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小宮シティの朝は案外早い。営業時間は8時からだが、実際はその前から始まっている。会社全体の朝礼のため平日の午前7時を過ぎると、最上階へと続くエレベーターはいつも混雑していた。各部署の責任者及びリーダーのみ出席するはずが、わらわらとチームメンバーまでも我先にとエレベーターへ乗り込むからだ。出世を望む社員にとって、朝礼は自分の報告書を直接役員たちに手渡すチャンスでもあり、顔を覚えてもらう唯一の機会でもある。もうすぐ7時半になるエレベーター内では階ごとに止まり、知った顔がどんどん入ってきた。
「ああ、どうも。お早うございます。相変わらず早いですね」
「まあ、そういうあなただって」
大企業、小宮シティのメインエレベーターとなれば、内装は豪華で広さもかなりある。ざっと50人がひしめき合ってもビクともしない。次々と乗り込む人を乗せて大型の箱のように一気に押された階へと人々を運んでいく。
「そういえば、また営業部は利益の最高額を更新したそうですね」
いかにも数字に強そうな眼鏡をかけた男が愛想よく隣の男に話しかけた。一見穏和に見えるが、目の奥に宿る光が、一体どういうことなのだと目線の先の男に問いかけている。一瞬の揺らぎも見逃さないよう瞳の奥を探るように鋭く見据えた。
「ええ、それが、なんだか、いつの間にか、という感じなんですよ」
鋭利な刃物のような視線をやんわりと受け止め、少しぽっちゃりした中年の男が穏やかに答える。ちょっと惚けた感のある背の低い男は、運が良かったんですよねぇなどとぼやいている。隣にいた背の高い静かな男の方を見ながら、そうだよねぇと同意を求めた。
「はい、本当にいつの間にか。僕たちも目の前の仕事や、やってくる依頼ばかりに気をとられていましたから」
「うんうん。そうだよねぇ」
ぽっちゃり気味の男は満足そうに何度も頷いて、鋭い目をした眼鏡の男ににっこりと微笑む。眼鏡の男は、それ以上話しかけることもせず、エレベーターが示す数字に視線を移し、じっと見ていた。
40階以上は役員それぞれの個室や宿泊施設、社員用のリラックススペースや会議室ばかりになり、この時間帯には滅多に人が入ってこない。どんどん増えていくエレベーターの数字をぽっちゃりした男も静かな男も黙って見やった。
「いつか。。。俺も、ここで」
隣の男が呟いた無意識の声をぽっちゃりした男も静かな男も、何も言わず聞き流した。
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エレベーターが52階に到着すると数字の色がオレンジから青へと変わり、大きな扉が勢いよく開いた。内部にいた社員が早足で役員会議室へと続く廊下を歩いていく。重厚な赤絨毯が敷かれている廊下をたくさんの靴が踏み鳴らしていき、ふかふかに手入れされていた絨毯が悲惨にもぐったりと疲れているように見えた。
「やれやれ、毎日のことながら、骨が折れるよ。こう、敵意ばかりの視線じゃあねぇ」
「ははは。部長、上手くかわしていましたよ」
「ふふん、そう見えたかい?」
ぽっちゃりした男は嬉しそうに笑うと、会議室へと続く廊下の先を見る。肩がこったのか軽く腕を鳴らしてバタバタと手を振りながら、うんざりした顔をしてため息をついた。
「見てごらん、アル。まるで兵隊だね。ギラギラさせて、神経をとがらせて。戦争にでも行くみたいじゃないか」
「。。。。」
「ここには、敵なんていないはずだよ。みんな同じ会社で働いている仲間のはずだよ。それなのにさぁ、なんだい、あれは」
「そうですね」
静かな男、アルも上司の目線の先を見てやんわりと口元を緩めた。いつものことながら、この朝礼は独特だ。出世に興味はないが、いつか自分もああなってしまうのかな、と目を細めながら小さくなっていくたくさんの背中を見つめた。
「会社ってのは、人を幸せにするためにあると思うんだがね。働いている仲間が幸せにならないで、どうやってお客さんを幸せにするんだい。言わば、仲間は家族だよ、家族」
「はい」
「それなのにさぁ。あんなに殺気立たれたんじゃあ、テンションも何もないよ。ああ
早く、私の可愛い部下がいる営業部に帰りたい」
「ふふふ」
自分たちもこの赤い廊下を歩いていこうとすると、ぽっちゃりした男が、待ってとアルを呼び止めた。
「そうだ、アル。あいつらと一緒に行こう。ほら、書籍部の。あのどぎつい二人なら、たくさんの敵意を一掃してくれるよ」
「。。。ああ。。」
時々会う同期の社員と個性的なその上司を思い浮かべて、アルはふわっと優しく笑った。書籍部のことをほとんどの社員は役立たずと陰口をたたくが、当の本人たちに向かって直接言えるほど度胸のある者は少ない。同期の社員、コウはなぜか何でも知っているし、その上司であるリュウガは凄まじい殺気に満ち溢れている。その上、リュウガを取り巻く人間たちがまた恐ろしい。
個性は個性を呼ぶのだろうか。協調性はないものの、一人一人特異な才能を持ち、それぞれの分野で成果を上げている。
「もう、そろそろ来るんじゃないか?全く、のんびりしてるというか、何と言うか」
「ははは」
一度52階に着いたエレベーターが静かに閉まり、数字が一気に1へと向かって下がっていく。営業部としても陰ながら支えてもらっている書籍部にはお礼も兼ねて挨拶したい。腕時計を見ながらゆったりしている上司をアルは穏やかに見つめた。
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エレベーターが1階に到着する。大きな扉が開き、報告書を持った二人を出迎える。優雅にスルメを味わって満足したリュウガとスーツを窮屈そうに着ているコウは開いたエレベーターに乗ると、52のボタンを押しておとなしく扉が閉まるのを見届けた。
「ラッキー!誰もいない。ほらね、隊長。月始めの朝礼は、7時30分ごろに行くのが穴場だよ」
「ほうほう」
得意気に腕を伸ばすコウにリュウガはうんうんと頷きながら、エレベーター内部を見回す。金色の豪華なデザインを見ながら、これもいいなぁと一人にんまりと笑っている。
「なぁ、コウ。新しく本棚を買おうと思うんだが、これといった物に出会えないんだよ。金ぴかの豪華な本棚なんて、どうだ?」
「えー。。。」
リュウガに薦められて、周りを見回しながらコウが渋い声を上げた。長年一緒に働いているが、上司の趣味が全くわからない。もうすぐ資料整理もやらなければならないので、本棚は欲しいが、もう少しナチュラルなデザインがいい。
「隊長、今度みんなで本棚を見に行こうよー。それで、多数決を取るの。そしたら、きっと良いものに出会えるんじゃない?」
自分はともかく、ルカの趣味はいい。ルカやレイも巻き込んでリュウガの暴走を止めなければ。エレベーター内部をしげしげと見つめるリュウガを見ながら朝礼が終わったら相談してみようとコウは一人深く頷いた。