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イトコノコ  作者: キヨモ
10/33

熱い背中 4

「志穂子!」

 はじめて自分の名を呼んだいとこの声には、苛立ちが滲んでいた。まるで自分を探していたかのような圭介の様子に、志穂子は戸惑う。

 すると圭介は志穂子の腕を掴み、低く行くぞと呟いて駅の外へと引っ張って行った。駅の外に置いていた彼の自転車のところまで行くと、ようやく志穂子の手が解放される。そこでポケットから携帯を取り出し、圭介は誰かに電話をかけ始めた。相手はワンコールで出たのだろう。圭介がすぐに話し始める。

「俺。今、駅で会った」

 通り過ぎる人の話し声や車の音が溢れる中で、志穂子は息を止めてじっと圭介の会話に耳を澄ませた。

「ああ、分かった。すぐに連れて帰るから、叔母さんには安心するように言っといて」

 最後の言葉に、志穂子の体がびくりと固まる。縋るように圭介を見上げると、はじめて視線が交錯した。何を言ったら良いのかわからなくて、志穂子はただじっと圭介を見つめていた。


「あんたが帰って来ないって、叔母さんが心配してうちに来てたんだ。叔父さんも仕事が終わってうちに車で迎えに来てくれるらしいから、これからうちへ行くぞ」

 淡々と説明しながら自転車に鍵を差し込むと、圭介は乗れよと短く言った。けれども、地面に視線を落とした志穂子は動くことができず、左手で自分のスカートをぎゅっと握りしめながら突っ立ったままだった。

「早く乗れよ」

 そう言って圭介は志穂子の右手から傘を取り上げると、柄をハンドルに掛ける。志穂子は仕方なく、のろのろと圭介が跨る自転車の荷台に腰かけた。けれども、どこに手を置いたら良いのかわからず、とりあえずサドルの下あたりをつまんでみた。

「落ちるぞ」

 低く呟かれ、広い背中を前に志穂子は困惑する。

「汗臭いと思うけど、我慢しろよな」

 そう言われてはじめて、シャツの背中にプリントされているアルファベットが志穂子の通う高校の名前だと気づいた。きっと部活から帰ったら母が来ていて、練習で疲れている中を探しに来てくれたのだろう。

 志穂子は遠慮がちに、陸上部の練習用のTシャツの背中に触れた。少し汗ばんだ背中からは、圭介の熱が伝わってきた。



 ゆっくりと自転車をこぎ出した圭介は、うしろに乗せた志穂子を気遣うように、スピードを上げることなくそのまま静かに走り続けた。駅から圭介の家までは、特に坂道もない平坦な道だ。賑やかな駅前の大通りから住宅街へ入ると、秋の虫の鳴き声が聞こえてくる。

 一定のリズムでペダルを踏む圭介は、何も喋らなかった。夏の終わりの夜道に、ただ自転車をこぐ音と虫の声だけが聞こえていた。


「……ごめんなさい」

 やがて、志穂子は圭介の背中に向かって小さく謝罪の言葉を口にした。けれども圭介は反応しない。自転車が風を切る音に紛れて聞こえなかったのだろうか。そう思って志穂子がもう一度口を開きかけた瞬間、圭介の背中が微かに動いた。

「謝る相手は、俺じゃないだろ」

 溜息まじりに言われる。きっと、面倒ないとこができたと思われているに違いないと、志穂子は体を小さくした。高校生にもなって、こんな風に迷惑をかけているのだから。

「ちゃんと皆にも謝る。ごめんなさい」

 消え入るような声でもう一度謝ると、圭介は大きく息を吐いただけで何も言わなかった。


「あんたさ、叔父さんたちの結婚に反対なの?」

 重い沈黙が続いたのちに、ようやく圭介が口を開いた。

「違う!」

 その問いかけを、圭介が言い終わらないうちに志穂子は否定した。無意識のうちに、Tシャツの背中を握りしめる手に力がこもる。

「じゃあ、何で……」

 志穂子の勢いに気押されたように、戸惑いながら圭介が尋ねてきた。


 志穂子は、母の再婚に反対だと思ったことは一度もない。もちろん母が父以外の人を好きになるということに抵抗を感じなかったわけではないが、父のことはまた別のところで大切に想っていることは伝わってくるので、仕方のないことだと思っている。

 もしかしたら和彦以外の人なら拒絶したかも知れないが、母だけではなく、志穂子も亡き父のことも大切にしてくれる和彦が母を支えてくれることに少しほっとしている部分もあった。夫を亡くしてからの母の奮闘は、傍で見ていた志穂子が一番よく知っている。

 母をとられてしまうような寂しさと、父が忘れられてしまうような哀しさはあったけれど、それを志穂子は口にすべきではないと思っていた。本当の恋を知らない子供の志穂子でさえ、母と和彦が真剣に想い合っていることはわかったからだ。だから、志穂子を気遣って再婚に踏み切らない母の背中を押したのも、再婚に反対した祖母を説得したのも志穂子だった。

 生まれ育った町を離れることも、友と別れることも、仕方のないことだと受け入れた。けれどもそれは、嫌々とか渋々とかではないと、誓って言える。母の為とかそんな大袈裟な想いではないが、従わなければどうしようもないじゃないかという投げやりな気持ちでもない。上手く説明できないけれど、志穂子は母の再婚を自然の流れとして受け止めようとしていた。

 けれど、血の繋がらない他人と家族の関係を築くことは、そう容易いことではなかったのだ。



「毎年、母の日にプレゼントをしてるの。お小遣いの範囲内で買える、些細なものだけど」

 圭介の背中に向かって、志穂子はぽつりと口を開いた。唐突な内容に聞き返すわけでもなく、彼は黙って同じペースで自転車をこいでいた。

「今年はあの人にもあげなきゃって、六月になる前から考えていて。ちゃんとお店にも見に行って、でも、結局何も買えなかった」

 自分が何を言いたいのか上手くまとめられず考えながら語る志穂子の言葉に、圭介は口を挟むことなく、ただじっと耳を傾けていた。

「あの人がどんな色が好きなのか、どんなものが欲しいのか。わたしは何も知らない。聞けば良いのに、そんなことも聞けなくて。死んだお父さんのことを考えたら、プレゼントをあげること自体もできなくなって。でも、別に父の日のプレゼントなんてあげなくても、あの人は何も変わらなかった。いつもどおり優しくわたしに接してくれる。ただ、わたしひとりが気まずくなって、春から少しずつ家族として仲良くなろうと決めていたのに、少しずつぎこちなくなっていったの……」

 誰にも打ち明けたことのない気持ちだった。母はもちろん、祖母にも、友人にも言えなかった。押さえていた気持ちを吐露すると、目の奥がじわりと熱くなってくる。


「叔父さんは、そんなこと微塵も気にしてないと思うけど」

「わかってる……」

 ようやく口を開いた圭介の言葉を、志穂子は力なく肯定する。

 和彦は大人だった。志穂子の戸惑いや葛藤をすべて理解していて、それが少しでも溶けるのを黙って待っているような包容力があった。それがわかるから、余計に辛かった。ぎこちなく気を使うのではなく、打ち解けて話せるようになりたかった。母の為にも、そうなりたかった。

 けれども三人で一緒に暮らしていると、自分の存在は何だろうという疑問が湧いてくるのだ。そして、和彦は自分にとって何だろうと……。



「久しぶりにね、生まれ育った町へ行ったの」

「うん」

 唐突に話の方向が変わったにも関わらず、圭介は戸惑いも見せずに小さく頷いた。

 今まで殆ど話したことのないいとこは、相変わらず無口だ。けれども無関心ではなくて、志穂子は今までずっと心の中に押しとどめていた自分の気持ちを、自然と彼の背中に語り始めていた。それは、彼と向かい合っているのではなく、彼が背を向けていることにも影響していたのかも知れなかった。


「何も変わってなかった。友達も、町並みも。たった四ヶ月だもん、そんなすぐに変わるわけないかと思った。そう安心していたら、見慣れない建物が見えたの。わたしはそこに何があったのか一瞬分からなかった。小学校までの通学途中にあって、毎日毎日見てきた筈なのに、もとの景色を思い出すことができなかった」

 話しているうちに、微かに志穂子の声が震えた。気持ちを落ち着けるように、そっと目を閉じる。夜風が首筋を撫ぜて、吹き抜けてゆく。ずっと熱帯夜が続いていたが、ここ一週間は日が暮れると爽やかな風が吹くようになり、幾分過ごしやすくなっていた。季節は夜の間だけ、少しずつ先に進んでいるようだった。


「今日は、わたしの誕生日なんだ……」

 やがて、消え入るように志穂子はぽつりと呟いた。自分が圭介に話している内容は支離滅裂だという自覚はあったが、今の志穂子は思いつくままに言葉を紡ぐことしかできなかった。

 ただ、聞いて欲しいと願う。抱えきれなくなった気持ちを誰かに、目の前で黙って耳を傾けてくれるいとこに、聞いて欲しいと縋りたくなるくらいに志穂子の気持ちは不安定だった。


「そして八年前の今日は、父と最後に出かけた日なの」

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