4. “五狂十信”
馬車に揺られて、数時間が立った頃。遂に境界場にて馬車が止まった。
どうやら俺は眠ってしまっていた様で、そのタイミングでハッと目を覚ます。
「やっと着いた!……私が話つけてくるね」
寝ぼけ眼でストラの背中を見送る、ようやくそこで俺は目的地に着いたのだとぼやけた頭で理解した。
目の前では、疲れているのであろう、マーシィはぐっすりと寝ていた。俺はストラに手を振って反応を示す。
この境界場さえ超えてしまえばこっちのものだ、内地では国警に目をつけられることもない。
良くも悪くもフリーダ王国。自由な国に法は制定されていない。……罰はあるが。
つまりは、この境界場こそ最初で最大の難関なのである。
が、こちらには王族自らの最高権国警。フリーダと名を持つ者のみで構成された“五狂”の一角のストラがいる。
そこら辺の国警なんかに逆らえる勇気も権利も度胸も力も無いだろう。
いたとしても“十信”くらいだな、“五狂”が自身の補佐にと選抜した特に天性の秀でた奴ら。各五狂に二人づつだから“十信”、そいつらを含めてもたかが十五人、そんな少数こんなところで出会うはずも無い。
(勝ったな。)
そんな風に余裕ぶっていた俺の元に、ストラが慌ただしい様子で戻ってきた、何かに対して焦りを抱いている様で表情に悲壮感が溢れている、少し雲行きが怪しい。
「……ミーン!ちょっとマズイかも」
引き攣った苦笑いを浮かべるストラ。明らかにちょっとでは無さそうである。
「……ちょっと?」
俺の問いかけに彼女は目を逸らした。
「……いっぱいかも?」
あの“実直”なストラがバツの悪そうにはぐらかす。この瞬間、予感は確信へと、希望は不安へと墜落した。
「誰がいた?」
俺は乾いた喉で、言葉を絞り出した。鬼が出るか蛇が出るか、ようやく見えてきたゴールを前に、絶望の状況に動悸が高鳴る。
ストラもストラで、消え入りそうな声で呟いた。
「……ディストお兄ちゃん……」
あぁ。
鬼よりも蛇よりも最悪だ。
フリーダ兄弟姉妹の長男。兼、“五狂”の総統。“苦悩”のディスト・フリーダ。
最低の中のそのまた最低。
絶望に打ちひしがれる俺に、ストラは投げやりに言い放つ。
「……ちょっと強引なるかも。ミーン、手伝ってね……?」
「……ちょっと?」
ストラは、とうとうおかしくなってしまったのだろう、半ば自暴自棄に不敵な笑みを浮かべた。
「……いっぱい、だね」
ストラから見れば実の兄、俺から見ればただの鬼。ここはもうストラを信じるしかない。
「……着きました……?」
緊張走る馬車内に、マーシィの素っ頓狂な声が響く。
「あぁ、終点だ。とりあえず門監に、通行証書貰ってくるぞ」
俺はそう言いながら意を決して立ち上がり、未だ状況の分かっていないマーシィの手を引いて、馬車から降りた。
◇
地に足をつけてまずまず目に入ってきたのは、セレクテッドとアンクテッドを隔つ、人工的な絶壁。
その高くそびえ立つ壁を目の前に、境界場に来たんだなと改めて実感する。
幼少の頃見上げたあの時と高さがさほど変わらないと感じられるのは、俺の背があまり伸びていないからだろうか。
(追い出されたあの時から、二度とこの場所には来ないと誓っちゃいたが……)
「本当にすごい高い壁ですね……!これを登るんですか……??」
隣、ストラの手を借りながら馬車を降りたマーシィが驚嘆した様に声を上げた。
が生憎、俺とストラにはマーシィの言葉を笑い合う余裕など一切無い。
「登っちゃった方が楽かもね。……ていうのは冗談で、下の門をくぐらせてもらうんだけど、ちょーっとめんどくさいやつがいるから、上手く合わせてね」
ストラが不自然な笑みを浮かべながら言う。
“五狂”のトップをめんどくさい奴呼ばわりとは何とも頼もしい。……ただの強がりの可能性は今は考えない。
「“苦悩”……だったよな?」
「うん。いつもウンウン唸ってるよ、なやましー。なやましー。って」
俺の質問に、悪戯っぽくストラは笑った。上司である側面と、兄である側面とで、彼女の心情が揺れている。これも“実直”さ故なのだろうか。
「……クノーって…。ゴキョー総統の……!?」
さすがのマーシィでも知っていたか、壁に驚嘆していた彼女だったが、ことさら腰を抜かした様に小さく絶叫した。
今ここでマーシィを動揺させるような事は口にしない方が良かったかもしれない。
「そうだよ、私の上司かつ一番上のお兄ちゃん!……一応私も“五狂”なんだよ??」
そんな俺の考慮に構わず、ストラはわざとおどかすように言い放つ。そして案の定、またしてもストラの言葉を最後まで聞かなうちにマーシィは完璧に硬直してしまった。
固まってしまったマーシィの頬をぷにぷにいじりながら、ストラは呟いた。
「でもね〜。総統って、一番強いっていう意味じゃないんだよ」
そう言いながら意味深な笑みを浮かべたストラは、くるりと振り返る。
「じゃあ、行こっか。……ちょっとお話に」
その言葉の意味は今は置いといて、俺はただ頷くだけにしておいた。
“五狂”が近くに二人居るってだけで異常なんだ、これ以上怖い思いはしたくない。
俺はストラと同じ様に前方へと視線を向けた。
馬車の止まったここから数十メートル先、そびえ立つ壁の足元。数人の雑兵と、明らかに特異な雰囲気を放つ大男が一人。
大きく息を吸う。
「お話に、な。俺得意だぜ、それ」
「あれ、私が教えるまで大して文字も読めなかったくせに」
「漢字はお前も怪しいだろ」
「そんなこと言うんだ。文字の次は‘ごめんなさい’の仕方教えてあげよっか?」
「こ、今度私にも、文字を教えて下さい!」
「もちろん」「今度があればな」
重なった声に、ストラの素直さと、俺の卑屈さが浮かび上がった。
マーシィには割って入ってくれて、どうも。と言いたいところだが、俺とストラはこんなしょうもない事で喧嘩する様な仲じゃない。
今日でまた、貸しが一つ出来そうだ。
自身の服の裾をぎゅっと掴んで不安そうなマーシィを背後に、ストラと俺は肩を並べてさっきの集団の元へと歩みを進めた。