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メインエレベーターの重厚で豪華な扉が音を立てて開いた。いつものようにエレベーターの数字が青へと変わっている。着いたとばかりに一呼吸置いて、二人はエレベーターから降りた。残っているいくつもの足跡を踏みしめて、赤い絨毯が導く道をゆっくりと歩いていく。先に行こうとすると見知った小柄な男と背の高い男が二人を見て楽しげに笑った。
「アルーーー!!」
「うん」
「と、ぽっちゃり部長♪」
「。。。こら!ぽっちゃりとはなんだ、ぽっちゃりとは」
両手を左右に振って同期の社員、アルを歓迎した後、横を向いて営業部長、ヨシザワに軽く挨拶した。アルは優しげに軽く手を振って応え、ヨシザワは渋い顔で言い返す。相変わらずだな、と昔の部下を優しく見上げた。
「ご無沙汰しております」
「いや、毎日会ってるから」
隠れるようにコウの後ろに立っていたリュウガがのんびりと姿を現し、丁寧に頭を下げた。ヨシザワは半ば呆れるように返して、変わっとらんなぁとしみじみ呟く。アルも静かに頭を下げて目を細めている。
「いやはや、立派ですね、部長。そのお腹。軽く100センチはありますよ」
「最近、ダイエットしてるんだよね、ぽっちゃり部長。営業部のお姉さんたちが噂してた」
さすがに情報が早いなと感心したように頷いて見せると、コウは楽しげに笑った。朝礼の時間が迫っているので、ミヤザワは先を急ごうと通路の先を指差す。毎日顔を合わせているのに、こういった世間話をする時間があまりとれない。同じ時間、同じ場所にいる割にはゆっくり話す機会がないな、と少し残念に思った。
「しょうがないよ、だって、いろいろと他に用事ができるんだから」
「そうですよ、部長。まあ、こうして話せる時間ができたことを喜びましょう」
二人にはヨシザワの言いたいことがわかるらしい。にっこりと胡散臭そうな笑顔をしてこちらを見ている。確かに今は話せるけれど、それもあと少しで終わるじゃないか。ヨシザワは納得いかない顔をしながら、同意を求めるように後ろから付いてくるアルを見上げた。
「相談したいことがあったんだよ。ああ
、アル。あれを。そうだ、これだ。これを直接渡したくてね」
アルから手渡された茶色の封筒をリュウガの持っている書類の近くへ素早く移動させる。封筒の中身を知っているアルは少しだけ目をリュウガの方へ動かしたが、すぐに視線を下に向けた。コウは不思議そうに首を傾げている。
「依頼ですか」
「依頼だな」
書類を持ち直すようにして封筒を受け取ると、リュウガは何事もなかったかのように前を向いて歩いた。気になったコウがアルに視線を送ると、それに気づいたアルは何も言わずじっと見つめ返した。
「すまんなぁ、いろいろと」
何も言わないアルの視線に、コウは軽く頷く。リュウガのように前を向いて普段通りの横顔に戻った。ヨシザワの少し掠れた声が二人の耳に飛び込んでくる。これは、少しだけ、厄介だ。
「疑うのは、信じることだと思いますよ」
暗い顔をしたヨシザワに、リュウガはいつもの調子で口を開く。部下想いのヨシザワには酷だと、なんだか悲しい気持ちになって気休めだと思いながらも声をかけた。情にもろい人ほど非道にはなれない。何とか人を救いたいともがきながら、良いように利用されてじわじわと暗闇に沈んでいく。そんな優しい心を持った人たちを見てきた。
こんな卑怯な案件には心の冷たい自分のような者が適任だ。長い通路を抜けてゆっくりと近づいてくる会議室のドアを見ながら、受け取った茶色の封筒を握りしめる。なかなかのんびりした時間はやってきてくれないようだ。
「そっかー。だから、ダイエットしてたんだね。顔色も悪いし」
明るく朗らかなコウの声が会議室のドアの前でじんわりと響き渡った。
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朝8時になり社内のあちこちからお馴染みの音楽が流れた。小宮シティのイメージアップのために作られた歌が美しい最新のスピーカーからこれでもか、というほど溢れだしている。歌に沿って軽く口ずさみながら、集まった社員たちは中央の大きなステージに注目した。社員たちよりも高い位置にあるステージには、就任して5年目になる現社長と副社長、補佐役の役員たちがずらりと並んでいる。
「3月2日の朝礼です。皆さん、おはようございます」
「おはようございます」
まるで学校の行事のように社長と社員たちは挨拶をした。皆、それぞれお目当ての役員の顔色を気にしながら社長の話に耳を傾けた。
「クレーム部からちょっと気になる報告がありました。引き渡した商品に欠陥があり、お客様が指を切られたとか。検証部、どうなっているんですか?」
社長は心外とばかりに眉をひそめて、集まった社員の中から検証部長を探している。呼ばれた検証部長はオロオロとした顔で社長からの強い視線を受け止めて、どうしようかと慌て出した。
「あ、えーと、それはですね。その。。あの、大事には至らなかったというか」
しどろもどろに説明するも、あまり要領を得ない。弱々しい態度が社長の苛立ちを逆撫でして、だんだん険悪な雰囲気になり始めた。社長は怒りを露にして検証部長に、ちゃんと説明してくださいと追い討ちをかけていく。穏やかな空気が攻撃的になっていく中、目の鋭い男が隣にいた困り顔の検証部長をやんわりと見つめて、一歩だけ前に出た。
朝礼に集まった社員や役員たちの視線が前に出た男に集中し、異様な空気となる。一斉に注目を浴びる男は平然とたくさんの視線を受け止め、ステージにいる社長を真っ直ぐ見据えた。
「確かにお客様は指を怪我されましたが、検証したところ、実際には、お客様の不注意でした。詳しい内容は先ほど提出した報告書に記載してありますよ」
「え?」
社員を見下ろせるような高い位置にいる社長は慌てたように役員たちに目を向けた。一部の役員が困惑した顔で受け取った報告書をバサバサとならし特定の報告書を探している。社長の元に検証部からの報告書が渡る前に雰囲気に飲まれた社長が、もういいですと片手で制した。
「間違いありませんね」
「はい」
目の鋭い男は抑揚のない声で応え、少し後ろで脂汗をかいている検証部長の隣、元々いた場所へと一歩下がる。自分に集まった視線を一つ一つ見つめながら、どうもすいませんねと返し、ふてぶてしそうな顔でニヤリと笑った。
「じ、じゃあ、今日の業務連絡を。会社全体の飲み会ですが、来週の日曜日に決まりました。場所は後ほど回覧します。必ず、出席するように」
「はい」
気を取り直した社長が力強い声で呼び掛けると、集まった社員たちは呼吸を合わせたかのように応える。どこかほっとした顔をして社長は進行係の役員に目配せをした。部署ごとに回ってくる一分間スピーチが終わった後、9時くらいまで雑談、報告の時間になる。昔の恋人の行方を依頼した役員の姿をリュウガとコウはきょろきょろと周りを見渡しながら探した。
書きました~~。どうぞお読みください(*^^*)