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イトコノコ  作者: キヨモ
5/33

手探りの関係 5

 二階にあるカフェの前には、数組の客が待っていた。時計を見れば三時を過ぎたところで、他の店に行っても混んでいるだろうと予想してそのまま待つことにする。店の前に並べられた椅子に腰かけて待っていると、予想より早く十分足らずで席に案内された。

 アイスティーとアイスコーヒーをそれぞれ注文し、それから他愛のない会話を繰り広げる。クラスの誰が付き合い始めたとか、どこの部にカッコ良い先輩が多いとか。 もっぱら恵が話題を提供し、その内容の殆どが恋愛絡みだ。志穂子はたまに質問したり相槌を打ったりしながら、聞き役に徹していた。


「そう言えば、志穂って好きな人いないの?」

 それまで化学教師の安藤がどれだけカッコ良いか熱弁をふるっていた恵だが、ふと思いついたように志穂子に尋ねてきた。ちょうどアイスティーを口に含んでいた志穂子は、唐突な質問に思わずむせた。

「ちょっと、大丈夫?」

「……大丈夫。気管に入っただけ」

 ケホケホと咳込みながら志穂子が答える。

「で、いないの?」

 ようやく落ち着いた志穂子に、恵がもう一度問いかける。わくわくと目を輝かせたその顔には、興味津々という文字が浮かび上がってきそうだ。

「いないよ」

 志穂子があっさりと答えると、恵はつまらなさそうな表情を見せた。

「えー、本当に? 中学の時はいたでしょ?」

「うーん……」

 考え込んだ志穂子に、恵は信じられないと呟いた。

「志穂の中学の男子って、レベル低かったの?」

 眉をひそめて尋ねてきた恵に、志穂子は思わず苦笑した。


 気になる人がいなかったと言えば嘘になる。けれど、それは淡い憧れだった。姿を目で追いかけて喜びにひたり、言葉を交わしてささやかな幸せを感じる。そんな恋の入り口にあるような幼い感情だった。現に、中学三年の秋には卒業後に母が再婚することが正式に決定して引っ越すことが確定したが、あまりショックではなかった。憧れの人と同じ高校に行けないことは寂しいけれど仕方がないと、少し冷めた感情しか持ち合わせていなかったのだ。

「ふうん。じゃあ、好きな人ができたら教えてよね。志穂は奥手そうだから、わたしと美奈で応援するよ」

 そう言ってガッツポーズを作るものだから、志穂子はちょっとふたりの応援は恐いなと思った。そのままそう口にすると恵が失礼だなと頬を膨らませ、ふたり顔を見合わせて笑った。


「やばっ、もうこんな時間!」

 話が途切れたタイミングで何気に携帯電話を開いた恵が、驚いたように声をあげた。つられて志穂子も腕時計に目をやると、時刻は六時になろうとしていた。

「うわ、本当だ」

 一年で一番昼間の長いこの時期は、六時でもまだ日は沈まない。窓の外の明るさに惑わされ、ふたりともすっかり時間の感覚を失っていた。跡形もなく氷が溶けてしまったグラスの横に置かれている伝票を手に取り、そそくさを店をあとにする。志穂子も財布を出したけれど、結局は恵が支払いを済ませてくれた。

「ありがとう。何か、ごめんね」

「いいのいいの。誘ったのわたしだし、どうせ姉ちゃんの金だしね」

 そう言ってにやりと笑う恵のあとに続き、エスカレーターで一階まで降りる。エントランスに向かう途中、父の日の特設コーナーを横切った。

「やっぱりお父さんに何か買う?」

 志穂子の視線の先を追って、恵が尋ねてくる。

「……ううん。何が欲しいのかわかんないし」

「だよね。父親の欲しいものなんて知らないし、父親だってうちらの欲しいものわかってないしさ」


 一緒に電車に乗った恵は、ひとつ手前の駅で降りて行った。

 志穂子がホームに降り立つと、西の空はようやく茜色に染まりつつある。改札をくぐって駅前の駐輪場へ向かい自転車を出すと、ペダルに力を込めて家路をたどる。駅前の大通りから住宅街へ入り、そのまま突っ切って角を曲がるとようやく自分の家が見えてきた。団地暮らしだった志穂子が子供の頃から憧れていた、二階建ての家だ。窓からは煌々とした明かりが漏れ、きっと玄関を開ければハンバーグの匂いが迎えてくれるのだろう。

 けれども、門扉に手をかけた志穂子の動きは、そのまま止まってしまった。肩から斜めにかけた鞄の中身は、家を出た時と同じく財布とハンカチとティッシュだけだ。 目的の品は、結局得られなかった。六月に入ってからずっと、ずっと考えていたのに……。


 母の日は毎年、小遣いの範囲内で買えるものを贈っていた。花束だったりハンカチだったりCDだったり。ケーキを買って来て一緒に食べた年もあった。今年の五月はマニキュアを贈った。これまで仕事に追われ、お洒落をすることが少なかった母への感謝の気持ちを込めたプレゼントだった。

 けれども父の日の今日、志穂子は何も用意していない。あの人が現在何を持っているのかを、志穂子はまったく知らなかった。何を欲しがっているのかも知らないし、好みも知らない。優しいあの人なら、きっと志穂子が贈るものは何でも喜んでくれるだろう。だけど結局、志穂子は何も用意することができなかったのだ。


「志穂ちゃん」

 不意に背後から名前を呼ばれる。びくりと大きく肩が跳ねた。振り返ると、そこには和彦の姿があった。

「あ、おかえりなさい……」

「ただいま。志穂ちゃんも出かけていたのかい?」

「はい。友達と会っていました」

 そうかと言って優しく微笑む和彦の手には、黒のキャリーケースと紙袋があった。木曜日から東京の本社へ出張に行っていたのだ。

「はい、お土産」

 そう言いながら、紙袋が差し出される。条件反射で受け取ると、紙袋の中から黄色の包装紙で包まれた東京名菓の箱が覗いていた。

「さあ、早く入ろう。お腹がぺこぺこだ」


 玄関を開けると案の定、ハンバーグの匂いが充満していた。

「あら、一緒だったの?」

 リビングに入ると、母は驚いたような表情でふたりの顔を交互に見やった。

「いや、家の前で一緒になっただけ」

「そう。ふたりとも遅いから、先に食べちゃおうかと思っていたのよ」

 拗ねたように小言を言う母にごめんなさいと謝ると、志穂子は二階に上がった。自分の部屋のドアを開け、ベッドの上に鞄を放り出す。

(何でも良いから、やっぱり何か買ってくれば良かった……)

 お土産を買って来てくれた和彦に対し、志穂子は罪悪感を感じていた。


 志穂子は小さく溜息をつき、そっと机の引き出しを開けた。そこには、フォトフレームが入っている。いつもと同じ穏やかな笑みを湛えた亡き父と目が合った。

 母とふたりで暮らしていた家では、居間にあるサイドボードの上に置かれていた父の写真。けれども再婚後の新居で飾るわけにもいかず、引越しの準備の時にこっそり志穂子が自分の荷物に紛れさせていたのだ。母は父の写真がなくなっていることに、果たして気づいているのだろうか……。

 志穂子はそっと引き出しを閉めると、楽しそうな夫婦の会話が聞こえる階下へのろのろと降りて行った。


   ***


 夏休みまでの日々は、とても単調だ。相変わらず朝早く家を出て、特別棟の裏のベンチでぼんやりと時間をつぶし、恵や美奈と他愛のない会話を繰り広げながら一日を過ごす。特に楽しいわけでもなく、けれども辛いことがあるわけでもない。大きな変化があった春から二ヶ月が経ち、志穂子の毎日は同じことが繰り返されるルーティーンだった。


「ねえ志穂。今度の土曜日、何か予定ある?」

 期末テストを控えた七月のある日、夕食の席で母が尋ねてきた。

「別にないけど、どうして?」

「じゃあ、夕飯は三人で外食しない? 金曜日でテスト終わりでしょ?」

 ちらりと見れば、和彦がにこにこと笑みを浮かべながら志穂子の返事を待っている。

「えっと……」

「本町の駅前に新しいイタリアンのお店ができたらしくてね。自家製の窯があって、そこでピザを焼いてくれるんですって」

 母はどこから仕入れた情報なのか、パスタも種類が豊富なんだとかジェラートも人気があるとか、得意気に話している。


「うーん、わたしはいいや。ふたりでデートして来なよ」

「志穂子……」

 小さく呟いた母の声は、咎めるようでもあり哀しそうでもあった。

「金曜日のテストのあと、友達とケーキを食べに行く約束してるの。二日続けて贅沢したら太るし、よく考えてみたらふたりきりでデートとかしたことないでしょ?  たまには夫婦水入らずで出かけたら良いじゃない」

 軽い調子で志穂子が言うと、母と和彦は顔を見合せたまま何も言わなかった。

「気が変わったらいつでも言ってよ。三人で行くからね」

 和彦は気を悪くした風でもなく、そう言った。志穂子は微笑して頷くと、ごちそうさまと手を合わせて食べ終えた食器をシンクへと運んだ。

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