6、改造スキルで淡々と目指すハーレム道
あまりに気軽な足取りで『石像の洞窟』に入って来た者の気配に、洞窟の主の方がおどろいた。
――目を合わせれば石になる。
洞窟の主はそういった怪異だ。
言葉が通じるぐらいの知的生物でもあるのだけれど、特性上――否、生態上、人類との共存ができないとされている『不可侵対象』、『触り得ぬ神』であった。
だから怪異は――
彼女は、暗い洞窟の奧から、警戒心のない侵入者へ向けて、声をかける。
「ヒトよ……貴様はここが誰の住み処かわかっているのか? すべてを石に変え、喰らう、『ゴルゴーン』様の巣なるぞ」
作り上げた恐ろしい声音。
恐怖を喚起するための、もって回った言い回し。
これらは彼女が――ゴルゴーンが長い人生の中で学んだ、『侵入者を遠ざけるのに最適な方法』であった。
かつて、素の声、素の口調で『目が合うと石になってしまうので、入ってこないでください』という旨を伝えたこともある。
ところが、ある者は、忠告を聞き入れずに入って来て、石になった。
またある者は、化け物の存在を前に恐怖こそしたが、のちに軍勢を引き連れ『討伐』に訪れ、そのまま軍勢ごと石になった。
きっと、幼さを残した少女の声音が、遠慮がちな口調が、『脅威』を感じさせなかったからだろう。
そして、また、ある者は。
……一番最初に、彼女と語り合った侵入者は。
会話だけの関係性で我慢できず、彼女の姿をひと目見たいと、洞窟の奧へ入ってきて、そして……
ゴルゴーンは、二度と繰り返したくなかった。
だから、洞窟の入口には石化させてしまったヒトや動物たちを並べてここが危険地帯であることを示し、侵入者にはいつだって警戒を呼びかけている。
けれど、侵入者の足音は近付いてくる。
洞窟内で反響する硬い足音。
カツンカツンと一定のペースで岩肌剥き出しのこの地を歩く者がいる。
そいつはどんどん、ゴルゴーンの棲まう、洞窟の最奥部へとせまっていた。
「忠告はしたぞ、ヒトよ。それより先に進むならば、石化の洗礼を受けることになる、と。貴様も石にして喰ろうてやるぞ、と!」
内心焦っていたが、ゴルゴーンはあくまでもおそろしく、余裕のある『化け物』らしい声音で続けた。
石にして喰らう――などと言ってはみたものの、別に石は食べない。
ゴルゴーンの主食は『魔素』である。
これらは空気中に漂っている。
それゆえに、呼吸さえできれば、彼女は生きていけるのだ。
彼女は草も、動物も捕食しない。
その視界に生き物を捉えずに済むならば、これほど無害な生物もいない。
ただ、『視界で生き物を捉えない』という条件だけが、達成不可能だった。
草で目隠しを編もうが、両手で常に目をおさえようが、どうしたって石にしてしまう。
目をくりぬこうが、すぐさま再生してしまう。
死を、考えたこともあったけれど。
自分がどうやったら死ねるかさえ、わからない。
強大であるという悩みを、彼女は抱き続けてきた。
そしてきっと、これからも、己の強大さと、己の『見たものを石にする』という特性のせいで、悩み、惑い――
ひとりぼっちで、生きていくのだろう。
カツンカツンと足音が響き続けている。
それはゆるいカーブを描いた一本道の洞窟を進んできて、いよいよ彼女の寝所に到達しようとしていた。
「来るな、という忠告が聞こえぬか、ヒトよ!」
声にこめられた威圧感を強大にしていく。
それは悲鳴も同然の恫喝であった。
真摯に、論理的に説得をするのは逆効果だ。
威圧と恐怖こそが他者を己に近付けぬ最良の方法であると彼女は知っている。
「貴様は石になりたいのか!」
声をあららげて叫ぶ。
足音は止まらない。
「洞窟入口の石像を見ただろう! 貴様も私のコレクションの一つにしてやろうか、と言っているのだ!」
真っ暗な洞窟の向こう側に、わずかな灯りが見え始めた。
きっと、もうすぐ、灯りを持った侵入者が来る。
視界内に、来る。
「それ以上進んでみろ! 私が貴様に永劫の苦しみを味わわせてやる!」
ゆらゆらと揺れるオレンジ色の灯りが、洞窟の壁面を照らしている。
それは次第に大きくなり、ゴツゴツした岩肌を明るくしていた。
なんて寂しい、この住み処。
孤独は嫌いだった。寂しいのは大嫌いだった。
元々話し好きな性格をしているのだろう。しゃべって、笑って、たったそれだけのことに飢えた一生だった。
話をしてくれたヒトがいた。
ずいぶん前に石にしてしまって、もう戻らない。
罪の意識。悲しさ。
自分は他の生物と共存できないのだと思い知らされた。
もう誰も石にしたくない。
共存できないのはわかっている。だから、事実を見せつけないでほしい。被害者を産み出したくない。
彼女は『ヒトに混じって暮らそう』という夢を手放した。
孤独に耐えて、二度と誰も石化させぬよう、洞窟の奧に引きこもり――『化け物』として生きていくことを決めた。
……仮に寿命やケガ、病気などで死ねたなら、それが最善だったのだろう。
けれどこの肉体はどれほどの傷を受けても再生し、あらゆる病魔や毒を受け付けない。
栄養をとらなければ――呼吸をしなければ死ねるかとも思ったが、いったん意識を失うものの、ただそれだけで、すぐに目覚めてしまった。
生きるしかないという絶望に苛まれ続けている。
ただ呼吸を続けるという苦しみが、澱のように胸のうちにわだかまり続ける。
だから一人ぼっちを選んだ。
誰かを犠牲にして生きるよりも、孤独に苛まれながら生きる方がいいのだと、彼女の善性は判断したのだ。
だというのに。
また、来る。
石になりに、来る。
「この……!」
次なる『脅し』を口にするよりも早く、彼女は侵入者の姿を見てしまった。
人間の男だ。
白いシャツに黒いズボン。
どちらもシワ一つなく、清潔な印象を与える。
ゴルゴーンにもう少し余裕があったならば、その異常性に気付いたかもしれない。
この洞窟は山の奥深い場所にある。
周辺にはモンスターなども――言葉の通じない、真実人類の『敵』たる害獣などもいたはずだ。
シワのないシャツを汚さずこの場まで来るのは、至難の業だろうに――
男の革靴も、ズボンの裾も、泥はね一つなかった。
また、男は武器を持っていなかった。
直剣の一つでもなければとても踏み入れないはずの野生のこの地を、素手で踏破したというのか。
しかし、ゴルゴーンは、それらの細かい違和感を指摘できない。
彼女はもっと大きな『不思議』に直面している。
それは――
「……貴様、なぜ、石にならない?」
服装を見て。
顔立ちを――無害そうな、印象に残らない……強いて言えば『目が垂れている』程度の特徴を備えた顔立ちを見て。
襟足にかかる程度の長さの黒髪を見て。
だというのに、男は、ランプ片手に悠然と、一定のペースで接近してきて――
ついに、ゴルゴーンの正面に立った。
「下半身が蛇」
男は、ゴルゴーンの下半身を指さす。
……たしかに、そこには、蛇の胴体が存在した。
きらめく黄金のウロコに包まれた、蛇の体。
気恥ずかしさを覚えて、ゴルゴーンは腰から下をのたくらせる。
男は、次に上半身を指さし、
「上半身が、人間の、女性」
ゴルゴーンはピクリと眉を動かす。
縦長の瞳孔がある黄金の瞳で相手を『見下ろす』のだけれど、相手はやはり、石にならない。
動揺でのたくる長い金髪をウロコに包まれた両腕でなでつけ、
「……貴様、なんなのだ」
どう対応していいかわからないといった表情で語る。
目尻の垂れた人間男性は、うやうやしく一礼した。
「ゴルゴーンさんですね。こんにちは」
「こ、こんにちは……?」
「私は、こういう者です」
男性から差し出されたのは、一枚の小さな紙切れだった。
そこには黒い模様が描いてある。
その『模様』が文字であることは、ゴルゴーンにも予想がついたのだが……
「……私は文字を読めない」
「失礼しました。えっと、そこには『触り得ぬ神に人権を保障し共存を目指す団体』『代表取締役 ワイズマン』と書いています。ワイズマン、私の名前……姓ですね」
「…………簡単に言うと?」
「私の役割はですね……おっと、その前に確認を。見た者を石に変えてしまう『触り得ぬ神』――不可侵対象のゴルゴーンさん、ですよね?」
「……ヒトの世界でどう呼ばれているかは知らないが、いかにも私は、見た者を石にする……石にする……はずだが……まさか、私の力は、洞窟内で過ごすうちにコントロールが可能になっているのか……?」
「きっと違います。私が石にならないのは、私がたまたま『無敵』なだけです」
「無敵?」
「はい。あらゆる状態異常、あらゆる疲労、あらゆるケガと無縁になる――そういうことにしました」
「……どういう意味だ?」
「私は生物の特性を改造できます」
「……」
「効力は、私が自身にほどこした改造により、あなたの石化を無効にしていることで、示せているかなと思います」
「……それは」
「ですので、もしあなたが『ヒトとの共存』を望むならば、お力になれると思い、参上しました」
男の物言いは、もって回っているというか、なにかがズレている感じがして、わかりにくい。
ゴルゴーンは焦れたように問いかける。
「お前は私を、どうしたいんだ?」
「私はあなたを『ただの人類』に改造しに来ました」
かつて捨て去った願いが、あまりにあっさり叶おうとしているのだと、ゴルゴーンはようやく理解する。
希望に瞳を輝かせる彼女の前で、男はほほえみを浮かべ――
「ただし、ちょっとだけ、痛みと苦しみを伴います」
――妙に不安になるようなことを、ついでのように言い添えた。