エピローグ
いつもは自分しか見舞いに訪れない病室に五人もの人間が居ると、十分な広さを持つはずのここが何やら手狭に感じられてしまう。
とはいえ、この中で見舞い客と呼べるのは魔王龍炎寺ハヤトとその秘書アドラの二人だけである。
後の三人――主治医の先生と看護婦、そして自分は見舞い客ではない。
医療従事者二人の監督を受けながら、己の手で目の前にいる母を治療するのである。
「では、始めてください」
先生に促され、手にしていたスマートロッドをぎゅっと握りしめた。
「御剣。そのスマートロッドはお前の魔力波長に合わせてこのオレが調整してある。
大船に乗ったつもりで挑め」
「何かあったら、アドラとボスでサポートするから安心してくださいー」
二人の言葉に背中を押され、ようやく決意が固まる。
「……やります」
もしかしたならば、ピエールとアドラの要請に応えウーンズへ乗り込んだ時以上の覚悟を持ってベッドで眠る母に機械杖をかざした。
「――ふっ!」
掛け声……というよりは呼気を短く発しながら、まだまだ慣れない感覚に身を委ねる。
胸の奥の奥……あらゆる臓器よりもさらに自分の内側に存在する何かから、無形の力を引き出す感覚。
たちまちの内にその力――魔力は全身を駆け巡り、毛細血管の隅々に至るまでがマグマのような熱を帯びる錯覚に陥った。
溢れ出し暴れ、五体を千切れさせるような魔力の奔流はしかし、スマートロッドの起動と共に指向性を帯びて杖の先に集中していく。
やがてそれは、スマートロッドにプログラミングされた魔法式に従ってコウの固有魔法――すなわち回復魔法として形を持ち、ベッドの上で眠る母を包み込んだ。
杖先から迸る魔力光は母のみならず、映画で見たスタングレネードのように室内を満たしていく……。
「これは……」
「やはり凄まじいな」
先生と魔王が、揃って驚愕の声を上げたがそれには構わない。
この時、コウの脳裏をよぎっていたのは母を助けたいと願う一心、ただそれだけであった。
「ああ……ああああっ!」
無我夢中のまま、更に魔力を注ぎ込んでいくが……。
「御剣、もう十分なはずだ」
魔王に肩を掴まれ、ようやっと我を取り戻した。
スマートロッドが起動を終了し、尽きぬ井戸のように込み上げてきていた魔力も収まる。
「はあっ……はあっ」
それだけ集中していたという事だろう。
気がつけば、全身はびっしょりと汗で濡れていた。
重苦しい沈黙が、病室の中を満たす。
「お母さん……?」
果たして、ベッドの上で眠っていた母は……。
ゆっくりと、その目を開いたのである。
「ん……」
数年ぶりの目覚めで、五感が戻っていないのだろう。
眩しそうに目を細めながら、母が吐息を漏らす。
「お母さん!」
スマートロッドを放り捨て、母に抱き着いた。
それからコウは、実に三年ぶりの涙を溢れさせ童女のように泣きじゃくり続けたのである。
「……あらあら」
まだ身動きもままならないだろうに、母は何とか上半身を起こすとそんな娘の背中をさすり続けてくれた。
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病院から一歩外へ出れば、空はここしばらくの梅雨模様が嘘のようなカンカン照りで、まるであの親子を祝福しているかのようだ。
「連日の雨にはうんざりしていたが、どうやら梅雨明けを迎えたようだな」
ばさりと上着を脱ぎ捨て、肩にかけながら隣の秘書に声をかけた。
「アドラはこれからの季節ちょっと苦手ですー。この国の夏は、どうしてこう蒸すんでしょうかねー」
「さてな……そればっかりは、お天道様に聞いてみなければ分からんさ」
そんな事を言いながら、駐車場に向けて歩き出す。
後ろからついて来ていたアドラが、そういえばと話題を切り替えてきた。
「ボス、コウちゃんに教えてあげなくてよかったんですかー?」
「何をだ?」
「あの子のお母さんを支えていた義援金は、大部分をボスが負担していたって事ですー」
「つまらん事を言うな」
これには失笑するしかない。
ハヤトにとってそれは、前を歩く人間が落としたハンカチを拾ってやるくらい当たり前の事だったのである。
「そしてそれを教えてやったりもするな。
ある母親想いの娘がいて、その想いが実って母親が救われた。
……この件はそれで良いし、そうであるからこそ良いのだ」
愛車であるフェラーリの前に辿り着き、ロックを解除しながら天を仰ぐ。
「それにしても、お前ではないが確かにいきなりこの暑さは体に応えるな。
――よし! 暑気払いに何か冷たいものでも入れていくぞ!」
「おお、これはアドラさん、ボスのおごりを期待してもいいんでしょうかねー?」
「フ、部下の労をねぎらうのも上司の務めだ。
そうだな……確か、今日から新作のシェイクが出ているはずだ」
「……学生のデートじゃないんですから、もっといいもの食べさせてもらえないでしょうかー?」
「文句を言うな。オレが食べたいのだ」
秘書の文句には耳を貸さず、愛車を発進させる。
雲一つない初夏の青空は、安物のシェイクをご馳走へ変えてくれるに違いない。




