御剣コウ
「ほら、母さん……今日はお花を持ってきたよ」
ベッドで眠ったままの母に話しかけながら、すっかり馴染みとなった花屋で見繕ってもらった花々を花瓶に活ける。
母がこうなってしまってからもう三年は経つが、こうやって話しかけ続ければきっとその心に言葉は届くものだと信じていた。
そもそも、若干十四歳の女子中学生に過ぎぬ御剣コウに出来る事など他に存在するはずもないのだ。
「どう? 今日から夏服になったんだよ……?」
全身を見せるように、その場でくるりと回転してみせた。
よく磨かれた病室の窓ガラスに、コウの姿が映る。
母譲りの艶やかな黒髪はストレートに伸ばされており、流行り好きの同級生から古典的とも揶揄されるセーラー服とはよく似合っていた。
これも母譲りのきりりとした眼差しと合わさって、同学年の男子生徒からは「清楚」だとか「委員長っぽい」とか言われているらしい。
容姿だけが理由なのではなく、家庭環境が原因で荒れているのだと思われないよう、日頃から努力してきた成果であると言えよう。
「それから、この前話した試験の結果が出たんだけど――」
それから十分近くかけ、眠ったままの母へ近況を報告する。
とはいえ、平凡な――しかも家事に追われ部活に参加もできない中学生に語れることなどさほど多くもなく、あっという間に語り聞かすべきネタは尽きてしまった。
病室に備え付けられた時計を見やる。
試験明けという事もあり残された時間は十分なのだが、逆に少し持て余してしまう形となってしまった。
「テレビでも、つけよっか?」
話題の尽きた親娘がやるべき事などは、常に一つだ。
何の気なしにリモコンを取り、テレビのスイッチを入れる。
『――というわけで、昨晩も魔王機動隊が駆けつけ法機同士の大捕り物を演じる形となりました』
ワイドショーで話題となっていたのは、近頃すっかりお馴染みとなった法機犯罪事件であった。
『やはり今回も法機犯罪に対処可能なのは同じ法機だけであることが証明されたような形となったわけですが、法機犯罪に詳しい村西さんはその辺りどう思われますか?』
『はい、やはりねー。警察の法・装備両面に渡る整備の遅さが問題となりますよね。
そもそも論としては、警察に鎮圧可能な戦力があれば民間の自警組織が台頭する余地もなかったわけですから……』
『市民の中には、魔王の称号を持つとはいえ一民間人に過ぎない龍炎寺氏主導の自警組織活動を快く思わない方もおられるようですが?』
『そういう方には、こう反論したいですね。
――では、誰が我々を守ってくれるのか? と。
警察が当てにならない現状で、氏は私財の大半を投げ打ってこれだけ大掛かりな組織を作り上げてみせたわけですから……』
『しかし中には、龍炎寺グループの技術力アピールや魔法使い排斥論者への封論を兼ねているという意見も……』
『確かに結果として龍炎寺グループ……と言うより龍炎寺氏個人の技術力を宣伝する形になっているし、それで利益も得ているのでしょう。
が、何らかの形で収益を上げなければ組織を維持する事も出来ないわけですし、治安維持という形で我々に還元されているわけです。
排斥論者への封論という件に関しては、そもそも氏本人が我が国における魔法使いの代表であるわけですから、これは魔王として魔法使いかくあるべしという姿を見せていると捉えるべきでしょうね』
画面の中では、流れるようなコメンテーターの意見が公共電波を通じて届けられている。
「でも、この番組もスポンサーはその龍炎寺グループなんだよね……」
病室に入って初めて、母に語りかけるのではない純粋な独り言を漏らした。
そのような番組で好き勝手やってる金持ち魔王を批判するかどうかなど、世間知らずな女子中学生にも想像がつく事である。
『ではここで、魔王機動隊を率いる龍炎寺ハヤト氏の来歴について振り返りましょう』
画面の中で――おそらく多分に好意的な編集を成された――映像が流れ始めた。
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――龍炎寺グループ。
江戸時代から魔法使い用の道具を専門に扱う由緒正しい大店として続いてきたが、戦後の経営多角化に成功し国内有数の企業グループにまで上り詰める。
その後継者として生まれた人物こそ、龍炎寺ハヤト氏だ。
有名魔法使いを多数輩出している同家の嫡子だけあり、氏は幼い頃から頭角を現し、わずか七歳で国立魔法院の門を潜ることになる。
師匠となったのは先代の魔王である森田ケンゾウ氏で、その森田氏に言わせれば入門して五年経った頃には教える事がなくなったというのだから、ずば抜けた才能と言う他にない。
十八歳の時には師匠である森田氏の推挙もあり、審議会の満場一致を経て魔王の称号を得る。
これだけでも龍炎寺氏の天才性は疑うべくもないが、彼が真にその才覚を発揮したのが数々の新技術開発だ。
とりわけ有名なのが、人工ミスリル合金の発明であろう。
ミスリルといえばその希少さから伝説とまで呼ばれた金属であるが、何と氏は人工的にそれと同じ性質を持つ合金を開発したのである。
軽量にして強靭なミスリルはただそれだけでも優れた金属であるが、特筆すべきは魔力を増幅するその性質だ。
百万分の一以下のコストで人工的にそれを再現した結果、我が国の……いや、世界中の魔法産業が空前の進歩を遂げたことはもはや説明の必要もないだろう。
――法機。
――スマートロッド。
今や魔法使いの神器と言って過言ではない二つのデバイスは、氏の功績なくしては誕生し得なかったのである。
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画面が移り変わり、コウも一度だけ友人に誘われて行った事のある繁華街が映し出された。
とはいえ、記憶の中にあるその街と違いテレビに映っているのは夜の風景であったし、何らかの商店と思しき建物が無残に破壊されてもいたが……。
再び、ナレーションが流れ始める。
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しかし、どんな尊い技術も悪用する輩は必ず存在する。
近年、法機による魔法使いの凶悪犯罪が横行しているのは視聴者の方々もご存知の通りだ。
東京復興計画――通称アガルタプロジェクトによって急速に法機が普及した結果、六年前の東京湾隕石落下事件によって生じた瓦礫の撤去や再開発は驚くほど迅速に進んでいる。
だが、その弊害として法機犯罪が横行する現状が存在するわけで、再生のために集められた力が破壊のために振るわれているというのは何とも皮肉な結果だ。
これに対し、我々の治安を守るべき警察は……あまりに無力であった。
――法・装備両面における整備の遅れ。
――明治時代から暗黙の了解として行われてきた魔法使いの排斥。
旧態依然とした体質を改めなかった結果、警察はもはや犯罪に対する抑止力足り得なくなっていたのである。
この現状を見て立ち上がったのが、他ならぬ龍炎寺氏だ。
――有志の魔法使いによる自警特例法。
規模こそ比較にならぬとはいえ、今と同じく魔法犯罪が問題となった第二次大戦直後の暗黒期に制定された法律である。
この通称有志法を根拠とし、氏は今の時代に相応しい新たな自警組織を立ち上げた。
今や知らない人はいないだろう。その組織こそが、魔王機動隊である。
個人資産の八割を投じたとも噂される同隊の特徴は、何と言っても氏自らの設計による最新鋭装備の数々にあるだろう。
――ウィリ・ウィリー。
――アルタイル。
代表的なのはこの二つの法機だ。
空中戦艦とも機械竜とも取れる威容を誇るウィリー・ウィリーには、常時百名を超える魔法使いがスタッフとして乗り込んでおり、彼らの魔力を動力として世界最大の巨体を飛翔させている。
いまだ戦闘行動を取った事は一度としてなく、設計者たる龍炎寺氏が詳しいデータを秘匿している事もあって戦力は未知数だが、自衛隊と合同で行った救助訓練では高い評価を与えられており、今後の活動に期待が持てるだろう。
そして何と言っても……アルタイルだ。
魔王機動隊の象徴的存在として龍炎寺氏が設計したこの機体は、派手好きな氏の性格とは裏腹に既存の法機技術を結集した極めて信頼性の高い機体に仕上がっているのが特徴である。
一説には将来的な軍需産業進出を見越して建造されたとも言われており、米軍が強い関心を示しているというのは最早公然の秘密であろう。
実際、氏のみならず一般公募で集められた魔法使いが搭乗する動画も公開されており、模擬戦闘や救助訓練はもちろん、工事作業でも高いパフォーマンスを示している優秀な機体なのだ。
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「やっぱり、太鼓持ちだ……」
テレビ画面を見ながら、毒づく。
「もう、ワイドショーというよりプロモーションビデオじゃない」
昨晩の事件現場を映していた映像は、いつの間にか魔王機動隊が所有する法機を喧伝するような代物へ変わっていた。
いかにもヒーロー的な――まるで当初から報道映えを意識したかのような――見た目の法機がふんだんに映し出された映像は、コマーシャル枠を使わないコマーシャルと言って過言ではないだろう。
――金の暴力。
という言葉が、脳裏をよぎった。
結局のところ、世の中というものはお金さえあれば大抵の道理が捻じ曲がる。
隣で寝たきりの母とて、希少な回復魔法の使い手さえ雇えれば治す事は可能なのだ。
そんな大金を手に入れる方法なんて、思い浮かばないけれど……。
そんな事を考えていると、またもや映像が切り替わった。
画面の中では、コウには思い浮かべる事さえ出来ないような大金を自在に操る人物が深々と椅子に座りこちらを見据えている。
渦中の人物――魔王龍炎寺ハヤトだ。
龍炎寺ハヤトは、カメラに撮られる緊張など微塵も感じさせないふてぶてしさでその口を開いた。
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『まず勘違いしてほしくないのは、魔王機動隊としての活動は純粋な営利活動であるという点だ』
――善意のボランティアではないと?
『その通り。さっきまでオレ自身やオレの作った法機を宣伝するような映像が流れていただろう?
まあ、当然そう構成するようにオレが指示を出してるわけだが……。
何と言っても、オレはこの番組のスポンサー様だからな』
――それは……。
『何も困る必要はない。今時、ネットを調べる事が出来れば子供でも推測できる事だ。
まあ、そういうわけでオレの創造性や技術力その他諸々を宣伝するというのが第一の活動目的だ』
――で、では第二の活動目的とは?
『当然、自衛だ。ああいった犯罪者が狙うものというのは要するに、オレを含む富裕層だからな。
警察が当てにならない以上、自衛戦力を有するのは当然の考え方だろう?』
――ですが、そのために多額の資産を使われてますが?
『回収する目途さえついていれば、それは立派な投資となる。
現在、この国で頻発している法機犯罪の問題には、いずれ世界中が直面することになるだろう。
何故かと言えば、オレが法機を売って売って売りまくるからだ。
政治家も軍人も建築屋もテロリストも、誰もがこれを欲しがっている。
世界には、法機が溢れることになる。
となると、これを取り締まるテストモデルも必要だろう?』
――それをご自身で構築されていると?
『その通り!
オレは常に未来を走っている。
そして世界は、その後をついてくる。
金や名誉を差し出しながらな』
――今以上にお金が欲しいと?
『当然だ。もっともっと欲しい。
欲望を抱かない人生なんぞ、死んでるのと同じだぞ?』
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そこまで映像が流れたところで、とうとうテレビの電源を切る。
「要するに、お金にならない貧乏人なんて助ける気はないんでしょう?」
何故だか、無性に腹立たしかった。
当然ながら、この不遜な青年に対して縁もゆかりもないコウである。
だが、余人を遥かに超えた超人的な魔力を持つのみならず、溢れるほどの金がありながらそれを己のためにしか使わないと断言するこの男が、どうにも憎らしく思えてならないのだ。
妬みであり、ひがみであるのは分かり切っている。
だが、それを抱くのを止められるほど御剣コウは出来た人間ではないのだ。
「あらあなた……いい欲望持ってるわね?」
背後から声がしたのは、突然の事である。
「――――――――――っ!?」
驚き振り向くコウの前に現れたのは、恐ろしく派手な格好をした女だ。
年の頃は二十代前半だろうか? 生まれ持ってのものと一目で分かる金色の髪に、凄味すら感じる美貌を備えている。
グラマラスという言葉を形にしたかのような肢体は体にぴたりとフィットするラバースーツで覆われており、同性のコウですら赤面するような有様となっていた。
「あの――」
「質問はいらないわ」
言葉を遮り、女はずけずけとこちらへ歩み寄るとコウの額に人差し指を向けた。
「あなたの欲望、叶えさせてあげる……」
――いつの間に病室の中へ?
――一体、何者?
疑問はいくらでも存在する。
しかし、女の言葉には抗いがたい誘引力があったのだ……。




