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イトコノコ  作者: キヨモ
25/33

そして自覚 3

「志穂、起きなさい。もうすぐ着くわよ」

 ガタンゴトンと規則的に揺れる中で、志穂子の意識もふわふわと揺れている。ぼんやりと覚醒しながら目をこすると、いつの間にか母の肩に頭を預けて眠っていたことに気づく。

「ほら、コート着て。和彦さんが駅まで迎えに来てくれてるみたいだから」

 母がそう言うと同時に、間もなく電車が志穂子たちの降車駅に到着するというアナウンスが流れた。


「さむ……」

 薄闇に包まれたホームに降り立つと、思わず志穂子は呟いた。同時に吐き出された息が白く染まる。

「天気予報で言ってたとおりね」

 少し疲れたように、隣で母が志穂子のつぶやきを拾った。昨晩見たニュースでは、強い寒気が近づいているので真冬並みの気温になるだろうと気象予報士が説明していた。

 志穂子はマフラーをしっかり口元まで巻きつけると、母と共に改札に向かって歩き出した。ゆっくりと走り出した列車が志穂子たちを追い越し、夜の闇の中に消えてゆく。コートのポケットの中の切符を探りながら、志穂子はそっと息を吐いた。

 志穂子は一年の中で、この季節が一番苦手だ。


 改札を抜けて外へ出ると、駅前のロータリーに見慣れた車が停まっていた。志穂子たちに気づくと、運転席のその人は車から降りて志穂子たちに軽く手を振った。

「和彦さん」

 彼の姿を認めた瞬間、思わず名前を呼ぶ。そこには無意識のうちに安堵の色が滲んでいて、そのことに志穂子自身が少し驚いた。

「おかえり。寒かっただろう? さあ、早く乗った乗った」

 母は助手席に、志穂子が後部座席に乗り込むと、エンジンをかけてバックミラーを確認した和彦がゆっくりと車を発進させた。

「ありがとう、迎えに来てくれて」

「もう夕飯の支度もできてるよ。今晩は鍋だ」

 得意気に言う和彦が可愛らしくて、思わず志穂子と母は顔を見合わせてくすりと笑った。

「ねえ和彦さん、何鍋?」

 後部座席から身を乗り出して、志穂子が尋ねる。

「今日は水炊き」

「やった!」

 思わず歓声をあげる。先日、隣家からお土産に貰ったぽん酢が美味しくて、最近の藤原家のブームはぽん酢を使う料理なのだ。


「そう言えば、明日の朝ごはんも何か買って来てくれた?」

 車が赤信号で停車した時、ふと思い出したように母が言った。

「いや、水炊きの具材しか買ってない」

「あらやだ、今朝パンを食べ切ったのよね。ご飯にするにしてもおかずがないし」

「じゃあ、途中でスーパーに寄ろうか。やっぱり男は駄目だね。一食のメニューで頭がいっぱいで、次の日のことなんて考えていなかったよ」

 先程まで得意気だった和彦の顔がしょんぼりしていて、何だか子供みたいだと志穂子は可笑しくなった。

「スーパーの前で降ろしてくれたら、わたし買って帰るよ」

「買って帰るって、帰りはひとりってこと? 駄目だよ、車停めて三人で行くから」

 志穂子がそう言うと、和彦はあっさり却下して右にウィンカーを出した。家の方向はこのまま直進なのだが、スーパーは右手に位置している。

「だってあそこのスーパーの駐車場は停めにくいって言ってたでしょ? どうせ家まですぐだし、和彦さんとお母さんは先に帰ってお鍋温めておいてよ」

「そうね、その方が要領が良いかも。志穂が帰ったらすぐ食べられるように準備しとくわ」

 母娘で話がつくと、和彦は悪いねと言って苦笑した。

「その代わり、デザートにプリン買っても良い?」

 母が財布から出した千円札を受け取ると、志穂子は悪戯っぽく笑いながら尋ねてみる。

「まあ、志穂ったらそれが目的なのね」

「だって、お鍋のあとって無性に甘いものが食べたくなるじゃない?」

「確かに。じゃあお母さんは、なめらかプリンで」

 やがて前方にスーパーの看板が見えてくる。ゆっくり速度を落とすと、和彦は入口の手前で車を停めた。

「和彦さんは焼きプリン?」

 ドアを開けながら志穂子が尋ねると、和彦は少し驚いた顔をして頷いた。一緒に暮らすようになって半年以上が過ぎ、少しずつ互いの嗜好が分かるようになってきた。志穂子を降ろして去って行く車を見送ると、彼女は煌々とした明かりが照らす店内へと足早に入って行った。



 朝食用の食パンと三個のプリンを手早く選ぶと、志穂子はレジで精算を済ませる。出口に向かって歩き出したその時、ふと隣のレジで会計を済ませたばかりの人物と目が合った。

「こ、こんばんは」

「おう」

 そこに居たのは、志穂子の姿を見つけて少し驚いた顔をしている圭介だった。ぎこちなく挨拶の言葉をかけると、志穂子の無口ないとこは挨拶とも呼べない短い返事を返してくる。ふたりとも買い物を済ませているので、何となく流れで一緒に店を出た。

「買い物?」

「ああ。そっちも?」

 志穂子は小さく尋ねる。スーパーのレジでお金を払っているのを見ておいてその質問はないだろうと心の中で突っ込みを入れながら、けれども他に気の利いたことが思い浮かばないのだから仕方がない。

「チャリ?」

「ううん、歩き」

 短い問いに、短く答える。圭介はきっと自転車だろう。志穂子の家まではここから歩いて十分もかからないが、圭介の家は方向が違うので少し距離がある。

「もう暗いし送る。そこで待ってて」

 けれど、またねと言いかけた志穂子に対してかけられたのは、予想もしない言葉だった。一瞬意味がわからず戸惑っているうちに、圭介は入口脇の駐輪場に小走りに向かって行く。

「乗れよ」

 一番手前にあった自転車を押して志穂子の目の前に戻って来た圭介は、ぶっきらぼうに彼女を促した。

「いいよ。遠回りになるし、悪いよ」

「大した距離じゃないから」

 日暮れが早いのであたりは真っ暗だが、時間はさして遅くない。だけど、いつにもまして強引な圭介の申し出を無下にすることも躊躇われ、志穂子はそっと自転車の荷台に腰かけた。


 夜の闇の中を、ゆっくりと自転車が走り出す。ヘッドライトを点けた車がふたりを追い抜いて行く。

「さっきまでほっしーとテルが遊びに来てて、駅まで送りに行ってた」

 黙って自転車をこいでいた圭介が、不意に口を開いた。クラスが違う割に仲が良いのは知っていたが、家に遊びに来る程とは知らなくて志穂子は内心驚く。

「カラオケに行きたかったって、延々愚痴ってた」

「ああ。美奈が割引券貰ったからって企画してくれたんだけど、女子が対象だったみたいで男子は誘えなかったらしいの。だから冬休みにクラスみんなでもう一回やろうかって話が出てるみたいだから、その時は星田くんと照井くんにも声がかかるよ」

 美奈にすげなく断られて肩を落としていたふたりを志穂子も見ていたが、そんなに参加したかったのかと少し同情する。ただ今回は急に決まったので行けなかった人も多いらしく、冬休みにもやろうという話が出ているそうだ。それを聞けば、ふたりはきっと大喜びするだろう。

「E組、仲良いな」

「うん、文化祭で結束したかな。今日はわたしも用事で参加できなかったから、冬休みが楽しみかも」

 カラオケは正直苦手だけれども、みんなでわいわい騒ぐのはきっと楽しいだろう。


 十字路を左へ曲がると、いきなり風が強く吹き抜けた。思わず志穂子は身を縮める。

「寒いな」

「うん、寒いね」

 それっきり、ふたりの間に沈黙が落ちる。圭介がこぐ規則正しいペダルの音だけが聞こえてくる。それは、あの夏の日と同じ情景だった。

 けれども時間は確実に流れている。夏が終わり、秋も過ぎ、季節は冬を迎えようとしていた。そして時間の経過と共に、志穂子の周囲も志穂子自身も、少しずつ変化していた。

「わたし、この季節が一番嫌いだった」

 やがて志穂子は、圭介の背中に向かってぽつりと呟いた。

「太陽は早く沈むし、風は冷たいし。秋と冬の間の季節は、どこか物悲しくて寂しくて、昔からずっと苦手だった」

「うん」

 特に今日という日は、一年の中で一番哀しい日だ。以前志穂子が住んでいた町から更に先の、父方の祖父母が住んでいる町に眠っている父に会いに行った帰りは、どうしようもなく心寂しい気持ちになる。帰りの電車を降りた時の冷たい空気も、家の扉を開けた時の暗闇も、志穂子は大嫌いだった。

 けれども今日は、日暮れのホームに降り立った時は確かに心細さを感じたのだけれど、駅を出て迎えに来てくれた和彦の姿を見つけたらほっとしたのだ。志穂子と母には和彦がいる。心の中には、ずっと変わらず父もいる。


「冷え切った空気の中を走るのが、俺は好きだ」

 黙って志穂子の話を聞いていた圭介が、やがてぼそりとひとりごとのように言った。

「冬の朝とか、冬の夜とか。空気が冷えてると身が締まる感じがして、俺は冬が一番好きだ」

 圭介の言葉に、志穂子は彼が走る姿を想像してみる。実際に彼が走るところを見たことはないけれど、毅然とした空気を纏う圭介に冬の凛とした空気は似合うと志穂子は思った。

「志穂子も、冬の好きなところをひとつ見つければ良いさ」

「え?」

「さっき、“嫌いだった”と過去形だった。どこか好きなところを見つければ、それが“嫌いじゃない”になるんじゃないか?」

 無口ないとこは、けれども人の話にしっかりと耳を傾けてくれている。微妙な言い回しは志穂子の心境の変化そのままなのだが、何も知らない筈の彼はしっかりとそこに気づいていた。

「今日の晩ごはんはね、和彦さん特製の水炊きなの」

「へえ、鍋か。良いな」

「寒いのは苦手だけど、寒い日に食べるお鍋は好きだよ」

 志穂子がそう言うと、圭介がふっと笑った。何となく志穂子も嬉しくなって小さく笑う。


 あの夏の終わりから、少しずつ志穂子は変わった。和彦と向き合い、クラスメイトと向き合い、少しずつ自分の居場所を確立していった。

 その支えになったのはあの日の圭介の言葉だったと、彼の背中を見つめながら志穂子は思う。決して饒舌ではない彼が、訥々と語った言葉。充分みっともないところを見せたのであれ以来彼に弱音を吐くのは避けたが、弱音を吐いて良いと言ってくれる人がいるのは志穂子にとって大きかった。だからこそ、彼に大丈夫だとわかってもらえるように頑張ろうと思えた。

「ありがとう」

 志穂子は囁くように告げた。お礼の言葉と共に、夜の空気が白く染まる。

「何が?」

「送ってくれて、ありがとう」

 圭介は軽く頷いただけで、何も言わなかった。やがて自転車は、志穂子の家の前にとまる。家の中からは、オレンジ色の明かりが漏れていた。

「上がっていく?」

「いや、いい。叔父さんと叔母さんによろしく」

 そう言うと、圭介は左足で地面を蹴ってもと来た道を走り出した。

「気をつけてね」

「ああ」

 志穂子は圭介の後ろ姿が、街灯が仄かに照らす夜道に消えてゆくまでじっと見送っていた。



「ただいま」

 玄関のドアを開けると、家の中には暖かな空気が満ちていた。志穂子はほっと息を吐く。

「あら、早かったじゃない」

 キッチンに居た母にスーパーの袋を手渡すと、志穂子はコートを脱いだ。

「偶然スーパーで圭介くんに会って、自転車で送ってもらった」

「あら、そうなの。じゃあ、上がってもらったら良かったのに」

「そう言ったんだけど、帰るって。向こうも晩ごはんの時間だからかな」

 志穂子がそう答えると、残念そうにしていた母も納得したようだ。

「そう言えば、久しぶりに姉さんちに昼飯食べに行ったんだけど、圭介の友達が来てたな。もしかしたら、志穂ちゃんも知ってる子たちかな」

 リビングに居た和彦が、母娘の会話に加わってくる。その内容に、志穂子は驚いて和彦を見やった。

「和彦さん、お昼に圭介くんに会ってたの?」


 きっと圭介は、今日が志穂子にとってどんな日か知ったのだろう。そう志穂子は確信した。だから志穂子を気遣って、家まで送ってくれたに違いない。

 志穂子はそっと、先程の会話を思い起こす。夏の終わりの日の会話も、文化祭前の会話も、殆ど言葉を交わすことのない圭介との会話はすべて鮮明に覚えている。とくりと、心臓が音をたてる。

 冬の好きなところをひとつ見つければ良いと、圭介は言った。先程は冗談半分で寒い日のお鍋が好きだと答えたけれど、志穂子は冬の好きなところを見つけてしまった。その瞬間、体温が上がる。冷え切っていた指先までもが、ほんのりと赤く染まっていた。


 ――わたしは、彼のことが好きなのだ。


 ようやく志穂子は自分の気持ちに気がついた。

 冬のはじめは、志穂子が圭介への恋心を自覚した季節となった。

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