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イトコノコ  作者: キヨモ
27/33

そして自覚 5

 冬の夜は静かだ。

 閑静な住宅街であるこのあたりは夜になると車の通りも減り、隣家では老夫婦が静かに暮らしているので殆ど物音がしない。音のない自分の部屋で、志穂子は背中から伝わる志乃の手の温もりを感じながら机の上のフォトフレームにそっと目をやった。


「さっきね、お母さんと和彦さんがお似合いって言ったでしょ?」

 どれほどの間ふたりは押し黙っていただろうか。長い沈黙のあと、ようやく覚悟を決めたように志穂子がゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「夏までのわたしは、そんな言葉を口にすることはできなかった」

 志穂子の背中を撫ぜる手を止めて、志乃が真っ直ぐに見つめてくる。そんな志乃の視線を感じながら、志穂子は更に言葉を繋いだ。

「和彦さんはすごく良い人だし、ふたりがお似合いだとも思っていた。だけど、死んだお父さんだって優しかったし、お父さんとお母さんはすごくお似合いだった。夏までのわたしはいつも、そんなことをぐるぐる考えていたの」

 受け入れたつもりでいたのに気持ちは追いついていなくて、どんどんと思考が迷路に入っていった。

「でも彼が、わたしのもつれた気持ちをほどいてくれた……」

 あの夏の終わりに感じた、圭介の熱い背中とひんやりとした夜風を思い出しながら、志穂子はそう呟いた。

「そっか」

 志穂子が語る漠然とした内容を詮索することなく、志乃はただ小さく頷いた。


「お父さんの名前はね、志朗って言うんだ」

 何となく志乃に聞いて欲しくなって、こちらに向かって笑いかけている写真を眺めながら志穂子はぽつりと言った。この家に越して来てからずっと志穂子の机の中にしまわれていた写真は、夏以降、志穂子の机の上でその笑顔を見せている。

「お母さんの名前は美穂子で、ふたりの子供だからわたしは志穂子。二文字の方が呼びやすいのか友達も親戚もみんな志穂って呼ぶけど、お母さんも叱る時や真面目な話をする時以外は志穂って呼ぶんだけど、お父さんだけはいつも志穂子って呼んでいたの。志穂子ちゃんだったりたまに志穂子さんって呼ばれたりもしたけど、それがくすぐったくてわたしはお父さんからそう呼ばれるのが好きだった」

「あの写真がお父さん?」

 志乃が机の上のフォトフレームを見つめながら問いかける。志穂子は小さく頷いた。

「そんなこと知らない筈なのにね、彼はわたしを志穂子って呼んでくれるの」

 圭介に名前を呼ばれた回数はさほど多くはないと思う。あんたと呼ばれたりすることもあるけれど、たまに志穂子と呼ばれると、照れくささと嬉しさがないまぜになって心がどこか落ち着かなくなる。

「だけどわたしは彼を、どう呼んだら良いのかわからない。呼びかけて良いのかもわからない。たまたまいとこになった彼との距離感が、わたしにはわからないの」

 家族の間では当然名前で呼ぶが、クラスメイトとの間で話題にする時は苗字で呼ぶ。けれども志穂子は、圭介本人に向かって未だにその名前を呼んだことがなかった。あまり男子と話すことのない志穂子にとって名前を呼ぶことは緊張するし、馴れ馴れしいと思われるのも怖い。それ以前に、ふたりの会話は偶然出くわしたから何となく交わされたものばかりで、志穂子から呼びかける機会がそもそもないのだ。


「志穂は、圭介のことが好きなんだね」

 黙って耳を傾けていた志乃が、やがて確認するように言った。

 自覚していたけれど、改めて誰かに言葉にされると恥ずかしい。志穂子は耐え切れず、体育座りをしている自分の膝に顔を埋めながら消え入るような声で呟いた。

「……うん、好き」

 自分の気持ちをはじめて言葉にのせる。自分が発した言葉を自分の耳で聞き、圭介のことが好きなんだと志穂子は心の奥から実感した。

「志穂は不器用だね」

 そんな志穂子の様子に、少し呆れたように志乃が笑う。

「せっかくいとこなんだから、余計なこと考えずに普通に話しかけたら良いじゃない。いくらでも口実作って、会いに行けば良いじゃない」

「そんなこと、できるわけない」

 壁にもたれて足を投げ出しながらあっけらかんと言う志乃に、志穂子は弱々しく抵抗した。

「じゃあ、告白もしないつもりなの?」

 考えてもみなかった質問に、志穂子は思わず絶句する。体温が一気に上昇するのを感じた。

「志穂、耳まで真っ赤だよ」

 赤く染まった志穂子の耳たぶをつまみながら、志乃が笑う。

「もう、からかわないでよ」

「別にからかってないよ。せっかくの縁なんだから利用してガンガンいかなきゃ。想いはちゃんと伝えないと、いつまでも関係は変わらないよ」

 志乃の言うことは、恋する女子高生として正しい姿なのだろう。けれども志穂子は、自分にそれができるとは到底思えなかった。


「そんなの、怖いよ」

 志穂子は消え入るような声で呟いた。告白して断られたあとのことを想像するといたたまれなくなる。血が繋がらないとは言え親戚というカテゴリーに属し、親同士は仲が良い。振られたあとにまったく関わらないで済むのなら思い切って告白もできるかも知れないが、今後も関わりを切ることができない間柄で、断られたあとに気を使いながら親戚付き合いを続けられる自信は正直あまりない。何よりもその状況は、相手に申し訳なさすぎる。

 それならば、今のままの距離でいる方が良いと志穂子は思った。これ以上近づくことはないけれど、離れることもない。自分でもずるいとは思うけれど、志穂子と話す時とはまったく異なる表情で冗談を言ったり笑ったりする圭介の姿を間近で見てしまうと、告白なんて大それたことを考える勇気さえ湧いてこなかった。

「まあ確かに、それはそうだね」

 志穂子の言い分に、志乃は一応納得の表情を見せる。

「でもね、そう言ってもいつか気持ちが溢れて、どうしても想いを告げずにいられなくなる時がくるよ」

 まるで預言者のように、志乃はきっぱりと断言した。


「それは……」

 志乃がそうだったのだろうか。志穂子はちらりと志乃を見やった。

「経験談」

 言い淀んだ志穂子の言葉の続きを読み取った志乃が、にやりと笑って肯定する。

「物心ついたときから祐兄のことが好きでずっと公言してたけど、祐兄も周囲の人たちもませた子供の憧れくらいにしか思っていなくて。好きだと言えば言う程にわたしの好きという気持ちが薄っぺらなものになるような気がして、だからずっと封印していたの。祐兄に彼女ができても、わたしが大人になれば彼女になれると根拠もなく信じていて、少しでも大人ぽく見えるようにと外見のことばかり気にしてた」

 志乃の想いは文化祭のあとに聞いていたが、失恋話を根掘り葉掘り聞くのは躊躇われて志穂子の方からは何も詳しく尋ねていない。

「大人になればってずっと言い聞かせていたけど、結局は大人になるまでの猶予を与えてもらえなかった。就職を決めた祐兄の配属先が県外になり、わたしが中学校に入学する前に祐兄はこの町を出てしまった」

 志穂子は家族で金澤家に年始の挨拶に言った時に、ちょうど帰省していた祐介に婚約者を正式に紹介してもらった。文化祭で会った時は大人しそうに見えたが実はおしゃべりで、高校の頃から付き合っているという祐介とのやりとりは夫婦漫才を見ているようだった。

 男兄弟しかいないから女の子と親戚になれて嬉しいと言ってくれた彼女はすごく気さくな人で、祐介ともすごくお似合いで。とてもおめでたいことなのに、けれども志乃のことを考えると志穂子は胸が痛かった。


「去年くらいから近々結婚するだろうという噂はうちの親からも聞かされていて、そんな人に想いを告げるなんて相手にしたら迷惑だと思ってた。そんなの自己満足だってわかってた。だからちゃんと諦めようと決めていたのに、文化祭で偶然会って、昔の担任に結婚の報告しに来たんだって聞かされたら無理だと悟ったの。もうずっと長いこと好きという気持ちを抱え込み過ぎて、ちゃんと告げなきゃ先に進めないって思った。子供だったけど、ちゃんと本気だったんだよってどうしても知って欲しかったの」

 先程までは志乃が志穂子の背中を優しく撫ぜていたのに、いつしか志穂子が志乃の背中に手をやっていた。長い片想いを終わらせた志乃にかける言葉が見つからなくて、志穂子は哀しい気持ちが優しい思い出に変われば良いと願いながら、ただ黙って志乃の背中を撫ぜた。

「祐兄には迷惑だっただろうけど、でもわたし、後悔してないよ」

 やがて志乃が、きっぱりと言い放つ。ああ強いなと、志穂子は羨望の眼差しで友を見つめた。



「圭介がね、ずっと悩んでたらしいのよ」

 志穂子と志乃は体育座りで小さくなって恋の打ち明け話をしていたが、もはやふたりとも壁にもたれて足を投げ出して座っている。圭介の名前に小さく心臓が跳ねるのを感じながら、志穂子は志乃の言葉に耳を傾けた。

「圭介と太一は子供の頃からわたしが祐兄を好きなのを知っていたから、どのタイミングでわたしに祐兄の結婚話を打ち明けようか相談してたんだって」

 そう言って、志乃が苦笑いを浮かべる。

「わたしが未だに本気で祐兄を想っているとは、さすがにふたりとも予想してなかったみたいだけど。でも小さい頃からずっと祐兄のお嫁さんになるって豪語してたから、多少ショックを受けると思って言い出せなかったらしくてね。太一は早く言えって圭介を急かしていたみたいだけどなかなか言えずにいて、結局文化祭の日に偶然会った祐兄から直接聞かされてさ。昼間は怒涛の忙しさで落ち込む暇もなかったけど、祭りが終わると急に悲しくなってきてね。偶然ゴミ捨て場で会った圭介に、何で早く教えてくれなかったのかと噛みついちゃった。圭介は何も悪くないのに、玉砕したわたしの慰め役までやらせたんだからねひどいよね」

 苦笑いを浮かべる志乃の隣で、志穂子は祐介の婚約が決まった時期を思い出す。確か二学期が始まってすぐの頃に母から聞かされたと記憶している。夏休み最後の日、圭介に迷惑をかけたお詫びに金澤家へマドレーヌを持って行った時に祐介に会ったのだが、それが結婚報告の為の帰省だったと母が話していた筈だ。

 夏の終わりから十月最後の日曜日まで、圭介はずっと志乃の気持ちを思ってその事実を言い出せなかったのか。そう思うと、志穂子の胸がちくんと痛んだ。


「志穂は、本当に圭介が好きなんだね」

 すると、志穂子の横顔をじっと観察していた志乃がしみじみと言った。

「な、何よ突然」

 志乃のストレートな言葉に頬が赤く染まるのを感じながら、顔を隠すように志穂子が返す。

「あの時もちょっと怪しいと思ったんだけどさ。わたしも鈍いよね」

「ちょっと、全然言ってる意味がわからないんですけど」

 ひとりで納得したようににやにや笑う志乃の言葉の意味が読み取れず、けれども嫌な予感がして志穂子は威嚇するように小さく睨んだ。

「志穂が、わたしと圭介が付き合っていると誤解してた時のこと。何とも思ってなければ、わたしと圭介が付き合っていても別にそうなんだで済む話じゃん」

「それは、わたしが志乃を一方的に友達だと思ってたから、大切なことを打ち明けてもらえないと勝手にショックを受けただけで、そういうのとは違うもん」

「うん。そう思ってくれていたのはすごく嬉しかった。でも、それだけじゃないでしょう?」

 本当は、志穂子も最近うっすらと気づいていた。あの時は志乃のことばかり考えていたけれど、心の奥底に感じた痛みは果たしてそれだけが原因と言えるのかと。

「現に今も、わたしに嫉妬してたしね」

 考え込んだ志穂子の額を指で突くと、志乃が悪戯っぽく笑った。

「そんなこと……」

「ない?」

 すべてお見通しだったことが恥ずかしくて、思わず志穂子は反論する。けれどもそれすらも丸わかりなんだろうなと思うと、志穂子は思わず苦笑いを浮かべた。

「……ある」

 やがて観念したかのように小さく肯定すると、志乃はくすりと笑った。

「だってしょうがないじゃない。志乃や加藤くんや、星田くんや照井くんも、みんな仲良くて冗談が言い合えて、わたしは気の利いたことが言えなくていつも会話は短いし。彼のことは殆ど何も知らないから、長い時間を一緒に過ごしてわかり合えている志乃が羨ましくて仕方なかったんだ」

「志穂、可愛い」

 開き直った志穂子はどう考えても嫉妬まみれで可愛いには程遠いと思えたが、意外にも志乃はそう言って笑った。

「時間じゃないよ。志穂は志穂のペースで、少しずつ近づく努力をしたら良いよ」

「……うん」

「わたしは自分の気持ちを聞いてもらうばっかりで、圭介から好きな人の話を聞いたことはないけど。だから無責任なことは言えないんだけど、でも志穂と圭介が上手くいけば良いなって心から思ってるよ」

 志乃の言葉があまりにも真摯で、志穂子は照れくささと嬉しさが込み上げる。

「ありがと」

 志乃の言うとおり、自分のペースで少しだけ頑張ってみようかと志穂子は思った。 いつもより一言だけ多く会話をしてみるとか、そんな些細なことしかできないと思うけど、真正面から自分の恋に向き合った志乃を見ていたら逃げ腰ばかりはかっこ悪いと思えてくる。

 きっかけは自分の迂闊な言葉だったけど、結果として自分の気持ちが志乃にばれて良かったなと志穂子は思った。




 ひとりで密やかにと抱えてきた恋心を打ち明ければ少し気持ちも落ち着いて、やがて睡魔を感じてきた。チェストの上の時計を見やれば、すでに日付を越えている。

「そろそろ寝ようか」

「そだね」

 志穂子がそう言うと、欠伸をしながら頷いた志乃がベッドを下りる。


「そうだ」

 そこで、ふと思い出したように志乃が言った。

「ずっと聞こうと思ってたんだけどさ、わたしのゴミ捨て場での醜態は志穂しか見てないよね?」

 希望を込めたその問いに、志穂子はぎくりと固まる。

「もしかして、他に誰かいたの?」

 志穂子の正直すぎる反応に、志乃が恐る恐る尋ねてくる。別に志穂子たちだって覗き見したわけではないのだが、志乃の羞恥も分かるので言い出しにくい。 見ず知らずの人に見られるのならまだしも、無駄に近しい間柄なのが余計にやっかいだ。けれども隠しても仕方がないので、志穂子はそっとその人の名前を口にした。

「えっと、偶然会った吉本先輩が……」

 その言葉に、じっと固まったまま志穂子の目を見つめ返す。

「……最悪」

 やがて志乃は小さな呻き声をあげると、そのまま力なく布団へ突っ伏した。

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