怪盗
珍しく時間通りに到着した遅刻魔王こと、龍炎寺ハヤトによるテープカットを経て……。
龍炎寺私設魔法博物館は、無事に開館を迎えた。
それにしても驚くべきなのは、都心部の好立地を確保しているとはいえたかが博物館のオープンに雲霞のごとく人が押し寄せているという事実であろう。
この博物館をプロデュースした人物の話題性と、近頃世間を騒がしている法機犯罪で魔法事業への関心が高まっている事の相乗効果と言う他にない。
展示物として最も人気を集めているのが法機であるというのが、それを何よりも雄弁に物語っている。
初期も初期の、東京湾隕石落下事件に対応すべく突貫で量産された機体から、最新のデザインにまで気を配った完全な人型機に至るまで……。
十数種類もの機体群がたたずむ様は、この六年間が技術史においてどれだけ濃密な期間であったかと、法機産業がいかに伸び盛りの分野であるのかを象徴する光景であった。
これに花を添えているのが、各機体に配置された派手な水着姿の美少女達である。
武骨な機械に煽情的な格好の美少女をはべらすという光景は、元号も令和に変わったという世にあってここだけバブル期へ逆戻りしたかのような印象を抱かせた。
しかもこの少女達、ただ見目が良いというだけではない。
ビーム砲のようなカメラを構えた……いかにもロボットというものが好きそうな装いの若者が鼻の下を伸ばしながら質問をしたのならば、極めて分かりやすく噛み砕いた説明をよどみなくこなしてみせるのだ。
――ホウキガールズ。
何の捻りもないユニット名を与えられた彼女らは、魔法使い非魔法使いの括りを越えて結成されたコンパニオンアイドルである。
ただ歌って踊れる可愛い少女というだけでなく、龍炎寺グループが誇る技術学校で英才教育を受けた彼女らは未来の魔法技術を担う技術者の卵でもあった。
その教育の確かさは、この場へ駆けつけたディーラーらしき者達も感心顔しきりであることからうかがえるであろう。
このように魔法史の最先端というものを見せつけている法機展示場の光景とは裏腹なのが、中世から近世に渡っての品々を展示するコーナーである。
博物館としては、こちらが本来の姿なのだろうが……。
各国から集めた展示物や、中世魔法史に関する再現映像などが主体であるこのコーナーは学術的な価値はともかくとして、いかにも華に欠けていた。
そのため学のない者が見たなら、この博物館をプロデュースした魔王がこちらのコーナーに陣取っているのは、少しでもそれを補うためであると思えたのである。
だが、実態はその真逆だ。
法機展示などこの博物館においてはオマケに過ぎず、こちらの展示こそが真の中核なのである。
その証拠に、展示されている品々の豪華さときたら……。
聖人として名の知れた人物の聖骸布や安倍晴明直筆の札など、もはや値を考える事さえ愚かしい品々がズラリと並べられているのだ。
再現映像の類も単なる博物館の範疇を越えた新解釈が随所に盛り込まれており、これをプロデュースした龍炎寺ハヤトが日々の破天荒な言動行動とは裏腹に、魔法史に対して極めて誠実な姿勢である事がうかがえた。
それに何より……賢者の石だ。
卑金属を黄金に変えるなどという中世錬金術師の卑しい妄想の産物とは異なる、東洋で歴史の陰に隠され続けてきた本物の神秘……。
それが今、衆目の目に晒されていた。
「マルコ・ポーロは東方を見聞し、クリストファー・コロンブスは黄金の国を目指し大西洋を渡った。
――お前達、彼らがどうしてそんな事をしたか分かるか?」
賢者の石が収められた展示ケースの前に立ち、魔王龍炎寺ハヤトが集まった人々へそう問いかける。
が、問いかけられた人々の反応はといえば……かんばしいものではなかった。
何事にも遠慮しがちな国民性というものもあるのだろうが、魔王の傍らに控える「美少女すぎる天才秘書」として有名な金髪インド人少女の方がよほど注目を浴びている有様である。
「ふうむ。そこの小僧、どうしてだと思う?」
返答を得られなかった魔王がターゲットにしたのは、小学生くらいの男の子であった。
突然自分を指名された少年は、少し考えた後にどうにか自分なりの答えを絞り出す。
「えっと……日本に行きたかったから?」
子供らしく、純朴で少し的を外した回答に集まった人々が笑いの声を漏らした。
しかしながら、当の魔王はその答えへ満足げなうなずきを返したのである。
「そうだ。彼らはジパング――すなわち日本を目指した。
まあ、結果としてこの地を踏むことはなかったわけだがそれは置いておこう。
何故、彼らが日本を目指したか……それはこの地に賢者の石があったからだ」
言いながら大仰な身振りで魔王が指し示したのは、背後で展示ケースに収められた賢者の石だ。
展示ケースと一言で言っても、見る者が見ればそれに異常なまでの防犯措置が施されていると分かる。
要所は人工ミスリル合金で補強されており、おそらく魔王自身の手による防護魔法がかけられているのだろう……ケースどころかこれを支える台座に至るまで、尋常ではないほどの強度を備えていると見えた。
おそらく、法機を持ち出しても破壊する事はおろか傷を付ける事すら難しいだろう。
だが、これに守られた展示物の何と貧相な事か……。
はっきり言ってしまえばこれは、握り拳くらいの大きさをしたただの石である。
特徴といえば完全な球形となっているくらいで、見た目といい質感といいそこらの川原に転がっている石ころと全く違いがないのだ。
「ただの石じゃん」
さっきの少年が、子供らしい率直さでそう言い放つ。
集まった全員が同じことを思っていたのか、先程と同じように笑い声がそこかしこから漏れ出した。
「まあ……見た目がただの石ころであることは否定しない。オレも同じことを思った。
だが、秘められた力は絶大だ」
魔王が手にしたスマートロッドを軽くかざすと、彼の頭上がゆらめき立体映像のごとき幻影が姿を現す。
「元寇の際に吹き荒れた神風……桶狭間の戦いにおける豪雨……いずれもこの石を秘匿していた時の権力者や英雄が、その力を引き出して起こした現象だ」
魔王の生み出した幻影が、歴史上の有名な出来事を次々と再現していく。
「この石がどこから来たのか……それは誰にも分からない。
だが、これは時代の権力者達に受け継がれ、歴史の要所でこの国を支えてきた。
他国の冒険家達は、密かに伝わっていたその伝説を探るべくこの国を目指してきたのだ。
――む?」
魔王が賢者の石について説明する中、一人挙手する者がいた。
艶やかな黒髪をストレートに伸ばした、セーラー服姿の女学生である。
「質問があります」
「ほう、何だ? 言ってみろ」
そして少女は臆することなく、眼前の魔王へ質問をぶつけたのだ。
「あなたの魔法で見せている映像だと天候災害とかを引き起こしてますが、他の力はないのですか?」
「いい質問だ」
魔王がぱちりと指を鳴らし、宙空に浮かび上がる幻影魔法の映像が変化を起こした。
今度浮かび上がった映像は、魔法使いと思しき人物が賢者の石に向けて両手を差し出している場面である。
「この石に秘められた力は、魔法使いの魔力を何倍にも……何十倍にも増幅するというものだ。
従って、別に天変地異を引き起こすばかりが能というわけではなく……手にした術者次第であらゆる現象を起こし得る」
「例えば、回復魔法を使える人間が手にしたら?」
「治せない症状は無いだろうな。ひょっとしたら死人でも蘇らせられるかもしれん」
「それを聞いて、安心しました」
そう言いながら、少女が――笑った。
あどけないようでいながら、妖艶なようでもある。
ただ一つ確かなのは笑みの裏へ、壮絶なまでの覚悟を秘めているという事だろう。
そのゾッとするまでの迫力と美しさは、同性でありながら惹きつけられるものだったのである。
「……さすがに、あの人の言葉だけじゃ信用しきれませんでしたから」
「? おい? 何を言っている?」
わけも分からず戸惑う魔王を正面に見据えながら……。
少女が、ふらりと倒れこむ。
「!? おい!」
それを魔王は――受け止めた。
これが隙であり、弱点だ。
普段の人を人とも思わぬ傲岸不遜な態度とは裏腹に、この男は女子供に対して妙に優しいところがある。
事前のリサーチから導き出した結論は、正解であったというわけだ。
そして弱点はもう一つ……。
少女がスカートの右ポケットからそっと取り出したそれを、魔王は認識できていなかった。
原因は不明だが、時期にしておよそ六年ほど前からだろうか……。
世間には隠しているようだが、見る者が見れば分かる。
――魔王龍炎寺ハヤトは、左目が見えていない!
最も油断している対象から、他に意識のいかぬ状況で死角を突かれる……。
だから、たやすく喰らったのだ。
少女が取り出した、スタンガンによる一撃を!
「――っ!?」
声にならぬ声を、魔王が上げる。
小型の品とはいえ、少女――御剣コウに持たせたそれは改造が加えられていた。
これを受けて即座に気絶しなかったのは、賞賛に値するだろう。
だが、ごくわずかな時間動けなくなってくれればそれでいい……。
魔王の眼前から有史以来最大の宝物を盗み出すショーを開催するには、それで十分なのだ。
懐で小型スマートロッドを操り、あらかじめ仕込んでおいた術を起動させる。
「なんだ!?」
「電気が!?」
賢者の石に施したセキュリティは中々のものだが、それ以外はただ周到なだけだ。
英国でその名を知られた怪盗である彼女にとって、事前に忍び込み細工をしておくくらい造作もない事だったのである。
「よくやったわお嬢ちゃん!
――ショーの開演よ!」
彼女がそう宣言するのと、博物館中の照明が落ちるのとは同時の事であった。
突如の暗闇へ狼狽する人々をよそ目に、変装用のカツラやスーツを素早く脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは、全身をラバースーツに包んだ英国人美女だ。
「――はっ!」
暗闇の中、ワイヤーアクションもさながらという華麗さで空中を舞い飛び、一息で賢者の石が収められた展示ケースの前へ降り立つ。
魔法で視覚と身体能力を強化した今の彼女にとって、この程度の芸当はそう……この国流に言うならば、朝飯前といったところだ。
そしてそれは、展示ケースの破壊にしても同じ……。
「何だと!?」
どうやら、同じく魔法で視覚を強化したのだろう……。
コウに羽交い絞めされている魔王が、こちらを見やりながら驚愕の声を漏らした。
それも当然の事である。
展示ケースに施された魔法はその効力を一切発揮せぬまま、瞬く間に解除されてしまったのだから。
「魔法解除は、私の十八番よ」
満足に動かぬ体でこちらを睨む魔王にウィンクをプレゼントし、もはやただのガラスケースと化したそれにスマートロッドをかざす。
真空の刃がたちまちこれを切り刻み、伝説の至宝と自分とを阻む物は何もなくなった。
そっと手を伸ばし、これを掴む。
すると、どうだろう……。
単なる石ころにしか見えなかった賢者の石が魔力に反応し、いかな宝石も及ばぬ至高の輝きを宿し始めたのだ。
「ウフ……。
さっきあなたが名を挙げていた、マルコ・ポーロでもクリストファー・コロンブスでも届かなかった夢……。
この私――怪盗フライデーが果たさせてもらったわ!」
賢者の石は見る間に輝きを増していき、照明の落ちた博物館内を照らし出す。
こうなればもう、長居は無用だ。
「それじゃ、またね魔王様……。
ショーの第二幕でお会いしましょ」
「待って!」
身を翻そうとしたフライデーを呼び止めたのは、健気に魔王を押さえ続けるコウである。
すっかり存在を忘れていた現地協力者に向ける女怪盗の瞳は、しかし冷徹そのものであった。
「あら、何かしら?」
「約束を守って!」
「約束……ねえ」
小首を傾げながら、じっとコウの瞳を見やる。
この国の言葉で確か……藁にもすがる、と言うのだったか。
示された希望へ一も二もなく飛びつき、忠犬のごとく自分を信じる姿はとても好ましいものであった。
何故なら――利用しやすいから。
「約束なんてしたかしら?
――それじゃね!」
無情にそう告げると、天井へ向かって華麗に飛翔する。
後にはただ、混乱する人々と……。
「そん……な……」
ぎりりと歯を噛み締める魔王の傍らで、力なくくずおれる御剣コウの姿だけが残されたのである。




