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イトコノコ  作者: キヨモ
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手探りの関係 4

 その日も始業の四十分前に登校した志穂子は、いつもの指定席である特別棟の裏のベンチではなく、真っ直ぐ教室に向かっていた。今日は朝から雨だ。屋根のない屋外のベンチで過ごすわけにもいかず、仕方なく教室で時間をつぶすことにしたのだ。

 教室の扉を開けると当然ながら、誰もいなかった。窓の外には色を失ったかのような灰色の景色が広がり、朝だというのに教室内は薄暗い。電気もつけず教室の真ん中にある自分の席に鞄を置くと、志穂子はふらふらと窓に近づいた。

 いつもはグラウンドで運動部の朝練が行われているが、さすがに今日は誰もいない。志穂子は静かに窓を開けた。湿気をたっぷりと含んだ重みを感じる空気が、半袖の制服から伸びる志穂子の腕や首筋に纏わりつく。厚い雲に覆われた鉛色の空からは、絶え間なく大粒の雨が降り落ちていた。

 志穂子は灰色の景色を、ただぼんやりと眺めていた。この時間を予習に充てれば、中間テストで中の上くらいだった成績はもっと上がるだろう。けれども、そんな気は起きない。今、志穂子の脳内を占領しているのは、一週間後の日曜日のことだけだった。


 不意に教室の扉が開く。物思いに耽っていた志穂子は、その音にびくりと大きく反応した。

「ひゃっ」

「うわっ」

 入室して来たクラスメイトも、まさか先客がいるとは思わなかったのだろう。志穂子の反応につられるように声を発した。

「何だ、藤原さんか。びっくりさせないでよ」

 そう言うと、声の主は扉の脇にある電気のスイッチを入れた。薄暗かった教室が、一気に明るくなる。

「ごめん。大宮さん、早いね」

 志穂子しかいない教室に入って来たのは、大宮志乃だった。


「今日は日直」

 そう言われて黒板に目をやると、今日の日付の下に確かに“大宮”と書かれている。日誌を持った志乃は、そのまま志穂子の傍まで近づいて来た。そうして志穂子が立つ横の席に、乱雑に鞄を置く。そこではじめて、この場所が志乃の席だということを思い出した。

「あ、ごめ……」

「別に」

 志乃の声は素っ気なかったけれど拒絶の色は感じれらなかったので、志穂子はそのままそこで窓の外を眺め続けることにした。

「てゆか、そっちこそ早いじゃん」

 少し驚いて志穂子が振り返ると、志乃は鞄から取り出した大きな化粧ポーチを広げて鏡を覗き込んでいた。志乃はいつもフルメイクで登校している。髪は明るい茶色に染め、ファンデーションはもちろん、マスカラやアイライナーも完璧だ。化粧の仕方もまともに知らない志穂子には、それは芸術の域に達していると言っても過言ではなかった。

「うん。早く目が覚めたから何となくね」

「ふうん。藤原さん、変わってるね」

 喉の奥でくくっと笑いながら、志乃が言った。

「……かもね」

 女子とは慣れ合わない志乃に言われたくはないなと思いながら、けれども否定はできない自覚はあるので志穂子は大人しく頷いた。再び微かに笑うと、志乃はもう何も言わなかった。黙って鏡を見つめながらビューラーで睫毛を上げている。だから志穂子も、黙って窓の外を眺めていた。


「おはよう」

 やがて廊下で挨拶を交わす声が聞こえ始め、俄かに校内が活気づく。また賑やかな一日が始まるのかと思いながら振り返ると、恵と美奈が怪訝そうな顔で立っていた。

「あ、おはよ」

「ちょっと志穂、こっち来なよ」

 のんびりと朝の挨拶をした志穂子に、恵と美奈は不機嫌な顔で手招きしていた。

「どうしたの?」

「どうしたのって、何で朝から大宮と一緒なの?」

 声を潜め、美奈が詰め寄ってくる。予想外の言葉に、志穂子は思わず美奈の目を見つめ返した。


「たまたま早く着いちゃって、ぼーっと時間つぶしてたら日直の大宮さんが来ただけだよ」

 そう志穂子が答えると、恵と美奈は顔を見合わせて溜息をついた。

「あのさ、あんまり大宮と関わらない方が良いよ」

 恵の言葉に、志穂子は思わず眉をひそめた。

「何で?」

 どのグループにも属さない志乃は、確実にクラスで浮いている。けれど、確かに見た目は派手だが授業は真面目に受けているし、反抗的な態度をとっているわけでもない。今まで志穂子は挨拶くらいしかしたことがなかったけれど、先程少し話した感じでは悪い人ではなさそうだ。

「志穂は中学違うから知らないだろうけど、あの子、超ラブラブだった先輩カップルの仲を引き裂いたって有名なのよ」

「そうそう。サッカー部のエースとマネージャーでみんなの憧れの的だったのに、あの子が誘惑したせいで結局ふたりは卒業前に別れたの」


「それ、本当なの?」

 訝しそうに志穂子が尋ねると、恵と美奈は不愉快そうな顔をした。

「本当よ。志穂は友達の言うこと信じないの?」

「大宮が男好きなのは有名な話よ。だから女子とは喋らないけど、男子には媚び媚びだもん」

 志穂子はふたりが交互に話す内容を、黙って聞いていた。ちらりと窓際の席を見やると、志乃は化粧ポーチを鞄にしまいぼんやりと窓の外を眺めていた。

「男は馬鹿だから、ちょっと可愛いとすぐ騙されるのよね」

「えー、別に可愛くないじゃん」

「普通に顔は可愛いんじゃない? 金澤も大宮に対してはまんざらでもなさそうだしね」

「違うもん。あれは大宮が一方的に纏わりついてるだけだもん」

 恵の口から突然飛び出した名前に驚いていると、予鈴の音が教室に響いた。結局、宙ぶらりんの話題は後味の悪さだけを残し、三人はそれぞれの席についた。


 それ以来、志穂子は無意識のうちに志乃を目で追うことが多くなった。

 女子と群れることはないが、拒絶しているわけでもない。あの日の朝のように誰かが話しかければ普通に会話もするし、行事ごとでグループを組む時も、適当に人数の合わないところへ上手くもぐりこんでいた。しなやかな人だと、志穂子は思う。突っ張っるでもなく媚びるでもなく、飄々と高校生活を送っていた。

 確かに観察していると、女子よりも男子と話す機会が圧倒的に多い。それが一部の女子の反感を買っているのだろうかと、勝手に想像してみる。まったくクラスの動向に興味のない志穂子には、知る由もなかったし別にどうでも良かったけれど。

 ――金澤も大宮に対してはまんざらでもなさそうだしね。

 不意に、恵の声が脳内に響く。志乃も圭介のことが好きなのだろうか。そして圭介も志乃を……。

 そこまで考えて、志穂子はふるふると頭を小さく振った。もしそうだとしても志穂子には関係ない。それよりも、志穂子にはもっと大切なことがあるのだ。いよいよ三日後に迫ったその日のことを、彼女はまだ決めかねていた。


   ***


「ちょっと出かけて来る」

 リビングに顔を出すと、志穂子はアイロンがけをしている母にそう声をかけた。

「あら、どこに行くの?」

「本町まで」

 母の問いに、志穂子が短く答える。

「遅くなりそう?」

「ううん。晩ごはんまでには帰って来る」

「そう。和彦さんも六時頃には戻るって言ってたから、それまでには帰ってらっしゃい。今日はハンバーグにするつもりだから」

 母の言葉に小さく頷くと、いってきますと告げて志穂子は家を出た。外に出た瞬間、じっとりとした空気が肌に纏わりついてくる。ここ数日雨が降り続いていたが、今日は梅雨の中休みらしい。けれども湿度は相変わらず高く、薄く日が差す空を志穂子はうんざりと見上げた。


 本町は、このあたりで最も賑やかな市の中心部だ。志穂子の住む町には小さな商店街くらいしか店はなく、ショッピングをするのに殆どの人は電車で三十分程の場所にある本町まで出て来るのだ。

 駅と直結したショッピングモールに入ると、そこは外の蒸し暑さとは対照的にひんやりと冷房が効いていた。軽快な音楽が流れる店内で、たくさんの人たちが楽しそうに買い物を楽しんでいる。志穂子は迷うことなく、一階にある季節の商品を取り扱っているコーナーへと向かった。春にはお弁当箱や文房具用品が並べられていたその場所には、今は落ち着いた色合いの商品が陳列され、所々に青いリボンがかけられた箱がディスプレイされている。志穂子は手近にあった商品をそっと手に取った。けれども小さく嘆息すると、すぐにそれを元の棚に戻した。


「志穂?」

 不意に、背後から名前を呼ばれる。驚いて志穂子が振り返ると、そこには恵が立っていた。

「びっくりした。偶然だね」

「後ろ姿が志穂に似てるなあと思ってたんだ。ひとり?」

「うん。恵は?」

「姉ちゃんと夏服を見に来てたんだけど、彼氏から電話があって行っちゃった。自分から誘っておいて、最低だよアイツ」

 そう言うと、恵は大袈裟に肩を怒らせる。

「お姉ちゃんって、いくつ?」

「ハタチ。最近彼氏ができて、浮かれてるのよ」

 いつも親友の美奈に辛辣な恵だが、実の姉になると更に手厳しい。

「だから千円せしめてやったわ。良かったら一緒にお茶しない?」

 そう言ってにんまりと笑った恵に、志穂子は思わず吹き出した。自分から誘っておいてデートに行く姉も強いが、しっかりそこで千円を要求する妹も強かだ。きっとそっくりな姉妹だろうなと思いながら笑っていると、恵が何よと言って不服そうに口を尖らせた。


「志穂は何しに来たの?」

 そう言って、恵はぐるりと周りを見回した。

「え……と……」

 志穂子は思わず口籠もる。別に隠す必要はないのに、何故か言葉がすんなり出てこなかった。

「もしかして、父の日のプレゼント?」

 恵は、志穂子が立つ棚の向こう側のコーナーを見やりながら尋ねてきた。ディスプレイ用の青いリボンのかけられた箱には、“お父さんありがとう”とか“THANK YOU FOR FATHER”などと書かれたカードが挟まれている。

「や、ちょっと見てただけ……」

「なーんだ。志穂は毎年あげてるのかと思った」

「幼稚園の頃は似顔絵とかあげたけど」

 幼い志穂子が描いた下手くそな似顔絵を、喜んで母に見せびらかしていた亡き父。断片的な記憶を脳裏に浮かべながら志穂子が答えると、恵が懐かしそうに同調した。

「ああ、そういうのプレゼントしたね。粘土で作った灰皿とか、肩たたき券とか。でも、父親の欲しいものなんかわかんないし、第一お小遣いも少ないのにプレゼントなんてあげられないし、ここ数年我が家で父の日はスルーだわ」

 そう言って、あっけらかんと恵が笑う。そういうものかと思いながら、志穂子はエスカレーターの方へ歩き出した恵のあとに続いた。

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