「そんなこと言われても・・」
「このままだと陸斗は、したくもない結婚をしなければならないんですよ」
「あのさ、坂槙」
薫は坂槙の肩に手を回した。
「飯田さんは大会社の御曹司。当然、次の跡継ぎを作らなきゃいけない。政略結婚なんて五万とあるし、したくなくてもするのが立場ってもんでしょ。飯田さんさ、それわかってんの?」
「わかってますよ!わかってるけど、二之宮さんと出会ってしまったから、どうしようもないんですよ」
「飯田さんさ・・そんなに沙月のことが好きなんだ」
「そうですよ!」
私は唖然として言葉も出なかった。
私のことを好きなのはわかっていたけど、まさか、これほどまでとは。
「陸斗は自分の気持ちを抑えるのに精一杯で、昨日なんかさ・・「なあ、坂槙。どうして僕はこの家に生まれたんだろう。もっと普通の家に生まれていれば、沙月と結婚できたのかな」って言ってましたよ」
その言葉に、薫も黙ってしまった。
「二之宮さん・・」
「はい・・」
「結婚とまではいかなくても、付き合いを続けることは無理なんすか・・」
「・・・」
「わかってます、わかってますよ。二之宮さんだって別の人と早く結婚したいだろうし、陸斗と付き合うなんて時間の無駄だってことは、わかってますよ」
「・・・」
「僕のお節介かも知れないけど、あいつに本当の恋愛ってものを経験させてやりたいんすよ・・」
「坂槙、あんたの気持ちもわかるけどさ、沙月を「実験台」に使わないでよ」
「実験台なんて、そんな滅相もないっすよ!」
「この話は、もう終わったことなの。諦めなさい」
「二之宮さんが陸斗のことが嫌いなら引き下がりますけど、二之宮さん、どうなんすか!」
「え・・どう・・って・・」
「好きじゃないんすか」
「坂槙!いい加減にしなさいよ。これ以上、沙月を困らせると私、許さないわよ」
「薫・・落ち着いて・・」
飯田が見合いをして結婚するなら、これ以上のことはない。
というか・・ほんとはそれが取るべき道。
仮に私と付き合いを続けても、いつかは終わりが来る。
それは本当に時間の無駄だ。
でも・・飯田さん、苦しんでるんだ・・
でも・・どうして私なの・・?
「僕の言いたいことはそれだけっす」
坂槙は我に返ったように、席を立った。
「帰るんだ」
薫が見上げてそう言った。
「帰ります。二之宮さん、あと一度だけでいいっすから、考えてください」
坂槙は一万円をテーブルに置いて、店を出て行った。
「ちょ・・これ!」
薫は引き止めようとしたが、間に合わずに諦めた。
「いやあ~、それにしても飯田さん。沙月にぞっこんだね」
「どうして私なのかしら・・」
「恋愛ってそういうもんでしょ」
「そりゃそうだけど・・」
「私は時間の無駄だと思うよ」
「・・・」
「あっちはさ、一定期間、沙月と付き合っても、その後、別の人と結婚じゃん。しかも直ぐに」
「うん・・」
「あんたは取り残されるだけなの。そこ、わかってるよね」
「うん・・」
「まあ、坂槙の独りよがりの愚痴だよ、あんなの」
「・・・」
「絶対にダメだからね」
確かに薫の言う通りだ。
私もダメだってことは、わかってる。
わかってるけど・・
飯田さんの気持ちを思うと・・切ない。
五年前に別れた彼は、ここまで私を思ってくれなかった。
自分勝手で、私の気持ちなんて考えてくれなかった。
でも・・飯田さんは見合いを拒否してまで私のことを・・
飯田さんが言ったように、私も思う。
なんで一般家庭に生まれてくれなかったの、と。