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イトコノコ  作者: キヨモ
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手探りの関係 6

 期末テストが終わった土曜日は、朝から蝉が鳴いていた。ここ数年はいつ梅雨か明けたのかわからない曖昧な天気だったけれど、今年は誰の目にも明らかな梅雨明けだった。うんざりするくらい毎日雨が降り続き、灰色の重い雲が去ったあとに広がるのは鮮やかな青い夏空。やがて唐突に蝉が鳴き出し、夏の始まりを高らかに告げていた。


 そんな夏空に誘われるように、母と和彦は昼過ぎに出かけて行った。前日の夜にもう一度誘われたが、同じ台詞で断るともう何も言われなかった。せっかくだから、食事の前に映画でも観てきたらと志穂子が勧めると、母が先週封切られたばかりの邦画を観たいと言った。結局、映画館に行って、そのあとぶらぶらと買い物をしてからお目当てのイタリアンレストランに行くというデートコースに決まったらしい。

 楽しそうに出かけて行ったふたりを見送ると、志穂子はリビングのソファにごろりと横になった。テレビを観る気にはならず、かと言って期末テストが終わったばかりなのに勉強をする気にもならない。志穂子はただ、ぼんやりと宙を見つめながら蝉の声を聞いていた。

 誰もいない家には当然、人の気配はない。以前の狭い家とは違う広い空間にぽつんとひとり残されて、志穂子は本当にここが自分の家なのだろうかという不思議な感覚に陥った。


 その時不意に、電話が鳴った。思わずびくりと起き上がる。滅多に家の電話は鳴らないので誰だろうと訝しく思いながら、志穂子はゆっくりと受話器を取り上げた。

「はい。み……、藤原です」

 藤原の苗字を名乗るのは未だ慣れない。呼ばれることには慣れたけれど、自分で名乗る機会は案外少ないので、無意識のうちに思わず“宮本”と名乗りそうになるのだ。

「もしもし、志穂?」

 受話器から聞こえてきたのは、懐かしい声だった。

「千明?」

「当ったりー! 久しぶり、元気? てゆか、今“宮本”って言いそうになったでしょ?」

 一気にまくしたてる明るい声は、幼馴染の千明だった。

「なってないもん」

「いや、確実に“み”って言いかけたね」

 受話器の向こうでそう言ってケタケタ笑うので、つられて志穂子も吹き出した。


「どう、そっちは?」

「うん、だいぶ慣れた。千明は?」

「いやあ、なかなか大変だわ。やっぱり背伸びしてランク上げたら苦労しますな」

 常に学年で十位以内に入っていた千明は、県内有数の進学校に入学した。大変だと言いながらもその言葉には余裕が感じられて、きっと高校でも上位の成績をキープしているのだろう。

「香織や宏美とは会ってるの?」

「この間、宏美とは偶然商店街で会ったけど、香織とは志穂の引っ越し以来会ってないんだ」

 四人は小学校からの同級生だ。志穂子が通っていた小学校と中学校の学区はまったく同じで、通う場所が変わるだけで顔ぶれは九年間変わらない。その中で四人は、クラスが離れても常に登下校を共にし、誰よりも長く同じ時間を過ごした親友だった。


「やっぱり学校が離れると、なかなか会えないものなんだね」

「まあね。通学時間がバラバラだから家を出る時間も違うし、なかなか電車でも一緒にならないよ」

 千明の話を聞きながら、志穂子は少しだけほっとしていた。進学校に進んだ千明と、私立の女子高に行った香織と、商業科の学校に入学した宏美と。志穂子の引っ越しが決まる前から全員の進路が違うことは分かっていて、だからこそ志穂子はあっさりと引っ越しを受け入れられたのかも知れない。もしも三人が卒業後も頻繁に会っていたら、ひとり離れている志穂子はやはり少し寂しいと思っただろう。


「でさ、久しぶりに四人で会いたいねって宏美と話していたんだよ」

「会いたい!」

 思わず興奮して大きな声が出る。受話器の向こうで、呆れたような笑い声が聞こえた。

「少し先なんだけど、八月三十日は暇?」

「え?」

 千明の口から出た日付に驚いて、志穂子は思わず聞き返した。

「本当はすぐにでも会いたいんだけど、香織が夏休み前半はオーストラリアにホームステイに行くから無理なんだって」

 さすが私立は違うねと千秋がしみじみとした調子で言うので、志穂子も大きくうんと頷いた。

「お盆は宏美が田舎に行くって言うし、じゃあ仕方がないから八月三十日に志穂の誕生日をみんなで祝ってあげようではないかということになったの」

「暇! 全然暇だよ!!」

 思わず意気込んでそう答えると、千明は呆れたように溜息をついた。

「あのね、そこはそんなに力を込めて暇を主張すべきじゃないと思うよ。宏美が、志穂に彼氏ができててその日は無理って言われたらどうしようと心配してたけど、こういうのを杞憂って言うんだろうね」

「……むかつく」

 昨日の国語のテストにも出ていた故事成語を持ち出してきた千明に、志穂子は小さく悪態をついた。


「で、学校はどう? 好きな人できた?」

 志穂子の呟きをスルーして、千明がそう尋ねてくる。

「まだ入学して三ヶ月だよ」

 呆れたように志穂子が答えると、そう言うと思ったと返された。なら聞かなくても良いのにと、心の中でちらりと思う。

「新しいいとこはどうよ? 同じ高校なんでしょ?」

「なっ……」

 予想もしない質問に、志穂子は思わず絶句した。

「ありえないよ。まともに口きいたこともないんだから」

 しどろもどろでそう答えると、千明はつまらなさそうにふうんと言った。

「まあ、今度会った時にいっぱい追及してあげる。だからちゃんと、それまでに宿題終わらせときなよ」

「千明ってば、お母さんみたい」

 子供の頃からしっかりしていた千明は、いつも皆の世話を焼いていた。そんな彼女の変わらない様子に安堵しながらからかいの言葉をかけると、千明はますます調子に乗る。

「志穂ちゃんがきっちり宿題を終わらせたら、ご褒美にお誕生日のお祝いしてあげるからねー」

「はい、お母さん!」

 千明がふざけてそう言うので、志穂子も同様にふざけて返す。そうして堪え切れず、受話器越しにふたり笑い合った。


「そう言えば、志穂は携帯持ってる?」

「ううん」

 クラスメイトの大半は高校入学を機に携帯電話を買ってもらっていたが、志穂子は持っていない。たまに羨ましいと思う時もあるが、さして不便も感じないので母にねだったことはなかった。

「そっか。じゃあ、また家に電話する」

「うん。三十日楽しみにしてるね」

 そう言うと、じゃあねと言って電話が切れた。大して楽しみでもなかった夏休みが、急に色づいてきたように志穂子は感じた。


   ***


 高校に入ってはじめての夏休みは、だらだらと過ぎて行った。

 朝起きて少しだけ宿題をし、テレビを見ながらごろごろと時間をつぶす。暑さで何をする気も起きないと、すべてを暑さのせいにした体の良い言い訳をしながら無為な時間を過ごしていた。


「明日は何時頃帰って来るの?」

 いよいよ夏休みも残り二日となった夜、夕食の後片づけを手伝っていた志穂子に母が尋ねてきた。

「晩ごはんまでには帰って来るよ」

「そう。明日はご馳走にするからね」

 去年も一昨年も志穂子の誕生日は残業で、母の帰りは遅かった。張り切っている母に、志穂子は楽しみにしてると笑顔で返す。

「駅前のケーキ屋さんでちゃんとケーキも買っておくから。あ、でも千明ちゃんたちに会ったら、皆でケーキ食べに行くの?」

「さあ? 予定は全然決めてないけど、もしかしたらどこかでお茶するかもね」

「そっか。でもまあ、帰ってからもう一個食べても良いし、次の日食べても良いしね」

 母が勝手にひとりで自己完結してるので、思わず志穂子は口を挟む。

「何だかわたしのお祝いというよりも、お母さんが食べたがってるだけみたい」

「だってこの間、美容院に行ったらスタイリストさんがあそこのケーキを絶賛してたんだもの」

「わたしの誕生日はケーキを買う口実ですか?」

「そうですが、それが何か?」

 ふざけて志穂子が聞くとすました顔で母が答えるので、ふたり顔を見合わせて笑った。


 ひとしきり笑うと、やがて沈黙が訪れる。志穂子が布巾を洗ってきつく絞っていると、食器乾燥機のスイッチを入れた母が不意に口を開いた。

「ねえ、志穂子……」

「何?」

 母の顔を見ると予想外にその表情は真剣で、志穂子は思わずたじろいだ。

「どうしたの?」

 返事がないのでもう一度尋ねると、母は何かを言いかけ、けれども小さく首を振った。

「何でもないわ。明日、楽しみだね」

「うん」

 小さく頷きながら訝しげに母を見つめたが、微笑を浮かべるばかりでそれ以上は何も言わなかった。

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