8. 香り
最後の荷物を入れ終えた頃にはもうすでに日は暮れていた。
もとより少ない荷物だったが、またもストラの手際の良い采配のおかげでトントン拍子に完了した。
「はい!これが最後ね。もうすっかり夜か」
ストラが窓の外を見て、小さく声を上げる。
搬入作業はほぼストラがして、またも俺とマーシィは広大な玄関でただ呆然と立ち尽くしていた。
外見の想像の数倍の広さの家の中に、再び放心していたのだ。
まず扉を潜って現れたのは、待合室らしき空間とその先
にあるカウンター、そして診療室。
要望通りと言えばその通りだが、もっとこじんまりしたのを予想していた、これではまるで本物の戦医場である。
それでさっきのカウンターの裏の扉の奥に、やっとこの玄関だ。
ここから先も家は奥、二階、屋上へと続いているらしい。部屋の数も、五から先を数えるのは止めた。
正直、さっきの仕事場だけでも俺にとっては十分な居住範囲であると言えるというのに。
「私、今夜狂会あるからもう帰るね!明日は十信さんと仲良くね!えーっと後は……、マーシィちゃんはちゃんとご飯食べるようにね、可愛い可愛い看板娘なんだから!上に美味しいものいっぱい置いといたよ!ミーンは……マーシィちゃんに手出したら私が直々に殺すからね!」
驚くべき早口で恐ろしい事を言い残し、ストラは早々に家を出て行った。
俺が呼び止めるより先にマーシィは一目散に上に上がって行った、腹ペコなのだろう。
(……礼を言いそびれた)
後を追おうとした俺だったが、すぐに背後で扉が開く音がして足を止めた。
ひょこっと顔を覗かせたストラがひらひらと俺を手招きしている。
いつになく真剣な表情だ。
ついさっき殺害予告をしてきた彼女なのだが、断る方がもっと怖いのでここは素直に従う事にした。
「ストラ、今回はほんとにありが…と!?」
扉に歩み寄った所腕を引かれて部屋と誘われ、後ろ手に扉が閉められた。
「な、何だよ。手なんて出さないから安心し……」
冗談めかしてそのまま礼を述べようかと思ったが、ストラの真剣な表情に言葉が途切れる。
「わかってるよ、ミーンがそんな事する人じゃないくらい。……これからの事の話」
ストラは視線を落とす。
「内地にアンクテッドが居たらね、やっぱり色々まずいんだ。今回は私の権限で無理矢理したけど、多分いつかみんなにバレちゃう」
彼女は胸の王印を軽く撫でる。みんなとは五狂の事だろうか、そうだとしたら最悪の事態だ。
「だから早いうちにお金貯めて、天性をちゃんと確かめて。確率は全然低く無いんだし、前にも言ったけどミーンは持ってると思うんだ。天性」
天性の診断をもう済ませている事をストラは知らない、今ここで言ってしまうべきだろうか。
「それでもしね、もし私以外の五狂がここに押しかけてくるようなことがあったら、きっと私が誤魔化しきれなくなった時だから……これ」
ストラは自身のポケットから指輪を取り出した、ストラの王印に似た刻印は、目を凝らせば施されているのがわかった。
「私が作った魔術道具、何かあったらこれに想いを込めて。すぐに飛んでくから」
そう言いながら彼女は無邪気に笑ってみせる。
軽く言ってみせたストラだが、五狂相手でさえ助けに来てくれるということは、兄妹間で対立する事も辞さないという事だ。
「……どうしてそこまでしてくれるんだ?」
俺の問いかけにストラはきょとんとした表情を浮かべ、少し間を置いて彼女は笑った。
「きっとミーンの天性は“鈍感”だね」
「な、どういう意…!?」
人差し指を俺の口の前にあてがって、悪戯っぽく彼女は笑った。
「たまには“素直”じゃ無くてもいいでしょ?」
俺は上手くはぐらかされ、質問の突起を失ってしまう。
「……それじゃあ、これから頑張るんだよ。たまには遊びにきてあげる」
ストラはそう言うと、くるりと身を翻し、俺の返事を待たぬまま行ってしまった。
こちらの心情なんて全く気にせずに。いつもこうだ、思わせぶりな態度で、俺に返答すらさせてくれない。
(ここで毒付いてても、仕方ないか…)
彼女の言う通り、あまりうかうかしてたら俺どころかマーシィもストラも危険に晒される。
俺は貰った指輪を薬指に通して、マーシィのいる二階へと足を向けた。