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イトコノコ  作者: キヨモ
19/33

無神経の代償 6

「志穂子、いい加減に起きなさい」

 ふわふわとしたまどろみの中、母の声で目が覚めた。無理矢理に瞼をこじ開けてベッドサイドのチェストの上に置かれた時計を見ると、デジタル時計の数字は十一時を示している。大概の休みの日は朝寝坊をするが、今日は少し寝過ぎたようだ。これ以上だらだらしていたら母の機嫌が悪くなるなと思いながら、志穂子は布団の中で大きく伸びをして起き上った。

 カーテンを開けると、太陽の位置は真上に近い。今日も暑そうだなと思いながら、クローゼットを開けてシャツワンピースを取り出した。


「おそよう」

 顔を洗ってリビングに入ると、キッチンから母が声をかけてきた。子供の頃から志穂子が朝寝坊すると、母は決まってこう言うのだ。

「まだ午前だから“おはよう”だもん」

「何言ってるの、もうお昼よ。せっかく良い天気なのにいつまでもぐうぐう寝て」

「だって眠いんだもん」

 何も予定のない休日に決まって母娘の間で繰り返される会話を今日も交わし、志穂子は何かを作っている母の手元を覗いた。

「あ、焼きそばだ!」

「そうよ。野菜が中途半端に残っていたからね」

 週末の昼食は簡単なメニューが多い。夏の間はヘビーローテーションでそうめんが登場していたのだが、さすがに飽きたので違うメニューは嬉しい。野菜に火が通ったのを確認し、母がソースをかけて混ぜ合わせる。キッチンに食欲をそそる匂いが充満し、志穂子は急激に空腹を感じた。

「さあ、できた。志穂、お皿を取って頂戴」

「はあい。そう言えば和彦さんは?」

「今日は同窓会よ。志穂ちゃんが、ぐっすり熟睡している間に出かけて行きました」

 すました顔の母にあっさりとそう言われ、数日前の夕食時に和彦が高校の同窓会に出席すると話していたことを思い出す。志穂子は藪蛇だったと思いながら、二枚の皿を手渡した。


「あ、ちょっと待って」

 口を尖らせながら志穂子が盛りつけられた皿をテーブルに運ぼうとすると、慌てて母が制した。

「今日はちょっとだけ豪華にね」

 そう言いながら、先程まで焼きそばを作っていたフライパンを手早く洗って再びコンロにかける。それから戸棚を開けて何かを取り出した。

「あー、目玉焼き機だ!」

 母の手にある物を見た志穂子が歓声をあげる。

「懐かしいでしょ?」

 その様子に満足気な笑みを浮かべると、母は冷蔵庫から卵を二個取り出した。

「すごい。どこにあったの?」

「昨日掃除してたら、引越しの時に整理し忘れていたダンボールを見つけてね。その中にあったの」

「この家に持って来てたんだね。もうとっくに捨てたんだと思ってた」

「お母さんも。普段使わない物を袋にまとめていたんだけど、袋ごと捨てずにダンボールに詰めてたみたい」


 志穂子は思わず子供の頃の癖で“目玉焼き機”と呼んだが、実際はそんなたいそうなものではない。単なる円形の金属の型だ。型の中に卵を割り入れると、レストランのハンバーグの上の目玉焼きのように綺麗な形に仕上がるのだ。

「小学校の時はよく使ってたよね」

「だって志穂がすぐに、まんまる目玉焼きしてって言うんだもん」

 そう言ってくすくす笑いながら薄く油をひいたフライパンの上に型を置くと、母はそろりと卵を割り入れた。透明の白身に火が通り、すぐに白へと色が変わる。志穂子は子供の頃と同じように、わくわくしながらその様子を眺めていた。


「いただきまーす」

 中央に目玉焼きが鎮座した焼きそばに向かって手を合わせると、志穂子は鮮やかな色の黄身の部分に箸を入れた。その瞬間、半熟の黄身がとろりと流れ出る。

「おいしい!」

「当然でしょ。誰が作ったと思ってるの」

 思わず志穂子がそう漏らすと、母が得意気に胸を張った。


「そうそう、ビッグニュースがあったんだ。今度祐くん結婚するんだって!」

「へ?」

 焼きそばを食べながら母娘で他愛のない会話を繰り広げていると、不意に思い出したように母が言った。けれどもその内容はあまりにも唐突で、志穂子は一瞬誰のことかと箸を止めて頭を巡らせる。

「祐くんよ、金澤さん家の。圭くんのお兄ちゃんの祐くんが、来年の春に結婚するんだって」

 おめでたいわねえと、にこにこ嬉しそうに話す母の言葉に、志穂子は先日会ったばかりの祐介の姿を思い浮かべた。

「そうなんだ。わたしこの前会ったよ。マドレーヌ持って行った時に」

「どうやらその時、結婚の報告をする為に帰省してたみたいよ。お相手は高校時代の同級生なんだって」

 きっとその情報源は、和彦ではなく伯母だろうと志穂子は予想した。母と伯母は気が合うようで、店が休みの日はたまにふたりでランチに行っているらしい。

「祐くん優しそうだし、良い旦那さんになりそうね」

 母の言葉に、志穂子は気さくな祐介の様子を思い出しながら大きく頷いた。


「そう言えば、文化祭で志穂のクラスはお好み焼き屋さんやるのよね? 金澤の伯父さんに弟子入りして、美味しいお好み焼きの作り方を伝授してもらえば?」

 金澤家の話題から思い出したのだろう。食事を終えて皿をシンクに運び始めた母の冗談に、志穂は先日のクラスメイトの言葉を思い出した。

 彼女たちの様子からすると、校内における吉本光の人気は相当のようだ。彼の口調から文化祭に相当力を入れているのは間違いないし、強いリーダーシップを発揮してクラス一丸で臨んで来るのだろう。同じジャンルの出し物は近くにならないように出店場所は考慮されるとのことだが、今のままでは光のクラスに話題をすべてさらわれてしまうに違いない。

 別に志穂子は彼やクラスメイトの女子たちのように文化祭に強い思い入れがあるわけではないし、くじ引きで決められた委員でそこまで責任を押し付けられる謂れもないと思う。だけど、と思いながら志穂子は皿を洗う手を止めた。高校の文化祭がどんなものなのか興味はあるし、できればそれを楽しみたいという気持ちだってあるのだ。

「楽しそうだなあ、文化祭。お母さんも遊びに行こうかな」

 本気とも冗談ともつかない口調で母はそう言うと、あとはお願いねと志穂子の肩を叩いて二階に上がって行った。きっとこれから掃除機をかけるのだろう。


(何か対策をと言われてもなあ……)

 残された志穂子は小さく溜息をつくと、再び皿を洗い始める。普通に考えて、話題性があるクラスへ客が流れるのは当然だろう。女子生徒がきゃあきゃあ騒いでいる時点で、光のクラスに敵う筈もない。味で勝負と言ったって、素人の高校生が見よう見まねで作るものに高いクオリティーを求めるのは無理な話だ。

 あの時、なぜあのくじを引いてしまったのかと不毛なことを考えながら、志穂子は円形の型を手に取った。そして泡のついたスポンジで油汚れを落としてゆく。志穂子が小学生の時に買ってもらったそれは、年季が入っていて所々変色している。確か小学校のバザーで売れ残ったものを母が買い、作ってくれた目玉焼きに志穂子が大喜びしてそれからは母娘の定番となっていたのだ。

 ふと、志穂子の脳裏にアイデアが閃く。手を泡だらけにしたまま、暫し考える。そして慌てて型を水ですすぐと、志穂子は戸棚から小麦粉を取り出した。


   ***


「志穂?」

 いつもと同様に、誰もいない特別棟の裏のベンチで昼食をとり、ぼんやりとしていた志穂子は不意に名前を呼ばれて振り返った。

「やっぱり志穂だ。いつもここでランチしてるの?」

 そう言いながら近寄って来たのは志乃だった。

「うん。静かで落ち着くの」

「そうなんだ。教室にいなかったから、どこに行ったんだろうと思っていたんだよね」

 志乃が志穂子の隣に腰かける。さらりと放たれた志乃の言葉に、志穂子はぎこちなく笑みを返した。

「大宮さんは、いつも食堂?」

「志乃で良いよ」

 美奈や恵と一緒に弁当を食べていた時は、教室で志乃を見た記憶がない。そう思いながら尋ねると、名前を呼ぶようにとあっさり言われた。

「……志乃は、いつもどこでお昼食べてるの?」

「わたしは色々だよ。気分によって中学の時の友達のクラスに行く時もあるし、食堂で食べる日もあるし、今日は普通に教室で食べたしね」

 志乃は、何にも縛られない人なのだ。彼女の話を聞いて志穂子はそう思った。志穂子のように身動きがとれなくなって逃げているわけではなく、誰の目を気にすることなく自分のしたいように行動している。


「さっきの授業で化学室にペンケース忘れちゃってさ。それで取りに来たら、志穂の姿が見えたってわけ。でも、丁度良かったよ」

 なるほどそう言われると、志乃の手には黒のペンケースがあった。けれども、何が丁度良いのかはわからない。志穂子は不思議そうに志乃の顔を見つめた。

「ほら、このあと文化祭の班決めとかしなきゃいけないでしょ。だから今のうちに軽く打ち合わせしておこうよ」

 志乃の言葉に、志穂子はそう言えばそうだと頷いた。先日の文化祭実行委員会で正式に各クラスの出し物が決定し、今日の午後のロングホームルームで班分けをしていよいよ文化祭に向けて動き出すのだ。

「そうだね。とりあえず今やらなきゃいけないのは、看板やチラシの準備と、クラスTシャツの発注かな」

「だね。デザイン関係はハナで、チラシは山ちゃん中心でやってもらえたら良いんだけど」

「そう、なんだ?」

 突然出てきたクラスメイトふたりの名前に、志穂子は戸惑いながら相槌を打った。


「ハナは超絵が上手いからさ。Tシャツのデザインとかもやってくれたら、カッコ良いのができると思うんだよね。で、山ちゃんは字が綺麗だから、チラシとかメニューとか書いてもらえたらなと思っているんだ。ふたりを中心に他のみんなが手伝う形にしたら、上手く流れるかなと思っているんだけど」

「花井さんと山崎さんも、志乃と同じ中学だったの?」

 志乃は誰とでも気さくに話すが、特にふたりと仲が良いわけではない。けれどもふたりの特技について詳しいので、思わず志穂子は尋ねていた。

「ううん。でも、芸術選択がハナと同じ美術だからあの子の絵を見たことあるの。山ちゃんは確か、一学期に書道部で何か賞をもらっていたよね」

「わたし、全然知らなかった……」

「だって、志穂は音楽選択でしょ? 見る機会がなきゃ知らないよ」

 あっけらかんと言い放つ志乃に、志穂子は小さくなった。違うのだ。クラスメイトふたりの特技を知らないだけじゃなく、彼女たちが選択授業で何を選択していたのかすら知らないのだ。

 当たり前のように志穂子の選択科目を知っていた志乃に対し、自分がクラスメイトの誰にも関心を持っていなかったことを志穂子は改めて思い知らされた。


「しっかし、光のアホと同じ出し物なんて最悪だよね」

 昼休みも終わりが近づき、ふたり並んで教室に向かいながら歩いていると、憎々しげに志乃が呟いた。

「吉本先輩とは、知り合いなんだよね?」

「中学時代の先輩。よく考えれば祭り馬鹿のアイツが委員になるのは予想できたのに。くそっ、早まったな」

 そんな志乃のひとりごとに、志穂子はずっと聞きたかったことを思い切って尋ねてみた。

「ねえ。志乃は何であの時、委員に立候補したの?」

 希望ばかりを主張するクラスメイトの意見をまとめ、放課後は委員会に駆り出される。文化祭は楽しみでも、面倒な委員はやりたくないというのが大半の生徒の本音だろう。

「だって、男子が揉めて収拾つかなそうだったじゃない? わたしあの日早く帰りたかったから、あれ以上揉めてホームルームが延びるのが嫌だったんだよね」

 そう言うと、志乃は肩をすくめて笑った。でも、と志穂子が言いかけると、彼女は更に言葉を繋いだ。

「うちの中学って、展示が中心で文化祭があまり盛り上がらなかったの。だから色々できる高校の文化祭は、入学した時からちょっと楽しみだったのよ。だったら、委員になって仕切ってみても良いかなと思ってさ」


「ねえ、志乃」

 志穂子が志乃の名前を呼ぶ。

「何?」

 昼休みの廊下は騒がしい。大声で笑い合う女子のグループや、奇声を上げてじゃれ合っている男子たちの横をすり抜けながら、志乃が志穂子を見やった。

「知名度と人気のある吉本先輩のクラスと同じ出し物だとわたしたちのクラスは圧倒的に不利で、何か話題になるものがないとお客さんをたくさん集めることはできないと思うんだ。だからわたし、ちょっと考えてみたんだけど聞いてくれる?」

「うん、聞かせてよ」

 志穂子の言葉に少し驚いた表情を見せた志乃は、すぐににこりと笑うと大きく頷いた。

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