敵襲と賢者
足音がどんどん近づいてきている。
生物感知の魔法は、ある一定の範囲内にはいった生物を感知して知らせてくれる魔法だ。
だがそこに入ったのがどんな生物なのかまでは知ることができない。あくまで、入ったか入ってないかだけを知る魔法だ。
ここまで近づかれてしまえばもう使う意味がない。
今足音は洞窟の入り口付近にまでせまりつつある。
「もうかなり近いな……。シア、短剣をいつでも抜けるように用意しておいてくれ」
リィドがそういうと、シアはおどおどしく短剣を構える。
だがその姿勢は思いの外よく、初めてこれから戦闘をするとは思えないほどだ。
しかしリィドはそれに気づくほど余裕がない。
「もし敵だった場合、僕がまず魔法を打つ。それでもまだ向かってくるようなら、その短剣を突きつけてくれ」
「は、はい……! がんばります、賢者様!」
リィドは杖を抜き、洞窟の入り口へと向ける。
左手には羊皮紙……魔法を使うための呪文書が握られている。
足音はさらに近づいてくる。音から察するに相手は単体だ。
杖を前に突き出す。
「来る!!……ファイアー……!」
同時に呪文の冒頭を読み上げる。
"ファイアーアロー"炎の矢を作り上げてまっすぐに射出する魔法だ。
だが入り口から現れたのは魔物でもなければ、盗賊でもなさそうだった。
足を引きずって歩く、若い人間の男だった。
リィドはそれを目視すると、即座に呪文を読み上げるのをやめる。
「お……っと!!」
「え、えっと……賢者様、この人怪我してますよ……?」
シアが短剣をまだ構えながら、困った顔で……しかし心配している顔でリィドの顔色を伺っている。
心配されている当の男はというと、洞窟の壁に身体を預けて、ずるずると地面に倒れていった。
「お、おい! 大丈夫か!? シア、僕の鞄から回復薬持ってきてくれ!」
リィドは男の方へと駆け寄る。
シアはリィドに言われた通り、鞄の中から回復薬と書かれた羊皮紙が貼られた瓶を持ち出した。
「はい! もってきました!」
「よし……! 傷口を見せてくれ」
男はなんとか力を振り絞って、足をリィドの方に向ける。
足は何かに噛みつかれた跡があり、いくつか穴が開いている。
その穴から血が絶え間なく出続けている。
「回復薬を直接かけて、あとは簡単に止血だけする。大丈夫だ、君は死なない」
その言葉に男は少しほっとした顔をする。
リィドは元々魔法騎士団のいち員として、魔物と戦う大規模戦闘に参加したことがある。
負傷した人間の応急処置程度なら知っているのだ。
安心させる言葉をかけるのも、その一環である。
「だ、大丈夫ですか? お、お水とか……」
シアもわからないなりに手当を手伝おうとしている。
持ってきた水を男に差し出す。男はなんとかそれを飲むと「ありがとう」とかすれた声でお礼を言った。
リィドは回復薬を傷口に半分かけると、持っていた布を縛って簡易的に処置をした。
「この残った回復薬は後で飲んでくれ。それと焚き火の近くに寄ってくれ。落ち着いて」
リィドがそう言うと、男は首を横にふる。
それどころではないと言いたげなようだ。
「まだ……追ってきてる……」
その言葉でリィドは「はっ」と気づいた。
男の足から出ていた大量の血が、地面にぽたぽたと続くようにたれている。
男を襲った何かは、その血を目印に追ってきているのだ。
「シア! 敵が来る! 短剣構えて!」
「は、はい!!」
急いで切り替えるリィド。
それにつられてシアも短剣を構え直した。
二人は男を庇うように前に出る。
『グルルル……』
リィド達が動いた直後、茂みの奥から一匹の狼が現れた。
だが通常の狼ではない。身体は二メートル近く、鋭い牙が口から飛び出ている。
さらに特異なのは、額に複数の目が付いているところだ。
背中からはさらに二本ほど、真っ黒な"人間の腕"のようなものがついていた。
まさに異様。
(狼型の魔物か……! 厄介だ!)
リィドはそう思考するとすぐさまに"ファイアアロー"の呪文を唱える。
杖の先端から矢を象った炎が、狼の魔物に向かって飛んでいく。
だがその魔法を、狼はすんなりと交わす。
「まずい! シア! 下がって!」
狼はそのまま、シアの方に目を向けた。
咄嗟にシアに指示を出すリィドだが、指示を出された本人はまだ動けずにいた。
リィドが次の思考を走らせる前に、魔物はシアに飛びつく。
鋭い牙がシアの喉元を狙う。
さらに背中から飛び出た黒い腕が、がっちりと身体をつかもうと襲いかかった。
「シア!!」
思わずリィドが叫ぶ。
だが……。
『ギャアアア!!』
苦痛で声を上げたのはシアではなく、魔物のほうだった。
「え……っ!?」
リィドは思わず目を疑う。
そこにあった光景は、魔物の攻撃を華麗に避けて喉元に短剣を突き刺すシアの姿だった。
一分のスキもない。完全な動作だった。
(実戦経験ないんじゃなかったのか!? いやそんなことより……!!)
「シア!! 魔物は魔法核を壊さないと死なない! そいつは額の目の奥だ!」
リィドの声にシアはピクリと反応する。
だが言葉は帰ってこない。
シアはそのまま短剣を抜くと、魔物の脇腹に蹴りを御見舞した。
華奢な身体から繰り出される蹴りは、見た通り威力はなかった。
だが魔物の体制を崩すには十分だったようだ。
「"バインド"」
同時にリィドが呪文"バインド"を発動した。
魔物の転がる地面に魔法陣が浮かび、そこから無数の光りの紐が現れる。
その紐は瞬く間に魔物に絡みつき、魔法陣の上に縛り付けた。
「今だシア!」
それを見て直ぐ様シアは短剣を魔物の額に押し付ける。
刃先は額の目玉をえぐり、さらに奥に食い込む。
カキンッ。
その音と共に、魔物は黒いもやとなって消え失せた。
シアの短剣が魔物の魔力核を破壊したのだ。
「襲ってきた魔物はこれだけだったか!?」
リィドは直ぐ様男に聞く。
男はこくりと頷きお礼を言った。
「あ、ありがとう……。それだけ……だ……」
「そ、そっか……ふぅ……」
リィドはその場に崩れ落ちる。
だが休憩する前にシアだ。
魔物を倒した張本人であるシアは、短剣を鞘にしまい直すとぼぉっとリィドの方を見ていた。
どことなく虚ろな目をしている。
「シア、大丈夫か? あんなに戦えるとは思ってなかったよ」
そう言いながらシアの肩に手を置くリィド。
その瞬間、シアの肩がびくりと震え、目に色が灯り始めた。
「あ、け、賢者様……シアがさっきの魔物……倒したんですよね……?」
まるで実感が無いとでも言いたげな風でリィドに質問する。
リィドはうなずきそれを肯定してやる。
「なんだか、戦わなきゃって思ったら勝手に動き方が頭の中に流れてきたんです。それで考えが追いつかなくなってぼぉーっとしちゃって……」
自分でも意味がわからないという顔をするシア。
リィドもそれと全く同じ考えだった。
マザーキルサの言うとおりだと、シアはいままで一度も戦ったことがなかったはずだ。
訓練をしたという話も聞いたことはない。
確かに蹴りや、短剣で突き刺す力は弱かった。
だが動きは完璧だった。そんじょそこらの騎士よりもよっぽどセンスがあると、リィドは感じたのだ。
(もしかして……これが伝説の勇者の力……なのか……?)
そう思いながらシアの顔を見る。
シアは自分がやったことについての理解がまだ追いつかず、困った顔をしている。
だがその表情には幾分かの不安も感じ取れた。
「……シア。ともかくありがとう。シアのお陰で僕達みんな生き残れたよ」
その不安を拭い去れるよう、リィドは言葉をかけた。
「は、はい……シア、お役に立てましたか?」
「ああ。立ちまくり。ありがとう、シア」
「そ、そうですか!!! シア、お役に立てたんですね!!」
さっきまでの不安そうな顔とはうってかわって、シアはいつもの笑顔に戻っていた。
リィドはそれを見届けると、負傷した男の方に向き直り、再び口を開いた。
「事情は後で聞くとして、とりあえず今は休んでくれ」
「あ、ありがてえ……」
男はそう言うと、深い眠りに落ちた。
リィドは生物感知の魔法を洞窟の周囲に展開する。
「シアも、すぐには寝れないかもしれないけどしっかり寝ておいてくれ。明日、改めて話そう」
こうして、リィドとシアの初めての戦闘は幕を閉じた。
シアの戦闘力が何故か高いという、一つの疑問を残しながら。