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5.  兄妹、開戦


 進む足取りが次第に重くなる。


 既に目の前にして数メートル、あの“五狂”ディストが悩ましそうに頭を抱えていた。

 俺の人生に一切もう関わる事の無い人物だとは思っていたのだが。


「あぁ悩ましい……。アンクテッド共は何故こうも姑息で、悩ましいのだ……!!」


 すこぶる機嫌が悪そうな大男が、視界の八割を覆う。


 獅子の様にうねる紅い髪に、血がこびりついているのか元からそういう色なのか、その判断すらつかない赤黒い長身の槍。重厚な鎧、そして肩に象られた五角形のシンボル、王印。


 近づいてこそ感じられる歴戦感、手を合わせなくてもわかる力差に足が震えそうになる。


「やっほー、お兄ちゃん!」


 そんな俺を遮る様に兄の前へと、何の気兼ね無くストラは俺の傍をするりと抜けた。


「ん……?おぉストラか。こんな所で何をしている」


 ストラの声に、のっそりと体をこちらに向けたディストは一転して微笑んだ。


 ディストは俺とマーシィには一瞥さえしない、それ程兄妹愛があるのか、それとも彼女を警戒しているのか。


 “五狂”の会合に息を飲む。


「友達の引っ越しのお手伝い!お兄ちゃんは検問?らしくないね」


 ストラの言葉で若干空気が張り詰めた。

 大丈夫だ、何も起きないだろう。まだ、両者から殺意は感じられない。


「あぁ、そんなところだ。上の命令で人を探していてな」


「え、こんな所で人探し?誰探してるの?」


「言えん。一応勅令なのでな」


 少しの問答の末、ディストは目線を逸らす。


「そんな事言わないでさ」


 ストラはにこりと微笑んだ。


『教えてよ』


 彼女のその一言で、辺りの空気が一瞬で別の異質な何かへと変貌した。


 脳に直接命令する様に、ストラの声は鼓膜を直に震わせた。


 一切の息を吸う余裕さえ無い、この重苦しい空間を生み出したのは、ストラの“天致”の一つだ。


(何がちょっとだよ……!!)


 こちらからストラの顔は見えない。


 確か、そのトリガーは。完璧な様でどこか不気味なあの笑顔。


 幼少の頃のトラウマが蘇る。

 




 いつだったか、ストラのおもちゃを壊してしまったあの日、ストラから尋問を受けていたあの日。


「ミーンみたいな頑固な容疑者にはまずねー。こうやって笑いかけるんだよー!」


 幼い彼女は、弾けるような笑顔をこちらに向けてみせた。


 まるで本当に楽しい事があったかの様なその笑顔は、一切の表裏が感じられない。が、瞳の奥に少しの違和感が揺らいでいる。


 罪の後ろめたさの影を照らすその笑顔に、冷や汗が上る程の嫌悪感が背筋を登る。


 自分のしてしまったことに、彼女の笑顔は素直すぎた。強引に引き出された罪悪感、今やこの笑顔だけが心の支えであり、後ろめたさとなる。


「それでね」


 彼女の表情から次第に笑顔が消えゆく。心がどんどんと苦しくなってくる。


 静かにストラは口を開いた。


『言って』


 瞬間、彼女の笑顔は完全に失せる。俺はとうとう完全な孤独感に包まれた。


 突き落とす様な冷ややかな声、喜怒哀楽のどれも見受けられない無に帰した表情、ただただ虚ろな冷たい瞳がこちらを向いている。


 耐え切れず、泣きそうになって直後、ストラの表情はすぐに戻った。


「……ミーン、君でしょ。私のおもちゃ壊したの」


 すぐに笑顔に戻ったストラに俺は安堵する。半べそだった俺は、その拍子にこくりと首を縦に振ってしまった。


 この日から俺は、ストラには隠し事をもう二度としないと誓った。



 まだ俺もストラも小さかった頃の思い出。……全く生気の無い、普段の彼女からは想像もつかない人形の様な表情、今でさえ思い出すと心が苦しくなる。


 そんな、今も続く俺のトラウマ。

 “実直”な彼女の“天致”の対象になってしまった者は、


「……。あぁ、仕方がないな。我が探してるのは…」


 一切の隠し事や、嘘がつけなくなる。……のだと思う。

 五狂であったとしてもその例に漏れず、ディストはあっけなく口を開いた。


「“誠実”と搏たれた富豪の息子が、アンクテッドに怪我をさせられてご立腹だそうだ。見つけ次第連れて来いと言っている。心当たりは無いか?」


 拍子抜けする位ペラペラと話すディストに、ストラは満足気な顔を浮かべた。


 が、俺はそうもいかない。


 俺は高速で自分の脳を回転させる、体は雨に打たれた様に汗でびしょ濡れ、その代わりに喉はカラカラに乾いていた。


「へぇー。すごい勇気あるねそのアンクテッド。私の周りにそんなかっこいい人はいないなぁ。……でも、こんな所に来る?」


 ストラは完璧だったその態度を少しだけ崩して、若干声を上ずらせながら質問を重ねる。彼女もこの話の犯人が誰か気づいているようだ。


「そうか。いや、昨晩その富豪の息子がそいつの後をつけてそいつの住処を特定していたらしく、我もその場所に足を運んだのだが、もうどこにも居なくてな。不法越国を警戒してここに居るのだ」


 にこやかなのは口調だけで、その瞳には殺意が揺らいでいた。アンクテッドを憎む心境が見てとれる。


 しかし住処までとは驚いた。“執着”に改性した方が良いのではと俺は思う。


 なんて楽観的な事を考えても、現状は誤魔化せない様で。


「ストラの友人に限って、そんな事は無いだろうな?」


 いきなりギロリと、鋭い瞳が俺とマーシィの方に向いた。


 あぁ、終わった。

 どう言い訳しようとしても声が震える気しかしない。ここはもう……。


 俺は懐の短剣に手を伸ばした。が、ディストは返答を求めていた訳でもないらしく、すぐに視線を戻す。ストラという免罪符は思っていたよりも強く働いている。


「……まぁ、つまりだ。お前に限って心配は要らないだろうが、気を付けろよ」


 そう言うとディストは門下に立つ兵士に向かって手を上げて門を開けさせた。重く低い、大きな音が辺りに響く。


「通れ、証書は要らんだろう。我が許したと言っておけ。“五狂”が二人も居ては寄り付く者も寄り付かんからな」


 ディストは道を横に退いた。俺は心の中で歓声を上げる。


「ぁ、ありがとー!……じゃあねお兄ちゃん!!」


 ストラは一瞬その反応を遅らしながらも、そう言いながらさっさと踵を返し、こちらを向いた。

 声色から若干想定出来ていたが、その表情はガチガチに強張っていた。余裕が無いのは皆んな同じだったらしい。


 俺とマーシィも、前の彼女に倣って馬車に向かおうと振り返った。その時。


「ところでこの国で黒髪とは珍しいな、天性はなんだ?」


 抑揚の無い低い声が、そんな俺達を呼び止めた。

 黒髪、ストラと俺の事だ。が、十中八九俺の事だろう。


 ゆっくりと振り返る。


「天性、ですか……??」


 俺の人生で一番の踏ん張りどころが訪れる。

 しかし残念なことに、俺に天性などある筈もなく。


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