11、バフ盛り迷宮ファストフード
「ミノタウロスだ!」
ダンジョンに潜り、モンスターと戦う。
そういう手段で日銭を稼いでいると、どうしたって『運命が私に死ねと言っている』と思う瞬間がある。
たとえばそれは、第七階層。
せいぜい中堅の冒険者が安定的に稼げるその階層において、二十階層クラスの――つまり『ありえないほど強い』モンスターに出くわした時。
しかも。
この時、荷物は持ち帰るお宝でいっぱいで重く、すでにそれなりのケガも負っている。
魔力は尽きていて、剣は先ほどの戦闘でたまたま折れてしまっている。
いる場所は土壁に挟まれた一本道。
あたりに人はいるが、みな、七階層入りたての新人らしく、突如出現した二十階層クラスの化け物を見て、完全に固まってしまっていて、『協力してことにあたる』どころではない。
怒濤のごとくおしよせる不運。
どうしようもなく重なる悪いタイミング。
「……とにかく逃げろ!」
固まっている七階層新人に対して叫ぶ。
すると、彼らは一目散に上の階層への階段がある方向へと走り出した。
私は――
背負っていた荷物を捨てて。
折れた剣を鞘から抜いて。
迫り来るミノタウロスに対峙した。
ミノタウロスは鈍重に見える化け物だが、脚が速いのだ。
誰かが食い止めなければ、七階層入りたての新人になんて、すぐに追いつく。
「……」
半ばから折れた剣を突き出すように構えれば、ミノタウロスが真っ黒な瞳を真っ直ぐ私に向けたのがわかった。
もくろみ通り、私をターゲットに定めてくれたらしい。
それにしても。
こうして向かい合ってみると、つくづく絶望的な体格差だ。
毛むくじゃらで太い手足。
私は冒険者間でも『お前は細すぎる』と言われているぐらいなのに。
見上げるほどの巨体。
同性――女性の中では背が高いと言われる私の、ゆうに倍はあろうか。
牛を思わせる、左右に角が生え、鼻の突き出た頭部。
強そうでうらやましい。私にも角の二本ぐらいあれば、『大人しそうな見た目をしている』と侮られることもないのだろうか?
その真っ黒な瞳が、私をにらみつけている。
碧い瞳でにらみ返せば、やつの目玉に映り込んだ自分の姿が見えた。
折れた剣を構える髪の長い女。
『剣より花の方が似合う』と言われる、お世辞にも強そうとは言えないそいつが、私だった。
「――――――――!!」
ミノタウロスの咆哮は、『声』ではなく『震動』として体全体に響いた。
体調や武装が万全だろうが勝てる気がしない相手。
勝つつもりはない。こうしてにらみあって時間を稼げているならば、それでいい。
私が稼いだ時間できっと、先ほどまでそこらにいた新人たちは、きっと逃げ帰ることができるだろう。
「……ああ、イヤになる。どうして私は、いつもこう……」
「貧乏くじを引いてるね、お姉さん」
……男の声がした。
誰もいなかったはずの一本道。
しかし横目でうかがえば、すぐ隣に、男がいる。
私より頭半分ほど背の低い少年だ。
耳や体つきを見るに種族は人間なので、見た目と実年齢にそう乖離はないだろう。
だというのに、ミノタウロスを前に落ち着き払ったこの態度。
きっと、ただ者ではないに違いない――そう思わせるには充分だった。
「……ありがたい、助太刀か」
「いや」
……いや?
このタイミングで、私と並び立ってミノタウロスの前に立ち、助太刀ではない?
「……すまないが、今は冗談に付き合っている場合ではないのだ。戦えないならば、ミノタウロスがああして私の実力を測っているあいだに、逃げてくれないか?」
「でもお姉さん、ボロボロじゃないか。体力も魔力も尽きかけている。オレはそういう人を放ってはおけないんだ」
「ならば助太刀ではないか」
「違う」
「……では、なんだ!?」
少年の、妙にひょうひょうとした態度が、このタイミングではかんに障ってしかたない。
彼は私の眼前に――私とミノタウロスのあいだに割りこむと、ゆったりと、全身を見せつけるように両腕を広げてみせた。
「おい、危ない――」
「見てわからない? オレはほら、料理人だよ」
横目でチラリと見た時にはわからなかったが、彼はたしかに料理人のような服装をしていた。
短い黒髪、清潔な手。
頭にはコック帽を被り、身につけているのも、鎧などではなく、料理人風の衣装だ。
だが――だからなんだ?
少年の不可解で、あまりに場を読まない自己紹介に面食らっていると――
「――――――――!!」
私を『倒せる相手』と看破したのだろう。
ミノタウロスが咆哮をあげながら、その巨体に見合わぬ速度で迫ってくる。
「いいからどけっ!」
少年の肩を押して、彼をどかそうと思った。
けれど彼は動かない。
まるで巨木。
大地に根を張ってでもいるかのように、ピクリともしない。
「ボロボロのお姉さん、オレは助太刀しないけど、オレはあなたを助けられるよ」
「い、いいからどけ! すぐ後ろに――」
「食事、しない?」
ミノタウロスがすぐそこに迫っている。
少年はどきそうもない。
「わかった! 食事でもなんでもするから、はやく、どけっ!」
「毎度あり」
その瞬間、彼が『なにか』をしたのはわかった。
目にも止まらぬ速度で両腕を動かし、確実に『なにか』をしたのだ。
けれど動作の全貌がうかがえぬまま、気付けば――
私の口には、なにかがねじこまれていた。
「むぐっ!?」
いったいこれはなんだ?
サクッとした歯触り。
濃厚な旨みと、香ばしい香り。
これは、まさか、食べ物――
そう認識した瞬間だった。
――時間の流れが遅くなったかのような感覚。
私の意識は、口に含んだものの味わいに飲み込まれた。
◆
なぜだろう、ミノタウロスも、それと私のあいだに立つ少年のことも――
意識から消え失せていく。
私は口に入れられたものを咀嚼していた。
引き延ばされた時間の中で味わうそれは、今まで私が食べたこともない料理だ。
とはいえ、素材一つ一つには覚えがある。
まずは、パン。
細長いパンを、どうやらトーストにしているらしい。
サクサクとした食感と、温かな温度。
しかし内部はもちもちふわふわの『パンならではの旨さ』が損われていない。
歯を完全に閉じれば、それはただのトーストされたパンではなかったことがわかる。
カリッ、シャキッ。
そういう食感があったのだ。
音のすぐあと、あふれ出す肉の旨みと、爽やかな辛さ。
そして、濃厚でドッシリとした酸味――
噛めば噛むほどパンと甘さ、肉の旨み、爽やかな辛さと酸味が調和し、どんどん旨さが増していくかのようだった。
手を使わず、口だけで支えていた食べ物は、噛み切られて、重力に従って地面に落ちていく。
私は右手に握っていた剣を放して、食べ物をキャッチした。
それは、細長いパンに切り込みを入れて、ソーセージを挟み、みじん切りにした緑がかった白の野菜を大量に散らし、一番上に、細長く、赤いソースをかけたものだった。
見たことのない料理。
片手で持って食べられる形式のそれは――
「たっぷりのみじん切りタマネギを乗せて、ケチャップで仕上げたシンプルな『力のホットドッグ』だ。さあ、すぐにでも効果が出るよ」
引き延ばされた時間の中で少年の声が聞こえ――
――私の時間感覚は、正常に戻った。
◆
――ミノタウロスの拳が眼前まで迫っていた。
「ッ!?」
私は慌てて、右手に持った物で拳を受け止める。
剣を持っていたつもりだった。
けれど、思い出す――あの一秒が一時間になったような感覚の中で、私は剣を手放していた。
剣を手放し――
ホットドッグを、右手に持っていたのだ。
だから、ミノタウロスの拳を止めたのは剣ではなく、
「……バカな……ホットドッグでミノタウロスの拳が止まっている……!?」
驚嘆すべき光景であった。
私は『ホットドッグ』なるものをよく知らない。
だが、それが食べ物であることは、今しがた知ったばかりだ。
パンとソーセージ。
タマネギとソースで構成された、あまりにシンプルな料理。
それが、鋼の剣すら叩き折るミノタウロスの拳を止めている。
「――――――――!!」
ミノタウロスが雄叫びをあげる。
全身を震わすほどの迫力の咆哮……だったはずが、今はなぜか、そう驚異的な、恐ろしさを喚起するようなものに感じられない。
ミノタウロスは拳まわりの毛に赤いソースをべったりつけられ、ご立腹のようだった。
突き出した左拳を引いて、反対の拳を私に繰り出す。
私程度の冒険者であれば、当たったなら死をまぬがれるその拳。
私はなにを思ったのか、空いている片手で、受け止めた。
「……なんだ、この力は」
右手に持ったホットドッグをかじりながら、おどろく。
ミノタウロスの拳は、こんなにも軽いものだったか?
トーストしたパンの歯触りだって、これほど軽やかではないだろう。
私はホットドッグを咀嚼しながら、ミノタウロスの拳を払いのけ、そのまま、腹部に拳を叩き入れた。
私の倍はあろうかという巨大な化け物は、たった一撃でうめき、苦しみ、倒れ伏した。
……まったく実感が湧かないが……
どうやら私は、ミノタウロスに、素手で、勝利したらしい。
「お姉さん、それが、オレの料理の力さ」
背後から少年の声がした。
いつのまにか回りこんでいたのだろう。
「『迷宮ファストフード』――ダンジョンに潜る冒険者向けに、手早く、簡単に食べられる、逸品とは言えない大量生産品。こいつをダンジョンの各階層に支店を構えすべての冒険者に提供するのが、オレの夢……」
いきなり夢を語られても「そうなのか」としか言えないが、少年に助けられたのは事実だ。
私はちょっとだけくっついてしまったミノタウロスの毛を取り除いてホットドッグを食べきり、
「ありがとう。おいしかった。それに、助かったよ」
「ああ。だが――お姉さん、お礼の言葉はいらない。それよりオレには欲しいものがあるんだ」
「なんだ? 私に用意できるものであれば……」
「用意してもらわなきゃ困る。なんせ――お姉さんが食べたのは、オレの取り扱う『商品』だ。当然、代金が発生する。それはお姉さんが支払わなきゃいけないもんなんだぜ」
「……」
私は一気に青ざめた。
法外なほどの支援効果をもたらしたあのホットドッグ――
その値段がいかほどのものになるか、想像もつかなかったのだ。