表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

8、過保護な魔王の勇者育成

 闇深きその地にそびえ立つ『魔王城』。


 幾重の防壁と位相結界により守られた難攻不落の城内には、とびきり広い謁見の間が存在する。


 稲光のみが照らす暗きその場所にある深紅の玉座には、一人の魔王が座していた。


 第六魔王アンジェリカ。


 冷たき美貌と冷酷なる性格を持つ、魔族界の異端児にして、歴代最強と名高い魔王。


 彼女は、小柄で細い体つきには大きすぎる玉座にかけて、肘当てに乗せた水晶をながめている。



「ふふ……」



 白い肌の中に浮かび上がる真っ赤な唇をゆがめ、彼女は笑う。

 深くスリットのはいった黒いドレスから、長く細く白い脚をのぞかせ、組み直す。

 頭蓋の左右に生えた黒い角に指を這わせ、時折赤い髪をいじりながら、楽しげに水晶を見つめる、その姿……


 たった一人、玉座の横に侍ることを許された魔人宰相は、恐怖した。


 かの美しき冷血なる魔王アンジェリカが、これほど楽しげにほほえむ姿など、そうそう見られるものではない!

 そして彼女が口元をほころばせる時、幾多の人類がおぞましき非業の死を迎えるか、魔族内部で彼女に反抗的な者が、口にするのも恐ろしき方法で見せしめにされるかの、いずれかなのであった。


 そして――魔王アンジェリカは、極めて気まぐれだ。


 魔人宰相はその能力と実績で側近を任されているが……

 いつ、アンジェリカの『気まぐれ』が自分を襲わないとも限らないのだ。



「ま、魔王様……我が麗しき、恐ろしき、アンジェリカ様……いったい、水晶でなにをご覧になっていらっしゃるのでしょう……?」



 どうにか震えを抑えながら、問いかける。

 アンジェリカは薄い紫の瞳で魔人宰相をチラリと見ると、水晶の『正面』を向けてきた。


 目を伏せ一礼してから、拝見する。


 と、そこには、どこにでもいそうな、人間の若い男が映っていた。

 世界のすべてを見通す遠見の水晶だ。

 どうでもいい人間だって、それは、写せるのだろうが……



「この脆弱そうな若者が、どうされました?」

「これは『勇者』だそうだ」



 言いながら、魔王アンジェリカはまた笑う。

 魔人宰相とて情報収集は怠っていないが、遠見の水晶を自在に扱うアンジェリカよりも、その収集能力は劣る。

 勇者と言われても、どういうものなのだか、わからない。



「恐れながらアンジェリカ様、勇者とは……?」

「我を倒す者だそうだ。……ふん。人間界の、片田舎の、民話にすぎんがな」

「……アンジェリカ様を倒す……? しかし、この人間、ただのゴブリンにも手を焼いているではありませんか」

「そうだ。あまりに脆弱……人類と我らとでは、種としての力量が違う。腕力、魔力、耐久力、回復力……どれをとったところで、人類は魔族にはるかに劣る……」

「左様で」

「素晴らしいとは思わんか?」

「は。……は?」

「いや、素晴らしい、ではないな。なんだろう、この感情は……うまく言えないのだが……この人間はな、これだけ脆弱な身でありながら、我を本気で倒せると信じ、冒険を始めたのだ」

「はあ」

「きっと、この者が魔王を倒すなどと、誰も信じてはおらん。村は精一杯の物資を持たせ旅立たせたが、人類の王族には冷たくあしらわれ、彼の可能性を信じる者は誰もおらず、彼に力を貸す者もほとんどおらん。『魔王を倒すんだ』と言おうものなら、『頭がおかしい』と扱われる……」

「なるほど。人類も道理をわきまえているようですな。魔王様に勝てる人類などいない……連中はじわじわと己の支配地域を我ら魔族に削られるのを、手をこまねいて見ているだけしかできないのです」

「しかし、彼は本気だ。その本気をないがしろにすることは許さぬ」



 アンジェリカの声には、多少の不機嫌さがあった。

 魔人宰相はビクリとし、慌てて頭を垂れる。



「は、ははあ! 失礼いたしました!」

「……そうだ、そうだな。彼は本気だ。まだ弱く、誰も彼が我に及ぶものと信じてはおらん。それでも彼は信じ続けている……他者の評価を求めてはいない。英雄願望さえない。『ただ、使命を果たし、世界を救う』――人類世界を我ら魔族から救うことだけを望んで、ああして己を鍛え続けているのだ」

「……」

「素晴らしい、ではない。素晴らしいなどという表現では物足りない。彼は、ただ一人で……誰も信じぬことを信じ続け、己の中の確信だけを頼りに、進んでいる……ああ、そうか、そうなのだな。我は、彼に、我と近いものを感じている……」

「……」

「彼の助けになりたい」



 アンジェリカの発言を、魔人宰相はしばし理解できなかった。

 理解したあとには、納得できなかった。



「ま、魔王様! 恐れながら! 恐れながら申し上げます! こやつは、あなた様を倒そうと望む者なのですぞ!? それを助けたいなどと……」

「ふふふ……この魔王アンジェリカ、欲するモノはすべて手に入れてきた……ならばこやつも例外ではない」



 アンジェリカは玉座から立ち上がった。

 遠見の水晶を握り、魔人宰相を振り返る。



「我は正体を隠し、『勇者』を育てる。そして――『敵』を手に入れるのだ」

「魔王様! お待ちください、魔王様!」

「邪魔すること、まかりならん。……ククク……まあ、だが、この勇者も『男』のようだ。どこぞの将軍どものように、我の美しさに骨抜きにされねばよいのだがなあ」



 ベロリ、とアンジェリカはなまめかしく舌を唇に這わせる。

 その動作から醸し出される色香だけで、男女を問わず、すべての魔族が正体を失うのだ。


 かくして、魔王アンジェリカは勇者育成のために玉座を離れ――





 ――翌日、早速帰ってきた。



「……あ、あの、魔王様……勇者育成はどうなさったのです……?」



 魔人宰相は玉座の上で膝を抱えて座る魔王に問いかける。


 魔王は膝に乗せていた顔をわずかにあげ、薄い紫の瞳でちらりと魔人宰相を見て――



「……体がおかしくなっているので、一度帰った。大丈夫になったらもう一度育成に向かう」

「お体が!? さ、さっそく御典医を!」

「待て! ……我にはわかる。これは、そういう状態異常ではないのだ……勇者と対面すると動悸が激しくなり、勇者のことを考えれば胸が苦しくなる……つまり、原因は勇者なのだ」

「排除いたしましょう!」

「ダメ!」



 魔王アンジェリカは、普通の少女のような声を出した。

 これには魔人宰相もおどろき、言葉を失う。


 そんな声には、アンジェリカ自身おどろいたようで、しばし沈黙していたが……



「……とにかく、勇者に手を出すな。あれは、我の獲物だ。手を出したら許さんからな……」

「は、ははあ!」

「……むう……ダメだ……勇者から離れれば治るかと思ったが、無理そうだ。我は再び勇者のもとへ行き彼を鍛える……早く彼のそばに戻りたい……」



 魔王はふらふらと立ち上がり、再び玉座をあとにした。

 残された魔人宰相は、彼女の小さな――普段は膨大な魔力と存在感により、大きく見えるのに、今はとても小さく見える――背中を見送り、つぶやく。



「いったい、魔王様はどうなさったのだ……?」




 ――そう、彼らは、知らなかった。


 魔王をおかしくしているものの正体――


 恋という状態異常に対して、魔族はあまりに無知だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ