9、最弱のスライムが最強の勇者パーティーを出し抜く方法 〜襲撃された学校からの脱出〜
掃除用具入れのスキマから地獄絵図が見える。
そこには三人のクラスメイトがいて、彼ら彼女らは口汚く言い争っているところだった。
「バッカ、お前……お前! なんでこっちに来るんだよ! 俺らとは別な道行けよ!」
「はあああ!? アンタこそ行きなさいよ! 格好良く囮にでもなんでもなればいいんじゃないの!?」
「落ち着けよお前ら! ……僕らはこんな時だからこそ協力しあうべきだ。そうだろう?」
「うるせーよ貧弱!」
「そうだよ! 黙ってろ!」
「……お前らなあ!」
加熱していく口論。
唯一まともなことを言っている彼がしゃべるたび、二人の言い合いはヒートアップするばかりで、次第にその熱に浮かされて、冷静な彼も早口に、大声になっていく。
その光景は、とても、胸のすくものだった。
私を馬鹿にしていた連中が、言い争っている!
クラスで一番の美人が!
クラスで一番、腕力のある彼が!
クラスで一番、賢い彼だって!
醜く、激しく、言い争っている。
いい気味!
どれほどクラスでチヤホヤされてたって、本当の危機には対応できない。
美人な彼女を守ってくれる人なんか、どこにもいない!
本物の『怪物』を前に役立つほどの腕力なんか、学生にはない!
賢く振る舞ったって、突発的な事態には対応できない!
「ヒッ!? き、来た、来たぞ!」
腕力自慢の彼が、大声で喚起する。
私は掃除用具入れの中で息をひそめて、べったりと狭いスキマに貼り付いて、外をのぞいた。
三人が抱きしめ合って震えていて――
彼らは全員、同じ方向を見ていた。
カツン、カツン。
木製の床を革の靴が叩く音がする。
その足音はとてもゆっくりで、でも、三人は逃げようともしない。
立てないのだ。
震えて、腰が、抜けているのだ。
足音の主はそれがわかっているのだろう。
決して急ぐことなく、三人に近付いて――
ついに、私の可視範囲に姿を現わした。
噂に聞いていた通り、おぞましい存在感だ。
腕が、二本。
脚が、二本。
それらすべては胴体の四隅に散らされていた。
しかも――重心が、高い。
これは、『あいつ』以外にも結構そういう生物がいるし、クラスメイトたちも重心が高い位置にあったりするのは珍しくないのだけれど、私なんかは、重心が高い相手を見るたびに、転びそうに見えて、ハラハラしてしまう。
そしてなにより不可解なのは、そいつが、武器を持っていることだった。
左手に剣、右手に盾。
なんて非効率的なのだろう。
『あいつ』は戦う生き物なのに、自前のウロコや装甲もないし、爪や牙を持っていない。
武器を持たなければ戦えない。
そんなディスアドバンテージを背負っているのに、途方もなく、強いのだ。
「ヒィィィィィ! で、出た……! 勇者だ!」
クラスメイトたちが叫ぶ。
私はぺったりと掃除用具入れのスキマに貼り付いたまま、おびえて腰を抜かし、それでもあとずさろうとする彼らを見ていた。
クラスいちの美人の彼女――サキュバスは、だらしなく脚を奮わせ、失禁していた。
力自慢の彼――ゴーレムは、勇者と似たパーツ構成をしているというのに、全然まったく勇者の迫力に負けてしまっている。
賢い彼――『生きた魔導書』は、自分のページをペラペラとめくり、せわしなく空中でくるくる回るだけで、呪文の一つのも唱えられていなかった。
「……」
勇者は左手の剣を無造作に振りかぶって、まずはカースドブックを切り裂いた。
目の前で真っ二つにされた賢かった彼は、いくらかのお金と、秘蔵していたのだろう、魔力ポーションを落として、跡形もなく消え去った。
次に剣を向けられたサキュバスは、
「ね、ねえ、ねえ! 勇者様! 勇者様! アタシ、綺麗でしょ? 助けてくれたらなんでもするわ! なんでも、なんでも……!」
命乞いをするのだけれど、まだ大人になりきっていないサキュバスの魅了は、勇者には効かなかったみたいだ。
首をひと薙ぎ。
宙を舞ってからぼとりと落ちた頭部は、懇願した時のまま、情けなく歪んだ表情を浮かべていて、自分がいつ死んだのかもわかっていないようだった。
サキュバスもまた、カースドブックと同じように、いくらかのお金と、そして自慢げにクラスメイトたちに見せていた『魅了の腕輪』を落として、あとかたもなく消え去った。
最後に残ったゴーレムは――
「う、うおおおおおおおおおおお!」
叫びながら立ち上がり、勇者に拳を繰り出した。
しかし、勇者には当たらなかった。
ひらりとまるで予知していたみたいな回避をすると、左手の剣をゴーレムの口に突き刺した。
岩でできている体をあっさりと貫いて、ゴーレムは二、三度痙攣したあと、膝から崩れ落ちた。
勇者が剣を抜くと――
ゴーレムもやっぱり、いくらかのお金を落として、あとかたもなく消え去った。
「……チッ。ドロップなしか」
勇者は舌打ちしながら――
ギロリ。
黒い視覚器官で、掃除用具入れを、見た。
中にいる、私を見た。
「…………!」
見つかった。
見つかった……?
見つかった!
恐怖でうまく体型を維持できない。
ぺたりと掃除用具入れのスキマに貼り付けていた体は、ずるずると落ち始めている。
全身がブクブクと泡立つ感覚があった。
――情けないことに。
私は、さっき勇者に一蹴された三人よりも、断然劣っていて……
勇者が掃除用具入れに向けて剣を振り下ろすのを、見ているしか、できなかった。
ギィン!
金属を断つのはこんな音なんだ――
極限まで引き延ばされた、濃厚な『死ぬ直前の時間』で、私は思った。
左右に分かれていく掃除用具入れ。
私は広がっていく光景と、ハッキリ見えるようになった勇者の姿に、ブクブクするしかできなくって――
――あれ?
死んで、ない。
どうやら勇者の剣は、私の真横をかすめたけれど、私には、当たっていなかったらしい。
すぐ真横、床まで斬り込まれた勇者の剣を見て、私は自分が助かった理由を推測した。
でも、勇者に見つかった。
彼は視覚器官からはるか下、掃除用具入れの床面にベッタリと貼り付き、情けなく泡立つ私を見て――
舌打ちして、剣を納めた。
「チッ、バブルスライムかよ」
違う、私はスライムだ。
バブルなのは、ただ、震えているだけ。
「……めんどくさ」
勇者は吐き捨てて、あっさり私に背を向けた。
その隙だらけの背中に躍りかかる、なんていう選択肢、私にあるはずもなく……
私は、勇者が立ち去るまで、情けなくブクブクと泡立ちながら、息を殺してジッとしていることしかできなかった。
「……い、行った……?」
おそるおそる、掃除用具入れから降りて、教室の床に貼り付く。
周囲を見回して勇者やその仲間たちがいないことを確認すると、初めてとてつもない安堵が全身に広がった。
私は部屋で眠る時にそうするように、薄く広く伸びて、長く大きい息をつく。
「はぁぁぁぁぁぁ……た、助かった……」
弱い。
情けない。
そう言われてきたスライム人生だったけれど、まさか、優秀なクラスメイトたちが死んで、私だけ生き残れるだなんて思ってもみなかった。
安心して、息をついて、このまま寝てしまいそうなほどの疲労感が心身にのしかかってきて――
でも、私は、まだ眠るわけにはいかないことを思い出す。
魔王様が経営するこの『魔族養成校』に侵入してきたのは、勇者一人ではない。
勇者。
戦士。
僧侶。
魔法使い。
私はこれらから逃げ切り、学校から脱出しなければいけない。
全員が勇者みたいに見逃してくれるわけではないだろうし、その勇者だって、二度目はきっと、ないだろう。
敵は最強の人類。
私は最弱のモンスター。
あまりにも分の悪い、生き残りをかけた戦いは、まだまだ全然終わっていないのだ……