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ブログにアップしている物語が貯まってきたので、こちらにも掲載します。楽しんでもらえると嬉しいです。いつもありがとうございます(*^^*)
小さな頃はあまり覚えていない。好きなことなどあまりなく、ただ今日1日をなんとか生き抜くことだけに一生懸命になっていた。
暗い日々だったかというと、そんなこともなく。とても楽しかった思い出もある。あの頃食べた綿菓子が美味しかった、とか、夜に見上げた星空がきれいだったとか。そんな楽しい優しいものもあった。
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ルカが所属している書籍部は会社全体の資料をまとめて保管する部署である。大きな会社である小宮シティの最下層、太陽の光も届かぬ地下にあり、他の社員は存在すら知らない。艶やかな会社の入り口から裏手へと回り、頑丈そうなエレベーターで地下へと下がっていくと見えてくる。暗いひんやりとした通路を抜ければ、少し古びた扉が出迎えた。
「全くもってこのデータ、どうにかしてくれよ。お前たちはデータさえ、打ち込んでくれればいいんだからさぁ」
いつも資料を持ってくるパリッとしたスーツの若者がうんざりしたような顔をしてルカを見る。少し笑ってルカは社員から大量の資料を受け取った。
「いいよな、書籍部は。単純なデータ打ち込みで給料もらえるんだから。俺らなんて毎日頭使って、足使って、いろんなとこ行ってやっと仕事を取ってくるんだぜ」
責めるような目で見る社員は、はぁ、と大きなため息をついてルカを上から見下ろす。背が高いって大変そうだな、とルカは目だけで応えた。大手会社、小宮シティにとって営業部は花形だ。仕事のほとんどは営業が回している、といっても過言ではない。お金を管理する経理部や会社のための人事部を除けば、あとはそんなに重要ではないと会社の上役たちも言っている。
営業部の魅力で、人柄で仕事が山のようにやって来てお得意先ができる。得意先の好みや状況をそれぞれ報告書として提出し上役へと回す。それが終わった後こうしてルカのいる書籍部へと持ってくるのだ。データは保管し管理するのは大変だが、データベースとして残しておけば何かと便利で、営業が好きなときに情報を得ることができる。誰でもできる仕事。それが書籍部の仕事でもあった。
「しっかし、書籍部って。上役たちが気まぐれにつけた名前で通ってるんだから、ある意味すごいよ。まあ、それだけ適当なんだろうさ」
あらかた愚痴まぎれに言いたいことを言うと、いつもの社員はさっぱりとした顔に戻る。いつまでも愚痴を言ってはいられないらしい。
「じゃあ、頼んだよ。いつものように、明日までに」
さっきまで話していたのを忘れたかのようにクルリと背を向けてさっさと行ってしまった。1日のデータ量にしては量が多い。今日は取引先の接待が多かったようだ。紙の重みでずり落ちそうになるのをなんとか押さえると、持ちやすいように体制を整えた。かろうじて綺麗にまとめたけれど、今日はきっと残業になるだろう。
「また、会社に寝泊まりかな」
誰もいない廊下で、小さな声が静かに響いた。
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先ほどの古びた扉を開こうとしてルカは重すぎる資料を一旦下に下ろした。廊下の床は古いものだけど、いつもピカピカに磨かれており、掃除大好きな同僚の顔を思い出して思わず口元が緩む。手書きの資料やパソコンで印刷された資料は一度汚れると厄介だ。どうしたものかと考えていたら、いつもやる気のなさそうな同僚が、掃除をする!と言い出し、しばらく机に戻らなかった。
「今日も磨いたみたいだな。データ入力は全然しないのに」
ブスッとした顔で机に座ってばかりの同僚を思い浮かべてルカは少し笑った。彼は彼なりの思いがあるらしい。上司であるリュウガの刺すような視線にも全く動じず、どこ吹く風かと右から左に聞き流していた。今日もピカピカに光る床を見ながらぼんやりしていると、胸元のスマホから聞き慣れた音が鳴り響く。思わずホッとしてすぐさまスマホを取り出し通話ボタンをスライドさせた。
「ルカ?大丈夫?なんだか、今日は一段と凄いらしいからさぁ」
「そうなの?」
声の主はいつも明るい。情報通で知られる彼は何でもお見通しのようだ。先ほど愚痴っぽかった営業の内情を世間話のように口にした。会社の花形である営業部の内情を知るのは難しい。他の部署に漏れることは自分の手の内を見せることにもなるので、営業部もかなり警戒しているはずなのだが、なぜか彼はなんでも知っている。
「営業部の新人さんがね、すんごく重要なお偉いさんを怒らせたらしいのー。んで、接待に次ぐ接待だってさ。もう、みんなバンバン飲みまくったんだって」
「へぇ」
扉の向こうからコツコツと軽やかな音が近づいてくる。どうやら歩きながら話しているらしい。スマホから聞こえる声と行く方向から来る声が重なり、ルカは目の前の扉を見ながら耳をすました。
「それでね。その後でも報告書書かないといけないでしょー。大変だったらしいの。もう二度と怒らせるなってんで、何から何まで書かせてデータ化するんだって。もー、飼ってる犬の名前から、お気に入りの家具のブランドから、細かいんだから」
「うわ。。。」
想像しただけで凄そうだ。思わず漏れた声に同僚のコウが楽しげに笑う。確か昨日も寝ていないので、2日続けて徹夜になるだろう。営業部からも上役たちからもきっちりデータとして整理されているか、朝の朝礼までにデータを送らなくてはならない。理不尽だがいつものことだけに、なんだか怒る気にもならなかった。
「きっとボウちゃん、こんな時でも入力しないだろうし。僕とルカと隊長だけでやるしかないね」
「うん」
古びた扉がゆっくりと開く。スーツを適当に着崩した明るい顔が優しくルカを出迎えた。コウは大量にあった資料を持っていたバックに積めると周りを見渡す。ピカピカだねーといつもの調子でニヤリと笑った。
「ボウちゃん、ほんと掃除好きなんだなぁ。いっそ、掃除のお兄さんになればいいのに」
「もう、いい加減、名前で呼びなよ。それに、それは無理な話だから」
「えー、いいじゃん。ボウちゃん、僕好きだよ。ボーッとしてるから、ボウちゃん。あー、でもブスッとしてたら、ブーちゃんって呼ぼうかなぁ」
「それ、もっと怒るんじゃない?」
重い資料が軽くなり、コウ特有の軽口に心も和む。いつもボウちゃんと呼ばれているレイはもう帰ってしまったらしい。
「上役の息子も大変だよね。嫌いな仕事でもしがみつかなきゃいけないんだもん。叱ってくれる人もいないしさー」
「うん」
重い資料を持ってくれるコウの隣に立ってさらに奥へと歩いていく。徹夜になるのは気が重いが、一緒に働いているコウや上司のリュウガは面白くて優しい。今日も没頭できれば、夜はあっという間に明けてくれるだろう。暗くて長い廊下を歩きながらルカはゆっくりと前に進んだ。